ロギングマン、ロギングガール

ぺたぺたぺた、走っていく音。シキがえいやと竿を振ると、鮮やかな夕日色が海を覗き込んだ。

「この辺いないよー。もっとあっち」
「うーん人魚の有効活用。旦那ちゃんにも言ってくれ」
「はーい」

様々あり、人魚が家に住み始めてから五年強。無理かと思われていた結婚を成し遂げたシキは、兄を病院に置いて旦那とみかんと海釣りに来ている。そういうことをしていい日があってもいいし、最近は兄も調子がいいから、海の魚が食卓に並ぶ程度では体調を崩すことはほとんどなくなった。結婚してなお実家暮らしという高待遇を得たシキ(とその旦那)は、すっかり背の伸びた人魚を海に連れ回しても別に何も言われない。

「ねーねー」
「いや、今食った」
「ほんと~? あっほんとだ」

人魚の視力が海水の下の動き回る魚を捉え、しばらくしてその顔が不思議そうな顔に変わった。シキの旦那がぐいと竿を引き、リールを回してその謎を巻き上げる。

「なんかついてる!」
「えっ何かって何?ヤバいやつじゃないよね」

指差した先の魚の背から、ぴょこんと何かが飛び出している。明らかに人為的に取り付けられたプラスチック製の管? 棒? ゴミでも刺さっているのかと思ったが、違う。何か文字が書いてある。

「なんか書いてある」
「あかん眼鏡ないと読めん。なんて書いてある?」
「んー……番号!!」
「他にもなんか文字書いてあるっぽいが……あとケツからなんか出てる」
「ほんまや」

大きいバケツに放り込まれた魚が口をぱくぱくと動かしている間に、スマートフォンの上を指が滑る。

「……あ! ダイガクって書いてある!」
「なんて!? もうアッニに聞くか!!」

――そういうわけで、電話がかかってきているのが今だ。病院の待合室だってのに。

「ケツからプラスチック的な何か生えてる魚だぁ?」
『いやほんま生えてんねんて。ちなみに晩飯の魚とは別に確保した』
「待ってね、俺絶対そいつ知ってんだよな」

バイオロギング、という言葉が漏れ聞こえてくる。
生物(bio)に記録する(log)という言葉を合わせた造語。すなわちそれの意味するところは、野生動物に識別表と記録装置を埋め込み、放流し、そしていつか――あるいは適当な時間が経ち生物から切り離されたものを回収する。するとどうなるか、野生下での動物の行動がデータとして記録されるのだ。比較的最近頭角を現してきた研究手法で、故に若手の研究員が多く手を付けている。例えば今妹夫婦が確保したらしいなんかの魚はきっと回遊魚で、その腹の中には放たれた時から今までのてんこ盛りのデータ。背中から生えている方は個体識別と連絡先、のはずである。

『バイオロギングちゃうかって言われたんだけど、肝心のダイガクのところがかすれてて』
「印刷がゴミすぎる……電話番号生きてる?」
『あっこれ電話番号?』
「0から始まる方は電話番号だよ」

かくいうタカミネもバイオロギングのちょうど入りの時期を一年ほど研究に費やし、当時はデータ回収が難しかった魚類ではなく、定期的に戻ってくる渡り鳥にほんの少し触れた。今ではこうして釣り人、あるいは漁師が獲ったものを譲り受けたり、内部に仕込む記録装置にGPSを搭載することで、回収効率は大きく上がっている……と、聞く。真面目にバイオロギングを続けていた同級生が、こないだテレビでそんな話をしていた。

「ていうかそれ俺の同級生な気がしてきた、知らんけど……」
『マジ? じゃあ鷹峰ですけどって名乗ってみっか、サンキューサンキュー』
「はーいはい。番号的にそろそろ呼ばれそうだから切るわよ」
『はいよー終わったら連絡くり』

タップするまでもなく電話が切れて、老人が延々と話す声、それに混ざって人が呼ばれる声。病院というひとつの群れの中にぽつねんと取り残される。
タカミネは“諸般の事情”で月イチのペースで大学病院に通っており、そのクソ長い待ち時間を一人で潰すのにもすっかり慣れてしまった。通い初めの頃は人魚も一緒で、そのうちついてこそ来るが街で遊ぶようになり、妹夫婦が結婚してからはすっかりそちらについていくようになった。妹の旦那は余所から来た人間だが、デカくて力持ちなだけで田舎では完全に重宝される逸材だ。気は優しくて力持ち、あまりにも老人社会に適応しすぎている。海釣りが趣味でそこそこの腕前、食卓にたまに並ぶこともあるとはいえ、まさかバイオロギングの個体を釣り上げてくるとは。

「……」

記録を取られているといえば、自分も人魚も変わりはしない。
諸般の事情というのは要するに他人とは違う、研究対象であるという意味で、名前がつけられてそれに反応するか、識別が可能な生物は、そもそもタグ付けが必要ないのである。その名前そのものがタグだ。
人魚ロールランジュメルフルールは人間社会に暮らす唯一の人魚として、鷹峰咲は人間社会に残る人魚に呪われた人間として、記録が取られ続けている。

「鷹峰さんどうぞー」

呼ばれた。

結局それを放ったのはここの近隣の大学ではなく、捕獲時の状態や天候などを伝えた上で、魚体ごと後日送ることになった。案の定兄の同級生で、旧姓を名乗ったら本当にびっくりされた。残念ですが妹です。
近くのスーパーの鮮魚部門で事情を話して箱と氷を分けてもらい、何か生えていることを除けば立派なそれを横たえた。どうしてもケツから何か生えているようにしか見えないのだが、このケツから生えているやつが一番高いらしい。データ記録の機械ならそりゃそうか、と思ったが、どうしてもケツから生えているというところに目が行ってしまう。

「これさあ」
「うん?」
「うちらの家バレもすんの?」
「そもそも送るんだからバレるんじゃ……?」
「そうだわ」

大学病院のロータリーに車を止め、兄が出てくるのを待っている。車内はいつもに増して魚臭かった。たぶんハマチ、と言われた魚の種類の区別はシキにはつかない。強いて言えば、回転寿司に行きたくなった。

「お魚食べたかったなあ~」
「すまんなあ~今度また頑張って釣るよ」
「ん!」

ハマチ(推定)は残念ながらこれ一匹だけで、魚体ごと送ってくれと言われたので食卓に並ぶことはない。代わりにこれが、どこぞの大学の研究資料になるのだ。
氷で冷たくした手で魚を触っているみかんを見ている間に、見知った姿が病院の正面玄関から出てきて、そして乱暴に車のドアを開けた。

「お、お疲れアッニ~メシどうする?」
「どうする? って聞くってことはあんま大したことないってことね……」
「大したものは釣ったんだけどねえ」
「ほんとだよ」

あまり触るな、と後ろに声をかける兄の顔はどこか陰鬱に見えた。血液検査の結果の紙を握っていた。

「なんか引っかかったの?」
「…………中性脂肪…………コレステロール…………」
「イッヒヒヒ」
「うるせえ笑うな」
「おいおい人魚フィットアドベンチャーでもしろよ」

車が発進する。発泡スチロールの蓋を閉めた人魚がするりと座席に滑り込んで、今度は前の席の兄の方を見た。やはり陰鬱な顔が気になったらしい。それもそうだ、少なくとも水族館時代はバリバリの肉体労働で太る余地なんてほとんどなかったのだろうし。これが加齢か。

「クソッまさかこんなところで薬増やされると思わなかった、最悪すぎる」
「今日イチ面白いな、面白いから肉食いに行くか」
「カス!!」
「じゃあハンバーグ! ハンバーグがいい!!」

ロータリーを出るとすぐ、大きなショッピングモールが目に入る。
車はそのまま流れるように立体駐車場の中に吸い込まれていった。

サークル情報

サークル名:まよなかラボラトリー
執筆者名:紙箱みど
URL(Twitter):@middlab

一言アピール
おおよそ2階建て鮮魚店(2階の取り扱いが混沌)です。
Twitterで標識魚の話見たな……と思ったので釣ってもらいました。

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