文字を乗せた紙飛行機

「何をしているんだい」
 問う青年の声に、幼い少女は振り向いた。
「かみひこうきをとばしているの」
 それは誰が見ても一目瞭然だった。けれど、青年が不思議に感じたのはそこではない。
 少女は確かに紙飛行機を飛ばしている。けれどおかしいのは、そばに置かれた紙と既に作られた紙飛行機の量だ。まだ折られる前の紙もただの紙ではなく、拙い文字がびっしりと敷き詰められている。
 折られている分だけで10個以上はあるだろう紙飛行機も、よく見れば文字が書いてあるのがわかる。そんなものをひたすら飛ばし続ける少女を、通りがかりのお節介な青年は疑問に思ったのだ。
「それ……手紙、じゃないのかい?」
「うん。てがみ」
「どうしてそれを飛ばしているんだい? 君が書いた文字のように見えるけど」
 一瞬の沈黙の後、少女はまだ紙飛行機を飛ばしながら呟いた。
「もうどこにもいけないから」
 今度は青年が沈黙する番だった。もうどこにも行けない、とはどういう意味だろう。様々な意味で取れてしまうその言葉の正確な意味は、一瞬で察するには難しいものだった。
 少女は紙飛行機を飛ばし続ける。数が減れば、また紙を折って新しい紙飛行機を作る。
「てんごくは、おそらにあるんでしょう」
 突然、少女がぽつりと言葉をこぼした。生憎、青年は天国や地獄の在り処など信じるタイプではなかったが、幼い少女の言葉を否定できるほど残酷ではない。青年は「そうかもしれないね」と曖昧な言葉を返した。
「ひこうきは、おそらをとぶものでしょう」
「……そうだね」
 
 いくら察 しの悪い人間でも気付くような、少女の態度。
 少女は、きっと誰か大事な人を喪ったのだ。
 一心不乱に手紙を空に送り続けたくなるほど、大事な人をーー。
 少女は青年の方に一度も振り向きはしなかった。青年もまた、少女の顔を覗き込むような無粋な真似しなかった。けれど、雨でもないのに少女の足元にポツポツと水のこぼれた跡があることには、気付いた。

 少女が紙飛行機を、空へ飛ばす。
 しばらくは風に乗って飛んでいたそれも、すぐに浮力を失って当然地面に落ちる。飛ばせば飛ばすほど、どの紙飛行機も平等に地に落ちてゆく。
 青年が辺りをよく見渡せば、少女が投げたであろう紙飛行機はあちらこちらに散らばっていた。風に吹かれたせいか同じ場所には落ちていないが、それでも「遠くへ飛んだ」とは言い難い距離に落ちている。
 紙を折ってただ紙飛行機を飛ばす少女のその姿は、ひたすらに無気力なように見えた。肩に力など込めず、腕を大きく振るでもなく、ただ惰性的に紙飛行機を飛ばし続ける。
「諦め」の見える、物悲しい姿だった。少女は、紙飛行機が空に届かないことを、自分の想いをしたためた手紙が天国へは届かないことを、幼いながらにもう理解してしまっているのだ。

「……手伝おうか」
 あまりの悲壮感に、青年は無意識にそう言っていた。けれどその言葉を聞いた途端、少女は青年の方を向いて、怒鳴るようにがむしゃらに叫んだ。
「わたしじゃないといみがない‼︎ しらないひとがとばしてもおかあさんきづいてくれないもん‼︎ じゃましないでっ‼︎」
 今までの無気力さから一転し、持てる力全てで怒る少女に青年は驚く。……けれどその言葉も尤もだ、とすぐに気付いて、ただ「ごめんね」と謝った。そしてすぐに、少女の前から立ち去ることにした。
 去り際に見た少女はまた、無気力に紙飛行機を飛ばし続けるだけの機械に戻っていた。けれど自分にはできることはないのだと、先ほどの少女の怒りようを思い出して、ただ少女を背に歩き続けることしかできなかった。



 少女が見えなくなるほど歩いた頃、道路の片隅にぐしゃぐしゃの紙が落ちていた。きっと車に轢かれたのだろう、けれど元が紙飛行機であったのだと青年はすぐに気付いた。見覚えのある幼い文字が書かれていたからだ。
 運良くか悪くか、風に飛ばされてここまで転がってきたのだろう。何も、空にいる間だけ風に吹かれるわけでもない。地面に落ちた後も、再び飛ばされることだってある。
 咄嗟にその紙を拾い上げて、青年は横断歩道を渡り切る。
 ……中身を、しかも人の書いた他人宛の手紙を勝手に読むのは失礼だと、道徳がないと自分でもよくわかっていた。それでも、中途半端にあの子に関わってしまった以上、偶然自分の手元に転がり込んできたそれが気になって仕方がない。
 何が少女をあそこまで駆り立てるのか。少女がどうしても天国に送りたい手紙とは、なんなのか。
 諦めがついてもなお、諦め切ることができずに手紙を空へ送りたがる理由とはなんなのか……心の中で「やめろ」と叫ぶ良心に目を瞑って、青年はぐしゃぐしゃの手紙を開いてその中身に目を通した。

『おかあさん。たすけて。たすけて。おかあさんがいないと、おとうさんがおかしくなります。わたしのことをおこります。いたいこともします。ごはんもたべられないときがあります。たすけてください。かえってきて。おかあさんがいないと、おとうさんもわたしもなにもできいません。おとうさんはおこることしかできません。どうしておいていったの。わたしもつれていってください。てんごくはすごくきれいでいいばしょなのでしょう。わたしもそこへいきたい。おとうさんもそこへつれていきたい。おかあさん、むかえにきて、たすけて、わたしもつれていって、おねがいします。やさしいおかあさんならきてくれるとしんじています。おかあさん……』

 ーー自分はなんて楽観的だったのだろう。青年は、元来た道を走って戻っていた。
 青年が勝手に思い描いていたストーリーとはあまりにかけ離れた、ショッキングな手紙の内容。
 勝手に思っていたのだ。母親を亡くした娘が、母を想って手紙を天国へと飛ばしたがっている、物悲しく感動的なストーリーだと思っていた。けれど現実は全く違っていた。紙飛行機に乗せられたのは、たったひとり信頼できるーーもうこの世からいなくなったーー母親への最大級のSOS。
 青年は、これほどまでに自分の甘い考えを悔やんだことはなかった。あの時、紙飛行機を1枚だけでも開いて中身を見ていれば……。少女の様子のおかしさを、明らかな異常だともっと早くに気付いていれば。後悔してもしきれない思いが、青年の頭を支配する。
 とにかく早くあの場所に戻らなければ。今の自分では、このことを誰にも知らせることが出来ない。少女の名前すら知らない今では、あの手紙を見せたところで警察も児童相談所も動けないだろう。
 とにかく青年は走った。

 ーー走った。けれど、戻った場所にはもう少女はいなかった。
 辺りを見回しても、散らばった手紙と紙飛行機だけ。少女が落としたはずの涙の跡は、もうとっくに乾いてしまっていた。
 散らばった手紙に、ふと視線が行く。そこに書かれていたのは、先ほど道路で拾ったそれとほぼ同じ内容だった。

『おかあさん』
『たすけて』
『どうしておいていったの』
『むかえにきて』
『いっしょにいきたい』
『てんごくにいきたい』
『おとうさんもいっしょに……』

 散らばった手紙全てに書かれた、同じ内容。手掛かりがないか、と落ちている紙飛行機を開いてみても、全て同じ内容だった。少女の名前すら、手紙には書かれていない。
 天国の母親に届けばいいのだから、自分の名前をいちいち書くはずもない……。納得している場合ではないが、確かにそうだろうと青年は歯を食いしばる。
 まだ近くにいるのではないかーー、そう思って近辺を探したが、少女の姿は一向に見当たらない。
 ーーどうしようもないのか、もう。
 たった一瞬同じ場所に居合わせただけの部外者としてやれることはやった。まだ周囲の人々に聞き込みをするという手段も残されているが、名前も知らない少女について根掘り葉掘り調べているとなれば、こちらにも疑いの目が向くことは間違いないだろう。青年にできることは、然るべき機関にこの手紙と少女について伝えることぐらいか……。
「くそッ!」
 どうしたって時間がかかってしまう。それどころか、あの子が助かるかもわからない。それでも、自分に出来ることがないのもまた事実だった。
 これ以上はどうすることもできない。それでも青年は居ても立ってもいられず、近くに落ちていた紙飛行機を掴んで、できるだけ遠くに飛ぶように風に乗せ、かつ思いっきり投げた。

(さぞ優しい母親だったのでしょう。貴女がいた家庭は幸せだったのでしょう。けれど今、その幸せな家庭が崩壊しかけている! 俺はただすれ違っただけの人間で、あの子の言うとおり俺の飛ばした願いなど聞くに値しないかもしれない! それでも、届いてくれ‼︎)
 
 無茶な願いを乗せたそれが飛んだ瞬間、強い風が吹いて、紙飛行機は一瞬で風にさらわれていく。
 少なくとも、青年の視認できる範囲で紙飛行機が墜落することはなく、強風に揉まれるかのようにそれは遠く、また遠くへと飛ばされていったーー。

サークル情報

サークル名:いないいないばあ
執筆者名:稲尾みい
URL(Twitter):@inao_inao17

一言アピール
この作品のような「仄暗い」「急展開」の要素が大好きな個人サークルです。
取り扱うのはだいたいシリアス話です。手放しのハッピーエンドがない。新刊「機械少女の終末医療」もそんな感じです。よろしくお願いします!

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