出せなかった手紙
やあ、元気かい。あれから十年経ったね。
ルヴェルナウタは相変わらずだよ、今日も番人さまは船出を見守っておられる。
そうだ、幸運なことにね、あの時書いてたあたしの大事な原稿がさ、去年本になったんだよ。装身具屋の碧森堂が新事業として二年前からやってる出版部門の開設にかこつけてさ。担当のクエルドさんが超いい人でさ。いやあ、発行されるまで相当のんびりだったけれど、努力してきてよかったよね。色んな人に自分の言葉が届くのって、心が押し潰されそうだけれど……どうしてもさ、言葉って、考え方に影響を及ぼして、受け取り手の行動や言動が突然変わったりするじゃん。怖いんだよ。言葉って不完全で未熟なんだなっていう実感が沸いてきちゃって。別にさ、あたしや本が酷いことを言われたわけじゃないけれど、何かを書こうとすると、本当にこれでいいのかな、って立ち止まることが増えた。
この言葉でいいのかな、この言葉で伝わるのかな、って。
小説だから余計に。
前は何とも思わなかったのにね。君と出会ったからかなあ。君さ、考える人じゃん。それと比べたらさ、前のあたしはちょっと思考停止しすぎてたきらいがあったなって。いや、今のあたしもまだまだ思考力が足りてないんだけどね。
次はねえ、ルヴェルナウタの番人さま……もとい、シルダ家に連なる英雄の、アルクス・シルダ様の話にしようと思うんだ。三千年以上前、人間は生き残るために竜と争っていて、シルディアナって言われているこの一帯を勝ち取ったっていう話は知ってるでしょ。アルクス・シルダ様は、争いの時代の終盤も終盤、最終局面、最後に残った黒い竜を倒した人のことね。
ルヴェルナウタの博物館にさ、番人さまと密な関係があったっぽい女の人を描いた骨絵が収蔵してあるんだよ。女の人、番人さまの子供を産んでたらしいのね。で、それがまたいいネタになるんじゃないかと思って、時々行って忘れないようにしてるんだよね。悲恋なんだけど。あたし、悲恋好きだし。というか、厳密に言うなら未来のある感じの悲恋? 子供が生まれるなら、なんかまだ救いがあるかなって。
あ、骨絵わかるよね? 十二月半ばから一月半ばまでって乾季から雨季に変わる境目じゃん、君、季節の変わり目に体調崩すって言ってたよね。その時って世界中に離散してた先祖の力が還ってきてちょっと復活するでしょ。それに合わせて首都で竜骨祭あるじゃん、その機会にさ、子供が竜の骨に先祖の絵とか描くやつ。まあ知ってると思うけれど、竜骨祭ってさ、本当に古くから続いてる祭りなんだよね、だから博物館に骨絵が収蔵されるんだけど。連れて行ったノアも骨絵に嵌まってるなあ……首都とかの博物館には展示されてないんだよね、シルディアナじゅうの子供が描いた骨絵の最優秀を決める大会は首都でやるくせにね。
番人さまの近くでやったらまずいことでもあるのかな。
あ、そうだ。手短に、簡潔にいこうか。ノアって誰だよって思っただろうし。
あたしね、君と一緒にいたあの夏にね、妊娠していたんだ。君と別れてから九ヶ月後に男の子を生んだよ。
この件について、君が責任を取る必要性は一切ないからね。君は、あたしと、息子の為に何とかしようとしなくていい。シルディアナは親がいなくたって子供がちゃんと育つ国だからね。下等学舎までは国が費用を出してくれるし、片親の子には補助が出るし、親なしの子だって綺麗な家で暮らせる……ついでに、郡としてのルヴェルナウタはね、中等学舎まで無償にするっていう制度ができたし。そしたらさ、これから育つ子供のさ、やりたいことやできることの選択肢も相当多くなるじゃん。
……なんか、ならこんなものを書いて寄越す必要性は何なんだよ、っていう話だね。ごめんね。それでも、君には伝えておきたかったんだ……どうしてだろう。
あれかな、大変だけど楽しいから大丈夫だよっていう報告?
ノヴァニス、が名前ね。みんなノアって呼んでる。あたしも呼んでる。
産むときは死ぬんじゃないかっていうくらい痛かったけど、産んでからが本番だったよね。赤ちゃんってさ、すっごい泣くし、全然寝ないし、乳首を吸う力が強すぎて授乳する時は毎回痛かった。ちょっと育ってからも凄かったよ。あれが嫌だー、これが嫌だー、っていう主張は周りの家の子よりも激しかったんじゃないかな。あと、夢中になったらずっとそればっかりやってるね。
あたしさ、絵でもやろうかと思って、働き始めの頃に割と高い絵画道具買ってたんだけど、結局開封すらしてなくて。忘れてたのよ。
でもね、ノアが見つけたの。三歳の時に。かあさんこれなにー? って。
だから一式全部あげたわ。
そしたらさ、画材が三倍に増えたよね。今さ、ノアは九歳なんだけどさ、十二歳になったら四倍になるのかな。十五歳になったら五倍かな。家買えるくらい原稿書かなきゃ。画家とかさ、なってもならなくても、ずっとやってることをずっとやれる環境でありたいよね、少なくともあたし自身が。あたしも好きなことに相応しい環境を整えて好きなことをやって稼いでるしね。
もうね、かわいいんだよ、ノア。
いや、あのね、産まれた時から全然あたしに似てなくて笑っちゃった。鼻とか、目とか、ぜーんぶ君そっくりなんだけど。君の小さい頃ってこんな感じだったのかなって思って。
子供ってあれだ、すっごい泣くね。あたしこんなに泣いてた記憶ないけど。君もそんなに泣くような人じゃなさそうだけど。
いやあもうね、近所の人がみんな助けてくれるから、本当に有難いよ。みんな言ってくれるの。かわいい、って。かしこい、って。しっかりしてる、って。
君に似たのかなあ。
ノアね、かわいいんだよ。本当にね。
読み返すとまあ相当自分勝手な報告だよね。あたし、やっぱり変わってないのかな。ごめんね。
あたしは幸せだよ。だから心配しないで。あたしに関しては、後悔しないでね。
君はあたしに沢山のものをくれた。
本当はさ、還さなきゃいけないんだよね。
本当はさ、あたし、全てをなげうって君に何もかも差し出したいけれど、もう会うことはないだろうなあって思うよ。
会う勇気がないというか、会おうって言う勇気がないな。
結局さ、怖いんだよね。君に拒絶されるのがさ。
もう誰とも付き合う気もないよ。他の人を好きになったり、恋したりすることもないだろうなあ。
母親だからとかじゃなくって、君以外の誰かと一緒にいたいと思わないんだ。
でもなあ、なげうつのもいいけど、あたしには、ノアがいるんだよねえ。
万が一のことがあっても国とか郡の制度が何とかしてくれるけどさ、あたし、ノアと一緒に生きたいんだ。
ノアがどんなふうに生きるのか、傍で、見たいんだよ、ずっと。
うん、そこに君がいたらもっと幸せだなってあたしは思うけれど、君は幸せじゃないかもしれないじゃん。
だけど、君さ、過去のこととか思い出して、凄く後悔したり気にしたりする人でしょ。だから、あたしが一体どうなってるか気にしてるだろうなって思って。
なんか、どうしてだろうとか最初の方で書いたけど、ここで答えが出たね。
あたしが君と会うことはもうないだろうけどさ。
ノアがいつか君と会えたらいいなって思うんだよね。
ノアね、かわいいのよ。本当に。
サークル情報
サークル名:碧森堂
執筆者名:久遠マリ
URL(Twitter):@Riri_barkies
一言アピール
8割私小説の既刊薄い本がもとになっていますが、完全フィクションモードにスイッチして、次回作のプロットを踏まえながらクソデカ感情を配合し、インターバル手紙に仕上げました。大体いつもこういう構成方法です。