レター・アンド・レイター

 好きな人が出来た。佐久間遼くん。
 正直、最初はちょっとかっこいいクラスメイトというだけだった。イケメンだし、すらっとしてるし。授業中に先生に当てられたらすらすら答え、体育ではいつだって主役。彼と、黄色い声で持て囃す女子たちを見ながら、「まるでアイドルだな」なんて思っていた。
「危ない!」
 と、誰かが言った。それが私に向けられたものだと気付かなくて反応が遅れる。突然バスケットボールが飛んできて、思わず目をつむった。衝撃や痛みはなかった。ボールは私ではなく、大きな音を立てて壁に激突した。
「大丈夫? 花乃子」
「大丈夫、大丈夫」
 心配そうにこちらを見るクラスメイトに手を振りながら、ほっと胸を撫で下ろす。と、誰かがこちらに近付いてきた。転がったボールを拾い上げた小学校からの腐れ縁は、私を見るなり、ふんと鼻で笑った。
「鈍感のくせに、んなところでぼーっと突っ立ってんなよ」
 こちらを馬鹿にするような物言いはいつものことだが、やっぱりカチンときて。だから間髪入れずに言い返す。
「バスケ部ならちゃんと投げなさいよ!」
「あれくらいのボールもけらんねぇ運動音痴に言われたくねぇし」
 べ、と舌を出した芳村がバスケットコートに戻っていく。七番のゼッケンに、「ボールもまともに投げられないエースなんて聞いたことない」と文句を言ってやった。
 と、芳村と入れ替わるようにやってきたのは、なんと佐久間くん。私は目をぱちくりとさせた。体育館の天井からぶらさがっているのは普通の蛍光灯のはずだが、まるでコンサートホールのきらきらした照明のように彼を照らしている。
「ごめん! 大丈夫だった? 久住さん」
 両手を合わせて佐久間くんが謝ってくる。わざわざ気遣ってくれたのだろうか。端正な顔が申し訳なさそうな表情を浮かべているのを見て、私は慌てて首を横に振った。
「怪我とかしてない? 平気?」
「えっ、あ、ううん! 全然! 気にしないで! ほら、ぼーっとしてた私も悪いし!」
「そーだよブース!」
「アンタは黙ってて!」
 試合中の芳村に言い返す。わざわざ悪態をつきにこっちまで来たのかコイツは。佐久間くんを見習え。
 と、芳村は鮮やかなパスカットでボールを奪ってみせた。見学していた生徒たちから歓声が上がる。芳村が自チームへボールをロングパス。綺麗な軌道を描いたそれを、同色のゼッケンをつけた男子生徒が受け止めている。
「……久住さんが大丈夫ならいいんだけど。女の子だからさ、傷とか痕とか残ると、イヤでしょ?」
 じゃあね、と佐久間くんはきらきらした光を纏って去っていった。私はその背中を、妙に忙しない心拍数を感じながらぼんやり眺める。
 女の子だからさ、傷とか痕とか残ると、イヤでしょ?
 佐久間くんの優しい声が、まだ耳に残っていて。
 私は、腕にある治りかけの痣を撫でた。……バレー部なんだから、これくらいいくらでもできる。自分では全く気にしていなかったことを、異性から労わられるのははじめてで、どぎまぎした。
 それから何となく目で追うようになって、佐久間くんのそういう細やかな気遣いや優しさに気付くようになって、だんだん「ちょっとかっこいい」が「いいな、素敵だな」に変わって――好きになった。
 さくまくん、と名前を呼ぶとどきどきして、「何? 久住さん」と私の名前を呼んでくれるのを聞いてもどきどきした。最初、告白する気なんてなかったが、友達に背中を押されて思い切ってラブレターを書いた。好きです。よかったら付き合ってください。内容はたった二行だけど。
「ラブレター、書いたんでしょ? 渡したら?」
「えー、でも、そんな、恥ずかしいし……」
「女は度胸! 当たって砕けろ! 佐久間くん、誰とも付き合ってないし! ならチャンスはあるよ、ね、ゆっこ」
「そうだよ。花乃子ちゃん」
「恥ずかしいなら、下駄箱か机にこそっと入れるのはどう? こそっと。……こういうのって、言わない方が後悔するもんだよ」
茉優まゆったら、ベタな少女漫画じゃないんだから」
 その場は笑って「ないない」と言ったけど――誰もいない隙を見計らって、佐久間くんの机にラブレターを入れるつもりでいた。
 放課後の騒がしい時間は図書室で過ごし、静かになった頃に自分のクラスに戻る。人気のない校舎に、吹奏楽部の演奏が響いていた。
 誰かがきちんと閉め忘れたのだろう、中途半端に数センチあいたドアに手を掛けた時だった。話し声が聞こえた。誰か残っているのかと中を見る。
 教室にいたのは佐久間くんとゆっこだった。楽しそうに話す二人の距離はゼロに等しい。心臓が早鐘を打つ。見てはいけないものを見てしまった気がして、でも、何故か目を逸らせない。
 佐久間くんが、ゆっこの髪を耳にかけた。あっと思った。ぐっと身を乗り出した佐久間くんとゆっこの顔が重なる。
 ――その瞬間、私は逃げるように走り出していた。

 ▼

「どうしよう、これ」
 私は橋の欄干にもたれかかり、ため息をついた。無意識に握り潰していたせいで、ぐしゃぐしゃになったラブレターを見つめる。もう、こんなの渡せない。まあ、今となっては渡す気なんてこれっぽっちもないけど。
 茜色が差し込む、誰もいない教室。
 楽しそうに会話をして、キスをする佐久間くんとゆっこ。
 その時だった。ポケットの中でケータイがぶるぶる震え始める。着信に表示されたゆっこという三文字に、思わず目を見開いた。
 心臓が軋んだ音を立てる。
私は自分を落ち着けるように息を吐いた。吐き出した二酸化炭素も、ケータイを持つ手も、指も、震えていた。
 目一杯捻られた蛇口から出てくる大量の水のように、いろんなものが体内に溜まっていく。
 失恋。告白する前にフラれた、このやり場も行き場もない感情。悲しさ、虚しさ、しんどさ。
 ねぇ、ゆっこ。いつから佐久間くんとそういう関係だったの。
「へぇ、佐久間くんが好きなんだ。……かっこいいし優しいもんね。彼」
「花乃子ちゃんのこと応援してるから、頑張って!」
 私が嬉々として話す恋バナを、ゆっこはどんな気持ちで聞いていたの。どんな気持ちで私のことを応援するって言って、「誰とも付き合ってない」という言葉に頷いたの。
 容量を超えたそれは鼻の奥をツンと刺し、涙になって視界を滲ませる。受話器のボタンを押そうとして――指が止まった。水滴が画面の上にぽたぽたと落ちる。
 しばらく震えていたケータイは、やがて静かになった。ホッとしたのと同時に、涙が一気に押し寄せてくる。
 その時だった。
「……何してんだよ、こんなとこで」
 はっと顔を上げると、そこに立っていたのは芳村。私は慌てて袖口で目元を拭った。
「別に、何も」
 努めて強気に言い返したけど、鼻声では頼りなく聞こえる。
 芳村にこんな姿見られたくなった、と下唇を噛む。何を言われるか分かったものじゃない。さっさとどっか行け、バカ。
 興味なさそうに「ふーん」と言った芳村は、私を見て、ぐしゃぐしゃになった封筒(咄嗟に後ろに隠したけど)を見て、それからもう一度私を見た。
「な、なに」
「別に、何も」
 芳村はそう言うと、何故かこちらに近寄ってきた。何をされるのかと思わず身構えた瞬間、背中にやった手の中から封筒が奪い取られる。
「ちょ、か、返して!」
「なんでだよ」
 ムスッとした顔(もとからコイツはこういう顔だが)で、芳村が言った。「要らねぇだろこんなの、ただのゴミじゃん」
 ――ただのゴミ。確かにそうだ。けれど、芳村の言葉に傷ついている自分がいた。ぐっと拳を握る。
 だって、ちょっと前までは違ったから。とても大切で大事なものだったから。
「いいから! 返して!」
 声に涙が混じった。
 必死に取り返そうとするが、ひょいひょいと躱されてうまく掴めない。
 何かあるとすぐ突っかかってきたり、馬鹿にしたり、からかってくるヤツのことだ。面白半分に封を破って中を見るに違いない。そうしたら手紙が読まれてしまう。一生懸命書いた、私の佐久間くんへの気持ち。佐久間くん以外には誰にも触れてほしくない気持ち。
 どうせなら可愛いのがいいと思って、柄にもなく、オシャレなお店を回った。ああでもないこうでもないと時間をかけて選んだレターパック。ピンク色の花があしらわれた便箋と何日も睨めっこして、文章を考えた。宿題もせずに便箋を広げていたから、お母さんに怒られた。文字を書いては便箋を捨て、新しいものに書き直した。
 その封筒は、手紙は、ラブレターは、私の大切で大事な初恋そのものなのだ。
 なのに無遠慮に、芳村の両指が封筒にかかる。
「やめてってば! お願いだから!」
 懇願にも似た悲鳴が口から出た。
 私の必死な制止などお構いなしに、芳村は一気に封筒を引き裂いた。それだけじゃなかった。一回、二回、三回……。皺くちゃの初恋は、びりびりに破かれ、ただのピンク色の紙切れに変わっていく。私は、それをぽかんと見ていた。
 すると芳村は手の中に集めたそれを、突然、空に向かってぶちまけたのだ。
「今日のお前、いつにもましてブスだぞ」
 細かい紙片が、ひらひらと降ってくる。重力に従って、時に風に煽られながら。私の頭の上に、地面に、ゆっくりと舞い落ちる。
 佐久間くんの、笑った顔が好き。
 佐久間くんの、さり気なく相手を気遣う優しいところが好き。
 佐久間くんに、名前を呼ばれるのが好き。
 私の気持ちはぜんぶ手紙に込めたつもりだ。でも、全部は難しかった。私の中に残っていた、その込めきれなかった佐久間くんへの想いが、紙片のように細かく千切れて、ゆっくりと、静かに散っていく。
「ブスって言うな、バカ!」
 どうしようもなく泣きたかった。でも、それと同じくらい、紙まみれになった自分を笑えそうな気がした。泣くのと笑うのが同時にやってきて表情筋が忙しい。
 全身に付いた紙片を払い落し、感情に任せて芳村を小突く。
「いてぇなこの怪力女」
「女の力に負けるなんて、弱すぎるんじゃない? ちゃんと身体鍛えてる?」
 べ、と舌を出して言い返す。いつもの声になっていた。
 芳村は珍しく言い返してこなかった。無言で、私が置きっぱなしにしていたスクールバッグを何故か持ち上げている。
「……なら、帰ろうぜ」
「え? あ、う、うん」
 どうして私の鞄を持ってくれたのか、よく分からない。
 小学校の時は、よく「じゃんけんをして負けた方が勝った方の荷物を持つゲーム」をしていたけど。今はそんな風に通学路で遊ぶこともないし、っていうか一緒に登下校しなくなったし、……そもそもゲームもじゃんけんも、してないし。
 理由を聞こうとして、でも、それを口に出すのがむずがゆくてやめた。今まで気にならなかった心臓の音がやけに大きく聞こえる。何だこれ、ヘンなカンジ。
 芳村の背中が見える。昔は私の方が背が高かったのに、とっくに追い越された、男の子の背中。
 右手に私のスクールバッグ、左手には自分のボストンバッグを持った芳村が、くるりと振り返った。
「そんなぼさっとしてると、置いていくぞ。鈍感」
「何その言い方! 腹立つ!」
「だってお前、鈍いし、トロいじゃん」
 揶揄するような言い方にムカッときた。むずがゆさも、じんわりと胸に広がっていた奇妙な甘酸っぱさも、一気に霧散する。やっぱりコイツ、一言多いいけ好かないヤツだ。だから、駆け寄りざまにその背中を思いっきり叩いてやる。
 私の頭の上にある芳村の横顔は、真っ赤な夕日の色をしていた。

サークル情報

サークル名:36℃
執筆者名:栗花をち
URL(Twitter):なし

一言アピール
少年少女の青い純情とその奥底で澱んだ感情について書いているサークルです。記憶の一番奥底にある手紙は、初恋相手に宛てたラブレターでした。みなさんはどうですか。

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