あっち

「あっちいけ」
 机の上、千切られた小さなメモ用紙に一言だけ書かれていた。

 放課後になっても、あっちがどっちなのかわからない。回りを見ても、クラスメイトはくすくすと笑っているだけだ。

 メモをクリアファイルに挟んで、通学鞄を持ち上げる。
 斜め前の席は俺より先に陥落した澤田の席がある。学年が上がってから、一度も澤田の顔を見ていない。

 自分の席を離れる途中、澤田の机の中のしわくちゃの紙が見えた。
 澤田のプリントは定期的に担任が抜き取っている。まだ来るかもしれないということなのか、先生は澤田のプリントも律儀に配る。週の終わり頃になると、プリントの束は机に乱雑に突っ込まれている。プリントを回収した担任は職員室で処分しているだろう。
 ふと気になって、プリントのしわを伸ばすと先と同じメモが紛れ込んでいた。

「あっちいけ」
 同じ者の犯行だ、なんて頭の中の探偵が語りだす。澤田は来ていないのだから、メッセージを残しても意味はない。
 俺も澤田も、こっちにいるべきではないということだろう。では、あっちとはどこなのか。学校のグラウンドを抜けて、商店街を通り、家に着いても、俺はあっちに行けるように思えない。

 あの世とこの世というなら、わかりやすい。いっそ、死ねと言われたほうが迷わなくてすむ。帰り道の公園で立ち止まり、今日も雲の先を想像する。
 鞄から例のメモ書きを二枚取り出した。つい澤田の分まで持ち帰ってしまった。

 その二枚の紙で、紙飛行機を二つ折った。
 歪み、すぐに墜落しそうな紙飛行機はついていない俺と澤田に似ている。どれだけ皆と同じ形を真似ても、すぐに地面に落ちる。空を飛ぶことはない。

「さっさとあっちに行け」
 声を出して、紙飛行機を放った。
 澤田の飛行機は飛んでいった。不自然に、上昇し、空へと向かう。俺の紙飛行機はすぐに墜落した。

「そんな、バカな。おい、待てよ。澤田!」
 もう雲の先を抜け、小さな紙飛行機の姿は見えない。
「行くな、澤田!」
 澤田のことはよく知らない。
 けれど、同質の空気を持っている。居心地は悪くなかった。

「あっちにいくな!」
 声を張り上げた。
 あっちに行きたがっていても、一人くらいは止めてやらなければと思う。
 だが、澤田と自分とを重ねるのは、自分も止めてほしいからではない。俺もあっちに一緒に行くとは決して言えない。「俺もこっちにいるから、まだこっちにいろ」が正しい。同じ苦しみのなかに、澤田を置いていたいだけだった。
「澤田……!」

「あ、田辺くん」
 背ろから、澤田の声がした。
「どうしたの?」
「お前こそ、何やってんだよ?」
 俺の驚きをよそに、呑気な声が返ってきた。
「僕ね、資格取ってドローンを飛ばせるようになったんだ」
 どこか影のあった澤田の瞳に輝きが戻っている。
「来年、家族で海外に行ったら、もっと高いところまで飛ばせるかもしれない」
「あっちにいくのか?」
「あっちって?まあ、こっちでは難しいね」
 澤田は穏やかに笑っている。
「……よかったな」
「うん」

 散歩中だという澤田は、俺とは反対のほうへ歩いていく。
 さっきまでの紙飛行機は幻だったのだろうか。ごみを拾う気持ちで辺りを探しても、やはり澤田の紙飛行機は見付からない。
 そして、足元にあった俺の紙飛行機もなくなっている。

 きっと、あっちにいったんだろう。
(了)

サークル情報

サークル名:fishy_words
執筆者名:camel
URL(Twitter):@kaerutorakuda

一言アピール
camelです。「あっち」はWebアンソロジーの2作目です。青春と少しのファンタジーを楽しんでもらえたら嬉しいです。お気に召しましたら、もう一方のアンソロ作品と紙の本でお会いしましょう。

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