【ある演奏家の手紙】

 これは貴方へ送る最初で最後の手紙です。
 獣人は手紙を書く文化も無かったですし……(遠吠えが主な手段でした)――、貴方と出会って私はいつも近くに居ましたからねぇ。手紙って、遠くの人へ届けるものでしょう? だから、今日。貴方に初めて手紙を送ります。
 【ある演奏家の手紙】
 貴方と私が出会ったのは、私はまだ子犬で、貴方もまだ飛び立ったばかりの音楽家……でしたね。あの頃は人と獣人の間に有る大きな溝をどうするかお互いに迷っていた時期に思えます。
 私は驚きました。そんなときに獣人の集落にズカズカと入ってくる貴方の度胸にもですが……貴方の弾くピアノの音楽と言ったら! それまで獣人の世界に音楽というものはありませんでした、いえ音というのは常に私達の周りにあるものでしたが……、それを、あるいは感情を昇華し、練り上げたメロディの輝きはまるで嵐のようでした。幼い私の狭い世界も、その嵐が壊していったのです。
 風が吹き抜けた心の中にあったのは、私もそう――音楽をやりたい! という気持ちでした。弟子にしてくれ、といったときの貴方の顔をいまだに覚えています。「うわ、面倒くさ……」がデカデカと顔に書いてありましたね。ふふ。でも、私も負けませんでした。
 私は集落の中でも、裕福で恵まれた存在でした。しかし、人間に対しては排他的で……それらを捨てて来られるのか、貴方はそう言いましたね。今だから言うと、恐怖がなかったわけではありません。しかしそれよりも、私には貴方という輝きへ向かっていくことのほうが大事だったのです。
 ……貴方は、私の何を見て最後に頷いてくれたのでしょう。あの時は気にする間もなかったのですが……その答えは、まだ探しているところです。
 私は音を楽しむ事を知りました。貴方の教えは厳しかったですが、それよりも一日、朝と夜を繰り返すごとに自分の手が奏でることを覚えていくのがとても楽しかったです。
 一緒の生活をする事によって、完璧のように思えた貴方の色々な所もよく見えてきました。獣人である私を対等に扱ってくれました。勢いだけで未知の世界に出てきた私をさりげなくフォローしてくれましたね、……気づいていないと思っていましたか? (まあ、その時は全然気づいてなかったんですけど……)
 欠点もよく見えました、音楽以外はテンで――本当に駄目駄目で、そのくせワガママで! お陰さまで私も一通りのことが出来るようになったわ。
 それでも、――音楽だけは。貴方の奏でる音は……この手紙で語りつくせぬ程のもので。
 貴方は星のような人でした。評論家の方もそう表現していましたね。その音はーー人々が届かぬ、雲の上の星のようだと。ただ繊細で、遠く、人々はその音に手を伸ばすが届くことはできず、ただただその美しさを見上げる。
 私もその一人でした。無知だった頃から、知ることを覚えて……だんだんと貴方との遠さを測れるようになってきました。届かないのです、貴方のようにはなれないのです。それでも、星は輝きを魅せて来るのです。
 ……一時期は、本当に苦しかったです。貴方の弾き方の真似をして、そうではないと怒られて。苛立つこともあり、貴方にも友人にも……いっぱいご迷惑をかけてしまいましたね。
 ――そこから脱せられたのは……まず、貴方以外の友人たちの御蔭です。怒ってくれる人がいました、悩んでくれる同胞がいました。大きな溝はたしかにあったものの、それらを乗り越えようとする人たちを知りました。それは、とても大きな力でした。
 ……あと貴方と、海で一緒に演奏をしたことね。観客もなく、私と貴方とただ波の静けさと夜の空気だけがあったあの時。貴方はふいにおもちゃのピアノで弾き出して……私もチェロで合わせて。貴方は月の煌々とした光を、私はそれを見上げる波を思って弾きました。
 貴方は「それでいいんだ」と言ってくれましたね。誰もが同じ視点ばかりではつまらなくてしょうがないと。
「皆、お前の演奏が好きなんだよ。……それは決して、俺の真似だからってわけじゃない。お前の情熱、気概――そういったものが音に乗って高らかに吼える様を、確かに好きだと思っているんだぜ」
「――それは、貴方も?」
「む……一回しか言わねえからな。まじで。……ゴホン――皆、俺の演奏を唯一の至宝か何かと勘違いしてきやがる。んなわけがあるかと俺は思っているが、……皆、物怖じしてこちら側へ来ようとしねェ。――お前くらいなもんさ、そこへ行こう、並び立って見せたい、――俺を超えて見せようってまなざしを持っていたのは。だから、期待しているんだ。お前が俺を超える時を」
 ああ、そうでしたね。この手紙を書いていて、思い出しました。
 私は貴方に最初に会って、こうなりたいと思った――それと同時に、貴方の孤独を感じ取ったのかもしれません。星の孤独を。並び立つもののない、静かな冷たさを。
 それが一番の美しさで有る筈がないと、思ったのです。
 私は――星を落としたいと思ったからなのです。
 そう決意してから、貴方と一緒に色々な所へ行きましたね、色々なことがありましたね。お手紙では語りつくせないほどです。
 ドラゴンとピアノで心を通じ合わせて騒動を治めたり、とか。
 人と獣人の演奏会を実現させたり、とか。
 ……、私に急に「結婚するか」と言ってきたこと、とか。
 私は獣人で尚且つ弟子で、貴方は人間で師匠なのよと言ったら、んなもん関係あるかと一蹴してきましたね。本当、貴方は破天荒な人で……、指輪を貰うまでは新手の冗談ではないかと思ってドキドキしたのよ。
 そうして――何年もたって今。貴方が流行病で死んで、本当に魂にポッカリと穴が空いたようでした。
 夫婦というには、子供も作らなかったし――人並みの恋人らしいことも一切しませんでしたね。音を奏でて、走り続けただけ。それでも、お互いの心はとても近くに有りました。だからこそ、不意に居なくなってしまった貴方を思って、身体が千切れるのではないかと思うくらい泣きました。
 まだ超えてすらいないのに、まだなにも恩を返せていないのに! お互い素直じゃなかったので、言いたかったことのほとんどが、言えないまま心に残ってしまって。
 ――死んでしまおう、と思ったことすらあります。貴方の居ない世界に何の意味があるのだと。
 でも……、貴方絶対にそんな私は見たくないでしょう? 私もそんな私で貴方に会いに行くのは嫌だな、と思いました。貴方の弟子は――、貴方が好きだった私はもっと強いまなざしを持っていたのですから。
 この手紙は遺書のためではありません。これは貴方へひとまずのお別れの手紙であり――宣戦布告の果たし状です。私はまた旅に出ます。もっと貴方の知らない世界を見て、聞いて、感じて……いつか正々堂々、星を落としに行くのです。
 貴方と並び立つ、――超える、音楽家になってみせます。
 ……そうしていつかは貴方の所へ行く日が来るでしょう。それは今日ではないというだけで。
貴方が迎えに来てくれた時。――その時はちゃんと、ぎゃふんっていってくださいね。

 さようなら、またいつか。
 愛しい貴方
 弟子であり、貴方の愛より
 ***
 ――そうして、獣人の老婆はその手紙を墓の前に置きチェロを構えた。
 ……聞こえる音は、囁く愛よりも高らかに、尊敬よりも熱い。そのメロディーは手紙を読み上げるように。
 きちんと届いたかしらと彼女が見上げる空には雲が多かったが、その合間から降りる光は彼女とその先の道をゆっくりと照らしていた。
【了】

サークル情報

サークル名:WorldEndlibrary
執筆者名:地底と星
URL(Twitter):@sei_phonic

一言アピール
はじめまして!地底と星と申します。異なる何かが交差したり、あるいは日常を捲るとなんかひんやりとした闇が見えたり。そんな創作を考えたりするのが好きです。
これが出た時にはたぶん作業中ですが、短歌まとめと夕暮れを彷徨うラヴコメ的な創作小説を出す予定です。書かねば。

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