近くて遠い距離だから伝える手段はいつもアナログで

高校の肌寒い廊下をつかつかと進み、普段と何も変わらない教室の扉を静かに開ける。期末テストが近づいた昨今、勤勉なクラスメイトたちが早朝から暖房のよく効いたこの部屋で自習に励んでいるはずだから。邪魔してはならない・・・・・・が。
「ん? どうしたんだ?」
 思わず独り言を呟いてしまうほど、クラスは騒然としていた。騒ぎの中心は黒板。そちらを観れば、人垣の向こうに、黒板になにやら大きく、赤い文字でこう書かれていた。
『たすけて くれないと ばらまく』
 ざわめきが止まらない。これはホラーもしくは怪奇現象であり、俺の手に余る事件だ。警察の出番だ。俺の出る幕では決してない。だから何がばらまかれようと、知ったことではない。そう、無関係のはずなのだ。
 心を落ち着かせて、自分の机に鞄をかけて、椅子に座って息を吐く。
 ゆっくりと机に目をやると、そこにはまたも赤い字で書き殴り。
『きみに たのんでいるんだ めをそらすな』
 今ほど自分に視力があることを呪ったときはない。
 俺はため息をついて、早退しようかと思案した。こんな嫌がらせを仕組む相手。この俺、林久という男には心当たりは一人しかいない。クラスメイトの女子で、異能の力も怪力もない、ほどほどの知能とそこそこの美貌をもつ、どうしようもないトラブルメイカー。
「武分、いるか? 近くにいたら返事してくれ」
 とりあえず助けを呼んでいるのが彼女なのか、それとも別の誰かなのかを確認する。もし武分ならば何の力もない俺の力なんて借りず自力で苦境を脱出出来るので何の心配もない。だが別の誰かだったら、なんとかしてやりたい。放置は怖いから。
「おい林久! あれをみろ!」友人が俺の名を呼んだ。そちらをみれば、彼は上を指さした。つられて見上げれば、やはり赤い文字で。
『よんだかはやしひさ?』
 と返事が書かれていた。俺は目眩を覚えて頭を抱えた。
 どこから突っ込んでいいのか皆目見当もつかない。言葉がでないほどパニックに陥りそうになる。何故ひらがななのか、奴は今どこにいるのかどんな状況なのか、何故返事が天井なのか、何故赤文字でスプラッタ調なのか。そもそもばらまくって、今度は俺のどんな弱みを握っているんだあいつは。大概の秘密は彼女にとっくにばれている状況なのに怖い。
 俺は胸に手を置いて、長めの深呼吸を一つ。覚悟を決めろ俺。何の取り柄もない自分が彼女を助けるしか生き延びる道はないんだ。
「おい林久・・・・・・」ぞろぞろとクラスメイトたちが俺の元に集まってくる。「このホラー現象の主、どうもお前をご指名のようだ。自分らは勉強に専念したいから一限が始まる前までになんとかしてくれ」
 丸投げとは恐れ入る。貴様らそれでもクラスメイトか。血も涙もない有象無象め。
「わかったよ」人間諦めが肝心。「指名されるからには俺ならなんとか出来るってことだろ? やってみるよ」
 俺は立ち去っていくクラスメイトの背を睨みつけながら、冷静に此処までの状況を整理して考える。
 まず確実なのは、武分というたわけが何処からか助けを求めていること。今回は決して悪ふざけではないと断言できる。いや、悪ふざけに失敗して墓穴を掘った可能性は十分あるが今、真相はどうでもいい。彼女は文字でなら、この部屋にメッセージを出せるようだ。もしかしたら透明人間にでもなってしまったのか。それも否だ。単に可視化出来ていないだけなら、触れることができるはず・・・・・・。
 彼女に常識や理屈なんて通用しない。彼女が出来ると言えば、それは何故か出来る。それがこの世界の忌むべき神のいたずら。しかし、彼女は俺なら助けられるという。俺はエスパーでもマジシャンでも、ましてスーパーマンでもない。
 となると、今できることは変わらず一つ。交信だ。
 俺からは喋って尋ねることも出来るが、すでに周囲の勉強大好き連中たちは今日の予習に入っていて、騒がしくすると怒られるのでパス。というか黒板の赤文字も誰も消さないんだな。みんな関わり合いたくないと無言で告げている。というかよく赤文字だらけの部屋で黙々と勉強できるなみんな。肝が据わっているのかはたまた直視出来ない事態なだけか。
「そうそう」とある女子が唐突に話しかけてきた。「黒板の血文字も消しといてね。黒板消しじゃ消せなくて。残して置くと先生に怒られるでしょう?」
 それが血の通った人間の台詞か。・・・・・・まて、血文字だと?
 俺は机の文字を指でなぞる。乾いていたが、少しねちょりとした。
 数秒絶句して硬直していたが、我に返ってすぐ時計をみる。先生が来るまで幾ばくもない。勇気ある数人の生徒がバケツに水を入れて雑巾での掃除を試みようとしていたが、どうにも気味が悪いのか、消すのを躊躇っていた。
「消しても呪われないから、頼んでいいか? 原因は俺がなんとかするから」
そう言うと、彼らは安堵したのか掃除に取りかかった。
 さて、自分のやるべきことをやろう。そう、交信だ。彼女からは文章で会話が出来る。しかし血文字ということは、何らかの事情で文具を使えないということ。けれども無闇に壁や机に書かれるなどたまったものではない。
「そうだ武分、メッセージを俺のノートにかいてくれ。それなら消す必要もない」
 筆記用具がわりになる何かがあればベストだが、生憎なさそうなので仕方がない。しかし書くものは持てなくても、書く対象には触れられるというのも不思議だ。そこに突破口があるような気がするが・・・・・・。
『いそうが ずれた てへぺろ』
 ノートに書かれた若干余裕をかいまみせる血文字に、俺は少し苛ついた。だが無視するわけにもいかないヒントがある。いそうがずれた。移送? 位相? 意想? どれだ?
「つまり次元を超えそうで超えきれない壁の中に埋まって身動きがとれない状態か?」
『たぶん』
「どうしてそうなった?」
『いせかいにいきたくなった』
「わかった。自分の思いつき行動を反省して暫くそこで頭を冷やせ」
『いじわる』
 冷たいようだが、下手に動かれる方が危険な存在である。何しろ思い立ったが吉日とばかりに異世界に散歩のようにふらっと行こうとする奴である。強引に自力で帰ってこようとして、うっかり世界の理を破壊しかねない。慎重に事を進めるべきだ。
『だから てすと 17てん なんだ』
「何故・・・・・・そのことを?」俺はその文字で目を見開いた。先月の悪夢の国語テストの結果。誰にも見せず焼却したはずだ。親にも見せていない。まさか、さきほどのばらまくってのは。
「まてよ」不意に悪魔思考が俺に忍び寄った。「閉じ込めたままの方が何もされなくて安全かな」
 そうだよ、この超常現象より恥をばらまかれる方が辛い。なら、長期休みが始まるまで投獄状態にしておいた方がこの世界的にも宜しいのではないか。見捨てた結果世界にどんな歪みが生じるか不明だが、破滅は彼女も望まないだろう。
「いやあ、助けたいのはやまやまだが、万策尽きたなあ」とはきはきと独り言を言い放った。周囲の面々が渋い顔を送ってくるが、申し訳なさそうな面で返した。そこへ。
「あの」おずおずと一人の女子生徒が近づいてきた。「ちょっと耳を貸してもらえますか?」
 クラスメイトの女子だ。普段俺とはあまり交流はないが、武分と仲の良い相手だ。俺は頷いて耳を傾けると、その子はそっと耳打ちした。
「身に覚えはありませんが、平行世界から特定の人物のみを引き寄せる能力なら、私の力ですからもしかしたら私じゃない私のせいかもしれません」
「日本語でもう一度頼む」
「私は別世界に手紙を出して、こちらに来たいと反応のあった相手だけをこちらに連れてこられる超能者なんです。きっと平行世界の私が彼女を呼んだのだと思います」
「世の中のホラーフィクションを現実にする力だな」俺は嘆息した。「だけど平行世界に連絡取れるなら、向こうの君に武分が狭間に詰まってるから戻せと言えないか?」
「わあ、適応早いですね!」おかげさまでな。「わかりました、向こうの私に能力を解除するように伝えてみます」
 それから彼女は何枚か手紙を書き、それを手品のようにふっと消し(多分平行世界に送っている)突如現れる手紙を取って読む、を繰り返した。すでに一限の授業が始まっていて、彼女に進捗状況を確認できないが、何とかなりそうな雰囲気だ。黒板の掃除も終わっていた。
 それから二十分程して、武分の姿がぱっと彼女の席に現れた。俺はほっと胸をなでおろしたが、よくみると何かが違う。彼女は眼鏡をかけていたか? それに若干雰囲気が違う。
 訝しげに観察していると、何故かまた血文字が俺のノートに書かれた。
『だれよあのおんな』
「お前だよ」冗談言う余裕見せるな。「・・・・・・まて、お前は誰だ?」
『じげんのはざまのらすとぼすではない、わたしだ』
 俺はノートと現れた武分を交互に見た。彼女は何事もなかったように開始された授業を受けている。頭にはてなを浮かべて、いると、隣の席から紙の端切れがまわってきた。困惑しながらそれを開いてみると、能力者の女子からの手紙だった。
『平行世界の武分さんと交換することで交渉成立したよ』
 いやこっちの武分が引っかかったままじゃ何の解決にならないだろ。
 俺はどうしたものかと腕を組んで考える。だが何も浮かばないので、ノートにこう書いた。
『こっちは武分定員オーバーだから、やっぱり暫くそこで大人しくしてろ。それにこっちの武分の方が可愛いしな』
 と挑発した。してしまった。しなきゃよかった。なんでしてしまったのだろうか。
 数秒後、ノート見開きにどでかく、血文字が殴りかかれた。
『き れ た』

 一限後俺は青ざめた顔で能力者の女子にきちんと武分を元通りに戻すよう必死で願うと、三時間後漸く平行世界の武分は消え、いつもの武分が戻ってきた。俺は怒られると怯えていたが、意外な事に彼女は爽やかに「戻してくれてありがとう」と礼を言って終わった。そうだよな、普通は感謝だよなと安堵して、その日の授業を終えて帰宅した。

 彼女が帰還するまでの三時間、何の連絡もなかったことで予想しておくべきだった。
 まさかその間に彼女が俺の部屋に忍びこんで、部屋中に恨み言を血文字で書き連ねていたなんて事態を。
 (了)

サークル情報

サークル名:漢字中央警備システム
執筆者名:こくまろ
URL(Twitter):@kokumaro65

一言アピール
何故か超能力者だらけになっているクラスにいる無能力者の主人公が、同じく能力がないはずの女の子に振り回されるだけのお話です。オムニバス形式で、一応完結させた本を今回販売しております。話のノリが合いましたら是非。

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