手書きの感染経路
スーパーマーケットと自宅のちょうど真ん中あたりに位置する公園はいつもと変わらないように見えた。
四方を民家に囲まれた長方形のスペースは、芝生で覆われた広場と遊具が点在するエリアにおおまかにわかれている。いずれも手入れの度合いは最低限で、ケヤキの枝はブランコの上に覆い被さるよう生い茂り、ベンチの脚は背丈の高い雑草によってほとんど見えなくなっていた。
平日の昼間、公園を訪れる人はほとんどいない。かろうじて奥まった場所にあるベンチで郵便配達員と思しき中年男性がコンビニ弁当をつついていた。
公園の入り口には公衆電話がある。透明な壁によって緑色の電話機と一人分の通話スペースを確保した電話ボックスは携帯電話の普及によって街からほとんど姿を消してしまった。しかし、災害用の設備として最低限残しておくような決まりでもあるのだろう。少なくとも私はこの電話が使われているところを一度も見たことがない。四角く、透明なオブジェのようなものだ。そこにあるけど、そこにない。風景の一部。
だから、それに気が付いたのは本当に偶然で、かつ奇跡的だったと言っていいだろう。
電話ボックスの透明な壁に紙が貼り付けられている。最初はそう思った。そうであれば、悪質ないたずらだな、とも。けれど、よく見ればそれは外側ではなく内側にあり、しかも便せんぐらいのサイズの紙をご丁寧に三つ折りにしてテープのようなもので留めているようだ。
手紙だ。
直感的にそう思ったのは日の光の下で、裏側に書かれた文字の羅列がうっすらと透けて見えていたからだ。何が書いてあるかまではわからない。けれど、行間を空けることなくびっしりと敷き詰められた文字はパソコンなどで打ち出されたものではなく、手書きのように見えた。手書きの手紙。最近、滅多に見かけることはなくなったが、存在しているところには存在しているのだろう。
そのときは両手に買い物袋を提げていたこともあって、特にそれ以上追求することもなく通り過ぎ、家に帰る頃には手紙のことなどすっかり忘れていた。いつもと同じような午後、夕方、夜を過ごし、やがてまたやって来た翌日。
まだ、手紙はそこにあった。
いや、違う。
手紙は張り替えられていた。
昨日は真っ白な便せんだったはずが、今日は茶封筒のような色合いに変わっている。相変わらず紙自体が薄いのか、文字が透けて見えていたが、その内容が昨日と同じかどうかまではさすがにわからない。昨日の手紙はどうなったのだろう。誰かが受け取ったのか。今日の手紙は受け取った誰かの返信か。それとも、手紙は受け取られないまま、張り替えられているのか。
今度は家に帰っても手紙のことは忘れなかった。けれど、考えても答えの出ない問題ほど歯ごたえのないものはない。
結局、私は考えることを放棄した。手紙のことなど、見なかったことにするべきだ。忘れよう。忘れたい、とそう思っていたはずなのに。
今日は用もないのに公園の前に立っている。
休日の公園は多くの人々で賑わっていた。家族連れ、小学生のグループ、ベビーカーを連れた母親たち。各々の休日を満喫する人々を横目に、私の頭の中の疑問符は増殖を続けていた。
また、手紙が張り替えられている。
今日の便せんは薄紅色をしていた。うっすら透けた文字が一字分の余白も許さぬよう、びっしりと並べられている。誰かから誰かへの手紙。誰かから誰かへの返信。それはきっと私宛てではない。間違いない。
けれど、私はその好奇心を抑えきることはできなかった。
天気は良好。雲によって日差しが陰る気配もなく、声をあげれば届きそうな位置に見知らぬとはいえ人が大勢いたことも私の背中を後押しした。
電話ボックスの扉を開ける。
むわ、とこもった空気と独特の埃のような、ふやけた紙のような匂いが鼻をつく。便せんはちょうど目線の位置に貼り付けられていた。三つ折りの手紙は今にも折り目からばらりと崩れて、テープを弾き飛ばしてしまいそうだった。
だから、それを「拾って」しまってもしかたない。
そう、脳裏によぎったときにはもう、手の中に手紙はあった。かさついた指先で乾いた紙をそっと開く。電話ボックスの透明な壁があらゆる音を遮断した。喧噪は遠ざかり、世界でたった一人手紙と向き合っているような錯覚に陥る。
一瞬、その文字列が理解できなかった。
あまりにも同じ形の文字を見ているとそれを正しく認識できなくなるという現象だろう。けれど、手紙の書き出しの部分を見れば、簡潔な文章はあっさりと読むことができた。そこには、同じ文字が一字一句違わず、一文字も一行も空けることなく、ぎっしりと綴られていた。
「読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな読んだな」
ぞわりと悪寒が駆け抜けた。確認はしていないが、二枚目三枚目にも同様の文字が書いてあるのだろう。意味はわかる。けれど、理解が追いつかない。言いようのない気持ち悪さがそこにはあった。
手紙を取り落とす。コンクリートの床に落ちたそれはまるで口を開けた化け物のように文面を上に向けて微動だにしなかった。とてもではないが、拾い上げる気にはならない。ただ、逃げるように電話ボックスから飛び出した。
そこからどうやって家まで帰ったかは、正直よくおぼえていない。
逃げ帰るように家に戻り、いつものように手を洗い、便せんを探した。枚数が心許ない。文房具屋で買い足す必要があるかもしれなかった。ペンはなんでもよかったが、書きやすいボールペンを引き出しの奥から引っ張り出した。書斎なんてスペースはないから食卓に座ってひたすらに書く。一枚、二枚、三枚。食事の時間すら惜しかった。とにかく書かなくてはならない。一文字も一行も空白を設けることなく、書いて書いて書いて、誰かに読んでもらわなくては。手紙は届かなくては意味がない。読まれるまでは意味をなさない。だから、絶対に「あなた」が読むまでは。
「読んだな?」
サークル情報
サークル名:棘屋
執筆者名:瓜野
URL(Twitter):@baraniku_i
一言アピール
人間と人間でないものが、交わったりすれ違ったりするお話を書いています。現代から異世界ファンタジーまで世界観も登場人物もいろいろ。お手に取りやすい短編集が多いです。