真珠
手紙というものがある。便箋に文を書き、宛先を書いた封筒に入れ、切手を貼ってポストに投函するあれだ。
ここに一通の手紙がある。封筒には宛先がなく、便箋にも宛名はない。切手を貼られてもいない。
森の廃屋で見つかったそれは、湿気や日射しによって脆くなってはいたものの、まったく判読できないという代物でもなかった。崩れかかっている繊維に染みこんだインクは辛うじて文字の体裁を保っており、文字の連なりは辛うじて文章の体裁を保っている。
解読できた部分を以下に記述する。
はじめに明言しておこう。私はこの手紙を誰かに宛てて書いているわけではない。だが、あえて手紙という形式を採ったのには理由がある。あの夜にあった出来事を文字として書き連ね、己が書き綴ったものを改めて目にすることで、頭の中を整理したかったからだ。だが、それだけではないのかもしれない。それだけでよいのなら、日記のような、他者には読ませないようなものの形式を採ってもよかったはずだ。もしかすると、私はあの出来事を誰かに語りたいのかもしれない。だが、誰かに語れるようなものでもない。綴っている本人が言うのもおかしなことだが、これから記す出来事の、真偽のほどは定かではない。泥酔した老人の夢と笑い飛ばしてくれてもかまわない。
本題に入ろう。
あれは祝祭の夜だった。私は葡萄酒の瓶の栓を抜いた。この家に住むようになって初めての祝祭の晩のように、亡霊を名乗るものが訪れ、彼が饗宴に焚かれたあの日のように。
長椅子に座って杯を傾ける私の眼前で、燭火の閃く卓を挟み、それは忽然と現れた。
それを目にした時、私の抱いた印象は白と黒だった。白皙の肌は夜を撥ねつけ、漆黒の髪は夜を貪って艶を放つ。やや垂れ気味で、重苦しそうな瞼の、星空のような目。ほころびかけの蕾のようなふっくらとした唇には蒼が刷かれていて、わずかに開いている。割れた蒼から覗く歯列の隙間では、鮮やかな舌の赤がちらついていた。
そこに佇んでいたものは、この家に鎖されていた、あの子のかたちをしていた。
そういえば、出会った時からあの子は泣き続けていた。この家に住まうようになっても、ずっと、涙をこぼしていた。哀しそうなわけではなく、苦しそうなわけでもない。穏やかそのものである佇まいで、あの子は涙を流し続けていた。
だが、目の前のそれに、頬を伝う涙はない。
あの子はいつの間に泣きやんでいたのだろう。
初めのうちはこの家を抜け出すこともあったけれど――この家に来た頃のあの子は母恋しい幼子だったのだ。その幼子が母をもとめて街に降りていったとて、それにより私が彼に罰されたとて、誰があの子を、彼を、責められようか――あの子は従順だった。撓むことも歪むこともなく、うつくしく育っていった。だが、踏みしだかれても牙を剥かなかったあの子の抗いが泣きやむという見かけを呈していたとするのなら、泣きやまないあの子はどこへ潜っていったのだろう。
星空の目が私を見つめている。私は手を伸ばしてみる。あの子のかたちをしたものが首を傾げる。傾いだ頬に、私の手が触れた。
私は瞠目する。
あの子がここにいるはずはない。たとえここにいたとしても、もう大人になっているはずだ。
幼子の口の端が吊りあがり、笑みを刻む。乾いていたはずの頬に、眦から顎にかけて濡れた筋が浮かびあがる。
そんなはずはない。
あれは幻覚だ。酒が見せた幻だ。そうに決まっている。いや、そうでなければならない。この家には私しかいない。では、私の手に落ちたこれは何なのだ。幻であるはずのものの左目から溢れ落ちたこれは、いったい
この手紙が発見された時、その傍には一粒の真珠が転がっていたという。
サークル情報
サークル名:片足靴屋/Sheagh sidhe
執筆者名:南風野さきは
URL(Twitter):@K_ss_info
一言アピール
おもに和風洋風なまぼろしを綴っています。人魚や妖精や斜陽などなど。こちらの「真珠」は廻る祝祭の西洋幻想文学っぽい短編集『道化と偽王』収録です。