解硬
水が沸騰を迎えてからすべてが蒸気へと変わるまで、しばらく時間があるように、私が先輩に愛想を尽かすまで、おおよそ三ヶ月の猶予がありました。
カセットテープが回りだすと聞こえてくる声に胸が締めつけられるのは、彼女との出来事を思い出すからなのか。それとも単に、彼女がこれを俺の家へと送った直後、インターネットで知り合った年上の男と死んだからなのか。今となっては分からない話だ。今となっても、というべきなのかもしれないが。
ワンルームでうなだれている。徹夜明けの朝は、一つのことしかやっていられない。この瞬間の俺は、待っていることしかできやしない。あとはじっと、同じ姿勢を保ち続けるのだ。疲れている身体にはそれが一番。
なにかを待つ間はどうにも貧乏ゆすりが出てしまう。なくて七癖だ。と弁明したところでどうにもならないが、机を叩く指に力が入りすぎないようにという点だけは気をつけた。朝が早いということがその理由。埃っぽいところを触っていたせいで、俺の爪は黒ずんだまま押したものが返ってくるのを待っている。
彼女の癖は絵を描きながら歯を食いしばることだった。俺は彼女の部屋へ差し入れに行くたび、切り絵アニメーションのための膨大なパーツをアニメカラー絵具で彩っている横顔を眺めた。料理を作り、そこで使わなかった数日分の食材を冷蔵庫に入れる。どうせ自分じゃなんにもしないだろうから、野菜くらいはあらかじめ切っておくことも多かった。そのままサラダにもなるし、肉でも足して炒めてくれても構わなかった。数日後にはこのカット野菜がなくなってくれていることを祈りながら、包丁で細胞壁を切っていた。
同じように彼女がワゴン車の後部座席で、首を切られなければならなかった理由はなんなのか。はっきりとした理由が分からなかった。出来事の経緯と結果は確固たる証拠が残っていたとしても、そうするに至った人の心ばかりは思いはかるしかなかった。けれども、自分を捨てた女のことを考えるというのは想像以上に骨が折れたし、こっちにも仕事がある以上は苦しいことから逃げるしかない。立ちむかうことなんてできない。立ちむかいたいと思ったのなら、別なのだろうが。大学を卒業したいと思えたから、現状ほとんど俺の最終作となっている卒業制作、F五〇のキャンバスを描ききることができたように。
彼女の遺作となった九〇秒のアニメーションの方は、深夜枠のアニメ作品のエンディングムービーとして放送されていた。二人の少女が手をとり合い、上昇気流を器用に捕まえるトンビのように、悠然と飛翔するアニメーションだ。彼女たちと違って重力に逆らえないまま地へと落ちていく様々なデブリは、高速で画面を通り過ぎていくにも関わらず精巧に描きこまれていた。彼女は本編内容とリンクさせたオブジェクトを配置することで、作品世界を巧みに表現しようとしたのだ。しかも、現代的な技術をほとんど使わずに。それは未だに四トラックテープで音源を録音するアマチュアバンドのようだった。
彼女が用いていた技術は、おおよそ一〇〇年から使われているマルチプレーンカメラというものだった。数枚のガラス盤にそれぞれのセル画を置き、背景やキャラクターを別個に動かし、ガラス盤群のさらに上に取りつけられたカメラで撮影をする。これによって多彩な演出を可能にする、当時では画期的なアイデアだ。今日の動画像編集ソフトのレイヤーに相当するものを、物理的に組み上げるという力技だった。日本ではすでに使われなくなって久しい、オーパーツじみた仕組みだ。
ユーリ・ノルシュテインという八〇になろうかというロシアのアニメーション作家も同じ手法を未だに用いている。日本に来たときに講演を聞きにいったことがあるくらい、俺だって尊敬している作家だ。絵でしかないはずの絵具の集合体が、滑らかに、ときに鋭く動くことによって命を演出することにこだわっていた。顔を真っ赤にして手作業によって命を作ることの意味について語る姿が、今でも目に浮かぶ。CG技術と資本主義をこの上なく嫌う人でもあって、それについて語るときはもっと顔が赤くなっていた。
彼のアナログ信仰に影響された彼女はホームセンターに通いつめ、自作で二メートル超の撮影台をこしらえた。それだけでは飽きたらず、音楽もカセットテープでしか聴かなかった。中目黒に足しげく通いコレクションを集めるのに、よくついていったものだ。マイブラッディ・バレンタインの『ラブレス』について熱弁する顔が愛おしい。しかしそれは、当時の俺を酷く焦らせた。彼女が音楽の洪水に流されて、知らない場所に行ってしまう妄想にとり憑かれてしまうほどだった。そんなの普通のことであると思うけれど。
現実として、趣味について語り合うために会った人間と逝ったのだから世話がない。遺品となった携帯電話の履歴で明らかになった約束では新宿で飲むことになっていた。実際には、二人の肉体は奥多摩の山で見つかったのだが。俺が大学サークルで登ったことのある山だった。硬直し、指先一つを動かすことすらできなくなった芸術家。あの身体からは血が抜け、歯を食いしばる癖だってもう繰り返すこともない。
何十分もじっとしていた後に、俺には首を傾げて筋肉をほぐす癖もある。予備校に通っていたときにしょっちゅう指摘されていた。どこが気に入らないの? と同じ美大を受けたやつに尋ねられることも多かった。
気に入らないことなんて一つもなかった。俺は自分で自分の限界というものを深く理解できていた。絵で食べていくことはできなくても、周りの人間よりは格段に絵が上手いという立場だと、美術予備校に通う前から分かっていたし、実際にその通りになった。
歯を食いしばって絵なんて描いたことなかった。風景とか人物の曲線とか、ある程度自分の思ったように描くことができたし、できるということも分かっていたから。逆に言えば、描くことが困難であろうビジュアルモデルは避けていた。挑戦しなくても課題はこなせたし、自分に描けないものを描きたいだなんて感情も湧いてこなかった。
二つ下の学年にいた栗色の目をした女性は、そんな俺とは正反対の人間だった。ペインターとしての才能は一目で他人を黙らせる力を持っていたし、それ以上に猛然と創作へ向かうことができるエネルギーまで兼ね備えていた。初めて彼女を見たとき、彼女は学際で発表するアニメーションのためガラス盤の上に油絵具を乗せ動かしていた。サークル棟の廊下という誇りまみれの片隅で胡坐を描き、三脚に載せたスマートフォンで撮影するという奇行は誰の視線も集めていた。
「アレクサンドル・ペトロフ」
邂逅の瞬間、彼女と同じ手法を使っているアニメーション作家の名前を零してしまったのは、放っておくとこの人は絵といっしょにどこかへ消えてしまうのだろうと直感的に思ったから。登山同好会の部室で暖を取るよりも、よっぽど彼女の横で珈琲でも飲んでいたいと思ったからでもある。もちろん、許されるのであるなら、だが。
「知っているんですか? ノルシュテインの弟子のこと!」
爪という爪に絵具を溜め込んだ彼女は、目を輝かせてはこちらを向いた。射抜いた、というべきなのかもしれないが。それからはしょっちゅう彼女の制作風景のそばにいるようになり、俺が学内のコンビニで買うコーヒーは二杯に増えた。彼女は毎回、その差し入れを飛び上がって喜び、味わってくれた。
あの彼女のアニメーションは、観ようによっては飛んでいるのではなく落ちているようにも感じられるといわれていた。これじゃまるで心中のようだと。俺もテレビでの放映を観て、同じような錯覚に陥った。速すぎる動きとカメラの進行によって起こる、ワゴンホイール効果に脳を侵されながら齧りつくように画面に集中した。
彼女とともに観た初放映。一時間よりも長い一分半を堪能した直後、俺は何気なしに首を傾げた。よく集中していたのだと思う。アニメーションの語源である、「アニマ」つまりは生命を、作りものであるはずの絵からここまで感じとれるものなのか。それはあまりにも、あまりにも神秘的だったから。
先輩だって分かりますよね? 昔は絵を描いていたんだから。それがどれだけ失礼なことだてことくらい。私がどれだけの時間を費やしてあの作品を仕上げたのか、先輩なら分かっていてくれていいはずじゃないですか。いいものだと思わなかったのならそう言ってくださいよ。素晴らしいアニメーションだったね。そんな心にもないこと言わないでください。あの作品の放映が終わった後で卑怯かもしれませんけど、あなたがなにを言おうとも、私には許すことはできませんでした。
テープはそこで口を閉じた。もう二度と言葉を発することはない。彼女の肉体と同じだ。そこには暴行を受け、かつ抵抗した跡があったらしい。爪の間に挟まった男の皮膚が、それを証明していたのだという。
電気ケトルが音を立て、沸点到達を知らせる。一晩中断捨離のためにゴミ袋をいっぱいにしていたから、カフェインでも身体に入れないとやっていられないのだ。乱暴にインスタントコーヒーの粉が積もるカップへ、熱湯を注ぐ。蒸気が顔に舞い上がる。霧に包まれてしまったのかという錯覚ごと、すぐ見えなくなって空気に溶けた。
彼女が死んでから三ヶ月が経過した。ワンクールという、極めて資本主義的な時間感覚だ。この部屋に残った爪痕も、このラジカセで最後になる。疲れ切ったこの目には、動き続ける磁気テープがどっちに巻かれているのか、にわかには判断できなくなっていた。確かなのはこのテープレターの顛末。こいつは彼女が吹き込んだ命ごと、俺によってゴミ捨て場へと連れていかれるのだ。
首を傾げる、そろそろ動くとしよう。死んだ彼女と違って、俺はまだそうしていなければならないのだから。
サークル情報
サークル名:六月のクモノミネ
執筆者名:転枝
URL(Twitter):@Koroedainjune
一言アピール
投げやりなようで必死な人たちの物語を書いています。ありがたいことに、コロナ前の文フリなどのイベント毎に3桁ほどの頒布を続けさせていただいていました。これからも1人でも多くの人に読んでいただければ、幸せです。