それって罪の味ですか？〜白ヤギびとは今日も暇です

　白ヤギは手紙を書いた。もらった手紙への返信だった。
　ありがとう。素晴らしい味だった。この辺りにはない種類の紙で、柔らかく上品な舌触り。使われるインクはほのかに突き抜けるハッカの香り。その奥に潜むは、酸化鉄の匂い。没食子インク。濡れても、青い色は溶けて流れてしまうけれど、酸化した黒いあとは消えない。
　書かれていたのは、素晴らしい情念の詩でもあった。
　新しく生まれるものを寿ぐ詩。激しい海原から、奪われまいと、命を引きあげる力強さ。
　折り返しには、昔私が旅した地域に伝わる詩を書こう。
　業火にまかれたことのある、古い遺跡のある地域だ。赤い花々は、ある程度魔力をためこむと、自然に燃え上がる。
　いつもならば、火はうまく制御されていた。たまたま、制御に使われるはずの木の実が、他の用途で失われていただけで、大きなわざわいとなったのだ。
　美味しい特産品らしいけれど、食べすぎには気をつけなくてはね。

「さて、ヒントになっただろうか？」
　どこにでもあるインクと紙でしたためたのは、ただの雑談。助けを必要とする者だけが、意図を理解するだろう。
　ここでは、手紙の封はしない。後で検閲印を押し終えたら封をするよう、依頼することにした。
「さて、あとは弟子に任せようではないか。あの小さな黒ヤギに」
　旅する弟子の寄越す手紙、その中の、異国での風習や美味しい食べ物の話は、昔、自分が自由だった頃を、否応なしに思い出させる。楽しかったことや、失敗談や、注意事項も。
　つい、細かな世話を焼いてしまうのは、性分なのだろう。決して、今暇だから、ではなく。
　さっきまであった弟子の手紙は、もう影も形もない。
　ひとのように暮らすヤギびとは、主食ではないが、ときどきこうして手紙を食べる。
　愛おしい手紙を、撫で、さすり、嗅ぎ、そうして食べてしまうのだ。
　それができなくても死にはしないが、心のどこかが乾いてしまう。
　この難儀な性質のため、ヤギびとは自分たちの歴史や伝えたいことについては、紙の書物を多めに作ることにしている。食害で消えていくからだ。石に刻むと、石うさぎびとに食べられるので、それもまた予備が必要になる。
　口伝というのもまた、不安定だし。
　さておき手紙を出さなくてはならない。
　封筒と本文に押された検閲印の部分は、苦くて美味しくない。きっと先方も同じことだろう。
　ただの手紙ではあるまいと、弟子からの手紙も、弟子への手紙も、検閲されている。仕方のないことだけれど、味わいが変わるのが少しばかり残念だ。
　足に細い鎖をつなぐだけの、簡易な虜囚ではあるけれど、まぁ、一応重罪人ではあるもので。
「だって、なあ。旅先で、あんなに美しい恋文を見つけてしまったんだもの」
　この国で。
　手紙を愛おしみ、隠したり飾ったりするひとの国で。
　ある国王夫妻の、非常に大切な手紙を、あまりの美しさに欲望がおさえきれず、ひとかけ、食べてしまったのがいけなかった。
　あの手紙の、真摯であり、甘美なこと！
「はぁ、またかじりたい」
　全く反省などしていない顔で、白ヤギは、弟子への手紙を出したのだった。

「あぁ、良かった！」
　手紙を受け取り、弟子は破顔する。
　ちょっとしたトラブルに巻き込まれていたが、これで何とかなりそうだ。
　水没しそうな洞穴で、輝きながら飛んできた手紙と、それを抱きしめた者に、同伴者は戸惑いを隠せない。
「あのう、今の手紙で、何とかなりそうなんですか？」
「なります！」
「はぁ。その、あなたの先生とやらは、それほどまでに賢く、強いのですか？」
「先生は、頼りになりますよ。魔法使いとしての腕はそれなりなんですが」
　先生の手紙、浮き浮きした筆致で、変わった味がして美味しいんですよね、と呟いてから、弟子はポケットから木の実を転がり落とした。
　赤い花々の咲く国で、炎の魔法を蓄えて育つ木々。その木の実は、花々が燃え広がらないように、炎の魔力を押さえ込む力を持つ。それでいて、調理されると魔力はさっと流れてしまう。
「それでは、調理せずに使ってみましょう！」
　こぼれた木の実に魔法をぶつけると、炎が吹き出す。
「うわぁーい！」
　弟子と同伴者は二人で叫んだ。
　洞穴の水が蒸発し、危うく蒸し焼きになるところだったが、酸欠にもならず、明るくなった洞穴を全速力で駆け抜けて、危機を回避することに成功した。
　手紙はちょっとかじってから、もうしばらく取っておく。
　弟子の冒険は、まだ続くのだ。