R列車で行こう ~ダイトーアの歌0.9話~

 マサヒロを乗せた奥多摩発・快速列車「しばらく」が、都心へ向かって走る。外の景色はひなびた田舎の風景から次第に形を変え、頽廃的メトロポリスの様相を呈していった。
 アジア一の隆盛を誇る国、ダイトーア。その中心的都市である東京は、政治思想の対立が著しい混迷の街だ。列車はまだ二十三区にも入っていないが、窓から見える街にはすでに、その様子が至る所に見え隠れしていた。
 無数に立ち並ぶのは、平仮名や片仮名、漢字にハングル文字の看板だ。さらには閑静な住宅街だろうが、賑やかな繁華街だろうが、街の壁にはプロパガンダのビラが掲示される。そこに書かれているのは大抵、穏健派・過激派を問わない政治標語だ。
「攘夷によってどういうわけか国が強くなる」「明るい政治で正しい粛清」「何かしら翼賛する」「批判は恐ろしい」「手を挙げろ」
 そんな標語や政治的スラングを、マサヒロは目で追う。速さに目が疲れると今度は、手に持っていた大きな封筒の中身を取り出して見る。マサヒロが育った孤児院の寮母が書いた手紙や、同じ院で育った子どもたちの寄せ書きだ。
 彼は今日から社会人として働くため、孤児院を出てきたのだった。向かう先は、これから自分が働き始める職場だ。今日はそこの人間に挨拶することになっている。
「おや君、さては上京してきたのかい」
 前の駅で乗車し、向かい合わせの座席に座った老人の男が話しかけてくる。中華圏の訛りが混じった日本語だ。日本・中華・朝鮮と三つの人種が入り乱れるダイトーアでは、まったく珍しくない。
「ええ、今日から、都心で暮らす予定です」
「そうか。都心は色々な人がいる。仲良くやりなさいよ」
「はい。そういうおじいさんは、中華から来た方ですか?」
「そうとも。今は東京に住んでいるけど、もともとは満州にいたんだ」
 老人はそう言って、鞄の中から小さな紙袋を取り出し、中を開けてマサヒロに差し出した。中には透明なフィルムで包まれた月餅が入っている。マサヒロは頭を下げ、一つを受け取った。フィルムに印刷された簡体字を見るに、日本ではなく中華で作られたものらしい。申し訳程度に日本語で「おいしいので安全牌」と小さく書かれてはいる。
 それを食べながら、再びマサヒロは外の風景を眺める。月餅は初めて食べるような、いつか食べたような、不思議な味がした。
 列車は国分寺に停まる。ホームには企業の宣伝看板の他に、政治団体のプロパガンダや自治体の政治標語が掲げられていた。だが、それらは全て国の検閲を安全に通り抜けたものばかりだ。駅という、とりわけ公共的な場だけあって、危険な思想を表す語句は用いられていない。
「一般的に素晴らしいとされるダイトーア」「全員で手を繋いでゴールするという選択肢がある」「手を挙げることで横断歩道が渡れる」
 それでも、ホームの床にはちらほらと政治団体の刷ったビラが落ちている。駅のどこかで撒かれたものが、打ち捨てられているのだ。ほんの少しの間停車し、また列車は動き出す。
「ところで君は、どこから来たんだい?」
 老人に突然訊ねられ、マサヒロは口の中に残っていた月餅を茶で流し込む。
「僕は、奥多摩です。出身がそこなので」
「へえ、いいじゃないか。東京じゃ、緑の多い所がかえって貴重だからなあ」
「でも、その分いまいち東京で育った感じがしないんです」
「そりゃそうだ。奥多摩と二十三区じゃまるで別の場所だ。……その寄せ書きも、地元の友達が書いたんだな」
 マサヒロの膝の上に置かれた寄せ書きをちょっと見て、老人が言う。孤児院の子どもたちが書いたものなので、正確には友人ではない。だが、それをわざわざ言うほどでもないので、別に否定もせずに老人の言葉を流した。
 寄せ書きに書かれている言葉は日本語だけではなく、中華語や朝鮮語も混じっている。マサヒロはそれらが読めないので、日本語以外の言葉は、あとで辞書を引くことにしていた。孤児院には、中華や朝鮮で生まれ、事情を抱えてやってきた子どももいる。
 そして当のマサヒロも、日本語を話してこそいるが、自分が日本人である証拠を持っていない。彼は生まれて間もなく、孤児院の前に捨て置かれていたからだ。
 親も、自分の戸籍の所在も分からない。マサヒロという名前も、便宜上のものでしかなかった。日本語を話しているから日系を名乗っているだけで、実際は中華系もしくは朝鮮系の人間かもしれない。
ダイトーアでは、同じような境遇を持つ人間が少なからずいる。彼らは、かつての戦火によって親を亡くし、自分の出自を表す正確な書類も失われてしまったのだ。だからこそ、マサヒロも自分に限った話ではないと理解していた。
 列車は吉祥寺に停まる。ホームには、ところどころ壁に政治的な張り紙がされていた。落ちたビラも、国分寺より数が多い。プリンターで刷られたものが大半だが、中には古めかしいガリ版刷りのものもある。
 吉祥寺という街だけあって、ビラの内容も若者の言葉で綴られたものが大半だ。「みんなで叫ぼう遺憾の意」「極めて尊いダイトーア」のような現代風の語句が、列車の中からも見える。それらを全て読み切る前に、列車は動き出す。
 今度は、寮母が書いた手紙に目を移した。孤児院にいた頃、仕事に就くため院を出る年上の孤児たちに向け、寮母は必ず手紙を渡して送り出していた。それを今、自分も持っている。この手紙がおそらくは、自分が親なのだという寮母からの気持ちなのだろう。確かに、何もないよりはましだと思えた。
「お節介だろうけど、向こうに着いたらみんなに返事を送りなさいよ」
 老人の言葉に、マサヒロは素直に答える。
「もちろんです。ひと段落着いたら、すぐにメールでも送ろうと思います」
「それもいいが、一通くらいは手紙を送ったほうがいいと思うよ。なんだかんだ言って、紙で読む言葉が一番記憶には残るだろうから」
「そうしてみます。だけど、……中華や朝鮮の友人もいるんです。さすがに中華語やハングルで書くのは、難しいかもしれませんね」
 話のつじつまを合わせるためマサヒロは、あくまで友人から手紙をもらったという体で話す。すると、老人は穏やかに笑った。
「無理せず、自分の言葉で書きなさい。慣れない言葉を使うと、むしろ何を書きたいか伝わらないじゃないか」
 その言葉に、マサヒロはちょっと安心した反面、どこかわだかまりがある。
――本当の自分の言葉とは、何なのか――。
日本語を話しているのだから、それが自分の言葉だとは思う。たがそもそもマサヒロは、本来中華語や朝鮮語を話しているべき人間だったのかもしれない。そんな思いが、ほんの少しだけ首をもたげてくる。
考えを巡らせるマサヒロをよそに、列車は高円寺に停まる。ホームに掲げられた企業の看板は、上から勝手に貼られた政治団体の張り紙で隠れてしまっていた。張り紙の中には、ホームの看板にできないような俗悪な文言が書かれたものもある。
「人民の資産はたいてい国庫に属する」「何にとは言わないが火をつけてしまう」「支配層の尻を蹴れ」「総合的に判断する」
 しかも、列車のドアが開いたのを見計らって、若い男がさっと車内に駆け込んできた。
「失礼シマス! チョット前スイマセン!」
男が叫びながらやってくるので、マサヒロは何かと思った。男は誰彼構わずプロパガンダのビラを手渡し、車内にまき散らし、風のように反対側のドアから走り去ってしまった。その直後、ドアが閉まり列車が動き出す。
「今のは、何だったんですか?」
 突然の出来事に、マサヒロは老人に訊ねるが、老人は別段驚くような表情を見せていない。
「ああやって、問答無用で政治団体のビラを配る輩もいるんだ。電車の中にばら撒けば、嫌でもビラに目が行ってしまうからね……。都会じゃ、日常茶飯事だ」
 落ちているビラを、マサヒロはちょっと眺めてみる。日本・中国・朝鮮それぞれの言語で書かれたプロパガンダ広告だった。複雑な言葉やスラングばかりで、詳しい内容は分からない。
 列車はいよいよ、二十三区内に入る。ここがまさにダイトーアの中心部の一つであり、様々な思想戦が繰り広げられている、混迷と頽廃の街だ。
「……まもなく終点、新宿です。下一站新宿火车站、最后一站。タウム、チョンチャハルコスン、シンジュク。ジョンジョミニダ……」
 三か国語のアナウンスが入った。ここで降り、乗り換える必要がある。マサヒロにとっては、広大な都心の駅を歩くだけでも少し不安なものがあった。
 甲高く軋む音を立てて、列車が停まった。マサヒロは慌てまいと、他の乗客が降りていくのを確認してからゆっくりと立ち上がった。老人は、足元に気を配りつつ先に車内を出ていく。
「ではこれで。がんばりなさいよ」
 老人の挨拶に、マサヒロは黙って一礼した。
 新宿駅のホームに出ると、その瞬間からあらゆる情報が洪水のように押し寄せてくる。乗換案内、商品の広告、街角のニュース、店の看板、そしてプロパガンダの数々……。マサヒロは圧倒された。
 視界一杯にひしめく文字は、日本語だけではない。簡体字やハングル文字もあちこちにある。読み方を知らないマサヒロにとっては一種の模様にも見えるが、そのすべてが意味を持っている。ともすると、政治団体同士の対立をあおる危険なプロパガンダかもしれない。
 まるで、新人への手荒い洗礼だ。その中を、これから一人で立ち向かっていくのだ。
「明治創業の歴史を誇る観光バスで、何かしら楽しい東京見物を……」
「ダイトーアで一番のメガバンクが、全般的かつ包括的な安定的支援をお手伝い……」
「近代化の時代、リスク管理のもと行う尊王攘夷で……」
「国家が前進するために、労働者の決起と闘争で……」
「秋葉原に登場! 国粋主義アイドルユニット……」
「貧困層の強い味方。赤字覚悟で大サービス……」
周囲からは絶え間なく、雑多と混迷を極める音がする。その中をマサヒロは、向かい風に対抗するようにゆっくり進んでいった。

サークル情報

サークル名:一人の会
執筆者名:ジンボー・キンジ
URL(Twitter):@jing_boe_quing

一言アピール
シリアスとハチャメチャの割合、およそ6:4! 混迷と頽廃の近未来アジアが舞台のリパブリック・パンクSF「ダイトーアの歌」を引っさげ、東北・岩手より参上します。他にも短編集やら情報本やら道の駅本やらで、なんかもうしっちゃかめっちゃかです。助けてください。

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