白銀のベール

 赤、黄、紫。色とりどりの花弁が、銀糸を織り込んだ花嫁のベールへ降り注いだ。
 この村の伝統的な婚礼行列が、緩やかな坂を上る。
 新郎新婦の先を歩く子供達が、常緑樹の枝を振る。枝先で、鈴が軽やかに鳴った。人生の先達は沿道に並び、寿ぎを口に上せる。花嫁の頬は、幸せな薔薇色に染まっていた。
 緑の葉を振るには大人で、沿道から声をかけるには若輩のサラーナとモドゥは、木の上からこっそりと行列を見ていた。
「綺麗だなぁ」
 うっとりと呟くサラーナの口ぶりには、憧れが溢れていた。
 モドゥは、日に焼けた頬に熱さを感じた。横目で、彼女を見下ろした。
 農作業で乾燥したサラーナの長い髪が、ふわふわと輪郭を縁取っている。風で頬にかかるのを、泥の落ちきらない指で耳にかける。ちょっと前までは何とも思わなかったサラーナの横顔が、指先の動きが、モドゥの胸を騒がせる。変な病にでも罹ったのか、心臓が痛いくらいドコドコ胸を突き上げる。
「サラーナも、花嫁になりたいんか」
 素っ気無く言えば、サラーナも邪険に言い返す。
「そうは言ってない。綺麗なもんを綺麗って言っただけ」
「俺が」
 モドゥは急に声が出なくなった。喉に芋が詰まったように、息苦しくなる。
「お、俺が、サラーナに、あんなベールを被せてやらぁ」
「無理、無理。あたしらの暮らしじゃ、銀糸のベールは買えないっしょ」
 鼻で笑われ、モドゥはムッと頬を膨らませた。
 一理ある。
 あの新郎新婦は、村の中でも裕福な一族だ。毎日、地面を這ってやせた土を耕し、ようやくその日の食べ物にありつける、ふたりの家族とは違う。
 花嫁のベールは、銀糸である必要はない。従姉の婚礼では、麻の洗いざらしに刺繍をしたベールだった。
しかし、モドゥは、逞しくなってきた胸襟を、拳で叩いてみせた。
「俺は、兵士になる。今度の募集で国境警備兵になれば、稼げる」
 サラーナは、首まで紅を被ったように赤くなった。
「昇進すればの話でしょ。あたしに、骨になるまで待てって言うの?」
「そんなことないさ。三年もすれば、綺麗なベールくらい買える。その時は」
 モドゥは、続けて言おうとした言葉を飲み込んだ。
「何よ、何か言いかけたでしょ」
「なんでもないよ」
 モドゥは、振り上げられた拳を掻い潜って幹を滑り降りた。
 その時は。
 サラーナは、もっと綺麗になっているに違いない。

 麦の植え付けを始める時期に、国境警備兵の募集が出た。公言したとおり、モドゥは兵士になった。
 村の側を通る街道を行けば、国境に沿った城壁が聳えている。深い森を挟んだあちら側は、近隣の小国を次々に飲み込んでいる大国だ。モドゥたちの国も、いつ侵略されるか分からない。毎日、厳しい訓練が繰り返された。
 幸い、ここ数年は、比較的穏やかな関係が続いている。大国は、この国の反対側、北方の属国が起こした乱の対処に忙しい。
 モドゥが配備されて一年が経っても、緊迫した事態は訪れなかった。油断はならないが、訓練の合間には、方々の村から集まった若者たちが放つ、まったりとした活気が城壁内に漂った。
「郵便だよ」
 月に一度の配達員が、大きな麻袋を床へ置いた。途端に、手の空いている若者が群がった。
 故郷からの手紙、好物、服。
 今月もモドゥには、封筒に入った木の葉が届いた。幅の広い、肉厚な葉だ。婚礼の列に見とれるふたりを大人の目から隠し、村を発つ日に見送りにきたサラーナと交わした口付けを見下ろしていた木の葉だ。
 モドゥもサラーナも、自分の名前以外の文字を読み書きすることができない。封筒に入っていたのは、この葉のみ。それでも、虫食いひとつない、綺麗に表面の埃を拭われた艶やかな葉からは、サラーナが今でもモドゥを想う気持ちが伝わってくる。
 摘まんだ葉柄を指先で回し、モドゥの頬が緩んだ。
「なんだ、彼女か」
「いいねぇ」
 周りの冷やかしに、鼻の下を擦った。
 突然、警笛が鳴り響いた。
「裏切り者だ。内側から門が!」
 駆け込んだ若者が倒れた。背中に深々と剣が刺さっていた。
 雪崩れ込む大国の兵。
 突然のことに、実戦慣れしていない若者たちは右往左往した。
 モドゥも、そのひとりだ。うろたえ、立ち尽くす。
 背後で剣が擦れる音を聞いた。
 咄嗟に飛びのく。
 肩へ焼きつくような痛みが走った。振り返れば、郵便物を届けてくれた同志が、血に汚れた剣を上段に構えていた。
「悪いな。もう、貧乏に飽きたんだ」
 再び剣が振り下ろされる。床を転がり、辛うじて避けた。他にも、数名の同志が国境警備兵に襲い掛かっている。
 国を売れば大金を払うとでも言われ、甘い言葉に乗ってしまったのだろう。ここで作戦が成功すれば、彼らは平穏な将来を手にできるかもしれない。
 だが、今まで守ってきたわが国は、村々は、どうなる。
 大国は、抵抗するものに容赦しない。しかし。
 いきなり踏み込んでくる兵に、全くの抵抗をしない人間がどこにいる?
 目の前で恋人や娘が辱められ、殺されるのを見せ付けられて、怒りを覚えない人間が、どこにいる?
 村人たちは、貧しいなりに自分たちの伝統を守り、ささやかな幸せを紡ぐことに誇りをもって生きている。
 大国の兵を、食い止めなければいけない。どの村へだって、たどり着かせてはいけない。
 モドゥも剣を抜いた。村を、サラーナを守りたい一心で、懸命に戦った。

 尾根の木の上から、サラーナは燃え尽きた村を見下ろしていた。穏やかな日差しを浴びながら、村だった場所にあるのは灰と炭ばかり。
 昨夜のことだった。突如、大国の兵が攻め寄せた。
 村長はサラーナたちに逃げるよう言うと、畑に大量の油を撒いた。そして、家屋へ火を放った。
「わずかな富であろうと、奴らに渡すものか。おぬしらは逃げ、身を隠し、生き延びて、この村を蘇らせてくれ」
 長の志を抱き、サラーナたちは逃げた。
 途中、大国の兵に見つかった。森へ逃げ込み、無我夢中で走り、気が付けばひとり、木の枝にかじりついていた。
 たくさんの村人が命を奪われた。モドゥの家族の消息も分からない。
 あれだけの兵が、国境を越えてきた。警備兵は、モドゥは、無事なのか。
恐怖と不安に震えながら、サラーナは木から下りた。
 尾根を登ってきた村人の生き残りに、サラーナは声をかけた。顔見知りの彼は、煤にまみれ疲れた顔で、彼女を誘った。
「サルジェの村に知り合いがいるんだ。一緒に行かないか」
 しかし、サラーナは首を横に振った。
 生きていれば、モドゥは必ずここに帰ってくる。そのとき、誰もいなければ、ひとりで悲しまなければならない。せめて、モドゥの安否が分かるまでは、ここで待っていたい。
 この村は、国境から最寄りの町を結ぶ街道が側を通っている。帰還する警備兵が通ることもあるだろう。近くの森では、サラーナひとりが食つなぐくらいの食料が手に入る。
「私は、モドゥを待つ。約束したから」
 村人は、持ち出した食料の一部をサラーナに譲って、去っていった。
 その後も、どうにか生き延びた村人が尾根を越えていった。幾度か、一緒に新しい土地へ行こうと誘われた。だが、サラーナの気持ちは変わらなかった。
 モドゥを待つ。生きて戻ると、信じている。
 サラーナはひとり、廃墟と化した村の跡を見下ろす尾根で、モドゥを待ち続けた。

 木枯らしが吹く頃、杖をついた国境警備兵が街道を登ってきた。
「モドゥを、モドゥを知ってませんか」
 駆け寄ったサラーナの問いに、彼は無精髭だらけの顔に人の良い笑みを浮かべた。
「ああ、知っているよ。命の恩人だ。俺は一足先に歩けるようになったからこうして故郷へ帰るところだが、それまでは一緒の療養所に居た。彼も怪我はしているが、じきに帰ってくるよ」
 モドゥが生きている。ひとり抱えていた不安が吹き飛び、サラーナの体に活力が満ちた。久しぶりに生き生きと輝く瞳で、木を見上げる。そうしなければ、嬉し涙が止めどなく流れ落ちそうだった。
 彼も、自分が書き置きをするから、共に近くの村で待っていないかと言ってくれた。
 サラーナは、丁寧に断った。モドゥは字を読めない。
 モドゥが帰るまで、あと少しなのだ。今までずっと待っていた。待つ時間が少し増えるくらい、なんとも思わなかった。
「ありがとう。だけど私は、ここで待っている」
 元警備兵は、自分が着ていた上着を、サラーナの肩にかけて去った。

 それから月が三度満ち欠けを繰り返したが、モドゥは戻ってこなかった。街道を行く警備兵も、それきりだった。
 サラーナは、焼け跡から見つけた火打ち石や鍋を使って暖をとり、待ち続けた。

 若葉の季節がきた。木は、鮮やかな赤い花をいっぱいに咲かせた。
 うつら、うつらしていたサラーナは、懐かしい声を聞いた。跳ね起きれば、月光に照らされた尾根を登る国境警備兵の姿があった。
 モドゥだった。兵役に出たときと同じ笑顔で、尾根を登ってくる。
「遅かったじゃない」
 喜び、抱きつくと、モドゥは顔を顰めた。慌てて、サラーナは体を離した。彼が怪我をしたことを、すっかり忘れていた。
「ごめんよ、遅くなって」
 それでも、モドゥの顔には、再会の喜びと安堵の笑みが溢れていた。
 サラーナの傷んだ髪の縁が、月光を吸い込んで白銀に輝いた。やつれた顔を縁取る。それはまるで、いつかふたりで見た、婚礼のベールのようだった。
 眩しそうに目を細めて、モドゥが手を差し出す。
「さあ、行こう」
 サラーナは頬を染め、頷いた。細くなった手を重ねる。
 風が花を揺らし、赤い花弁を降らせた。
 月の光が、道を照らし出す。
 どこからか、鈴の音が聞こえてきた。子供のはしゃぐ声がした。いつのまにか、道の両側に人影が並んだ。口々に祝福を述べる。ふたりは、互いに見つめ合った。幸せに満ちた笑顔だった。
 指を絡めあう。もう、引き裂かれる恐れは、どこにもない。いつまでも、どこまでも、ふたり一緒だ。
 婚礼の列は、登っていった。輝く道を、尾根の上へ。そして、その先の、月へ向かって。
 軽やかな鈴の音は葉擦れの音となり、月明りに照らされた尾根に、花弁が静かに降り注いでいた。

<了>

サークル情報

サークル名:かみ☆たからばこ
執筆者名:かみたか さち
URL(Twitter):@kamitakasach

一言アピール
切ない話、メリバが好物です。
どん底に落とされても諦めず、足掻き、逞しく生きていく姿を描くのも好きです。
積み上げたエピソードを漏れなく伏線に仕立て上げ、クライマックスから怒涛の展開を繰り広げるのは、もはや性癖です。

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