庭のリンゴが実る頃

 手紙が届いたのは、秋のはじめのことだった。庭のリンゴが赤く色付き始めた頃だ。
「珍しいですね」
 配達員の青年は、そのリンゴの木を見上げて言った。
「背の高い木は育たないといいますよね。こういう、小さな開拓星では」
「そんなことないよ」
 僕はちょうど午後の農作業から戻ってきたところで、今日はもうゆっくり休むつもりだった。軽い食事でも、と誘うと、青年は喜んで、と答えた。こんな辺境の星に、客など来ない。僕は初対面のこの若者が、なぜか懐かしく思えて仕方なかった。
「大したものはないのだけれど」
 炒った麦を煮出したお茶と、今朝焼いたパンと、目玉焼き。鶏が増えすぎてしまって、卵だけは大量にある。牛やヤギはいないので、ミルクやバターはない。そのため、パンはごわごわした食感になるのだけれど、仕方ない。
「こういうところでは、実がなるまでに時間がかかる作物はあまり植えないんだ。すぐに実る穀物をまず試す。あらゆる穀物を」
「このリンゴは?」
「ただの道楽だよ。この星に来た最初の年に植えたんだ。将来の楽しみになればと思って。でも一度だめになった。今のは二代目」
 手紙は、シンプルなテキストメッセージだった。映像も音声もなく、画像のひとつも添付されていない。
 差出人は、地球に残してきた弟だった。
 書き出しには、今年で七十になる、とあった。とうに仕事はやめ、山あいのケアハウスで暮らしているのだ、と。
 それから、僕が旅立った後の日々が簡潔に記されていた。弟は地球で技師をしていて、宇宙船の整備を担当していた。僕が乗った移民船も、もしかしたら弟が整備してくれたものかもしれない。その後も定年になるまで勤め上げ、今は嫁と二人で静かに暮らしているという。
 手紙の結びには、こう書かれていた。
『この手紙が届く頃には、兄さんは遠い星に落ち着いて、好きな土いじりでもしながら暮らしていると思います。そのとき僕は、とうに永い眠りについていることでしょう。兄さんを見送った日のことは何度も思い出しました。二度と会えない人の幸福を願うこともまた、幸福です。どうかお元気で』
 郵便局の受付日は、二百年以上前だった。
 僕が低温睡眠状態で宇宙を旅している間に、弟は歳を重ね、一生を終えていた。それははじめから分かっていたことだから、別段驚くようなことはなかった。弟は弟なりに仕事をし、休みの日には釣りに行き、嫁さんと仲良く暮らしたのだろう。昔から釣りが好きで、よく友人たちと出掛けていた。地球を離れたくないという理由のひとつにも、それを挙げていた。
 出来ることなら、もっと沢山のことを聞きたかった。僕らの間に横たわる長い日々のことを。僕にはもう、それを知ることは決してできない。僕は何度も手紙を読み返した。
 この世界では時間の流れは同じではなく、それが広い宇宙をさらに果てしないものにしていた。この手紙が、どんな経路を辿って、この辺境の小さな星まで渡ってきたのかは分からない。きっとこれは僕の人生の中の、数少ない美しい出来事だと思った。
「なんで最初の木は、だめになっちゃったんですか」
 青年が、のんきに窓の外のリンゴの木を見て言った。お茶のカップは空っぽで、僕はそこにおかわりを注いでやった。
「薪にしたんだよ。そうするしかなかったんだ。この星に来て五年目に、ものすごい寒波がやってきた。それで、そこらじゅうの作物はみんな枯れたし、燃料も底をついてしまった。みんなで肩を寄せあって、最後に残っていたあの木を切ったんだ。はじめに枝を切って、最後には幹も結構ばっさりいった。道楽で植えたものだからね」
 それからすぐに、ほかのみんなはこの星を出ていってしまった。住めたものではない、またこんなことになったら死んでしまう、と。そのとおりだ。でも僕は残った。そして、リンゴもまた実っている。ずいぶん時間がかかったけれど。
「それで、返事はどうします?」
「返事?」
 青年の言葉に、僕は思わず聞き返す。
「相手はもういないよ」
「いてもいなくても、返事は書けますよ。こんな広い世界じゃあ、手紙なんていつ届くか分からないし、届いたところで生きているうちに返事がもらえるかも分からない。でも、ともかく僕らはどこかには届けますよ。受け取る人がいるなら、その人のところに。いなくとも、その手紙がしかるべき場所で眠れるように」
 それで、僕は数十年ぶりくらいに、手紙というものを書くことにした。

サークル情報

サークル名:エウロパの海
執筆者名:佐々木海月
URL(Twitter):@k_tsukudani

一言アピール
土には雨を、夜には言葉を。その一瞬に呼吸するものたちへ。静かなSFを書いています。

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