招待状
「――なに? ケーデル四等将官、御辺、招待されておらなんだのか?」
将軍執務室からの帰りに私の居る将官執務室を覗いたという年長の友が呆れ声で発した問に、私は、「ええ」と無造作に頷いた。
「ですので、伺う予定はありません」
「うーむ……彼が好き嫌いの激しい質だと知ってはいたつもりだったが……仮にもマーナの準将軍職に在る御辺に、招待状すら寄越しておらんとは……」
困ったような顔でかぶりを振る相手に、私は、微苦笑で応じた。
「ノーマン近衛副長にとって、明日は人生の大切な門出の一頁。そこへ私を招いて嫌な思いをしたくもないのでしょう。理解していますよ」
この世界において戦国の世の強大国の一であるマーナの近衛隊、勇名轟く“黒の部隊”で副長の任を負うノーマン・ティルムズ・ノーラ殿が、直属の上官であるナカラ・ソニ・マーラル近衛隊長の長女マリ嬢と婚約して、はや二か月――明日が、いよいよ、挙式当日である。
その挙式後の披露宴に招待されているのは、両家の親戚の他には、マーナ国内の高位高官とその配偶者など。王族の婚姻ではないから国王ララド・ゾーン・オーディル陛下を始めとした王族方の御臨席はないものの、それでも、マーナ宮廷に出入りする貴族・文官・武官・聖職者の主立った者は概ね招待され、その殆ど全員が参列するらしい。……身も蓋もないことを言えば、ノーマン近衛副長の結婚相手であるマリ・ジェラルカ・マーラル嬢が“絶世の醜女”と噂されており、為に、普段ノーマン副長と付き合いのない者までもが「如何ほどの醜女か」を実際に確認したいという思いに駆られているからであろう。
ノーマン副長は、マーナ切っての武家の名門ノーラ家本家の嫡男、十代の頃から剣の技量はマーナ随一、黑目黒髪の見目も陽性の凜々しさと武骨過ぎぬ逞しさに彩られており、それら諸々が相俟って、二十九歳になる今迄、女性との噂がなかなか絶えぬ艶福家であった。その彼が結婚させられる相手が、選りにも選って“ミディアミルド開闢以来の無器量娘”になろうとは――少なからぬ者がそういう思い、語弊を恐れず言えば「積年の不品行の報い、自業自得」という目で彼を眺めていることは、宮廷内の空気から明らかだった。そもそも彼が上官の娘と婚約する羽目になったのも、第二王女ティルーネ・ミクリア・オーディル殿下との醜聞……いや、結局は誤解だったのだが、その“あらぬ噂”が原因に違いない、というのが専らの見方だったのである。
が、私、ケーデル・サート・フェグラムは、半月ほど前、クデファ平原へ遠乗りに出掛けた折、偶々マリ嬢と面識を得ていた。だから、彼女が“絶対の醜女”などではないことも、機知に富んだ才媛であることも、既に承知していた。
ノーマン近衛副長の奥方にしてしまうには勿体ない女性――とまでは言わないが、あの方がノーマン副長の手綱を巧く取ってくれれば、必ずやマーナの国益に適う。それが、彼女と暫しの間ながら言葉を交わした私の受けた印象だった。
ただ、それを言い触らすような危険な真似は避けていた。今、目の前で私と話している友人のロブスト・ニエド・クエンナ三等将官にさえ、一切洩らさなかったほどである。私が、ノーマン副長の婚約者であるマリ嬢と偶然出会って“親しく”話をさせてもらったなどと誰かに話せば、然程に時を措かず、面白可笑しく捩じ曲げられた挙句にノーマン副長の耳に届く――と予想していたからである。
ノーマン副長は、時として、自分が嫌う人間と自分が好意を抱く相手とが親しくするのは気に入らないという、ひどく子供っぽい焼餅を焼くことがある。そして元々、艶福家と言われながらも、一度に複数の女性と付き合うことがまるでなかった“余所見をしない”男だ。婚約期間中、一時は毎夜の如くマーラル家を訪れていたと聞くし――日付が変わる前に辞去することから「お義理で話しに行って適当にお茶を濁して帰ってる」と揶揄されてはいたが――私が得ているその他の様々な情報も総合すると、婚約者となったマリ嬢に“惚れて”いることは疑いない。
なのに、その婚約者が、自分が日頃“極悪非道な陰険策士”として蛇蝎の如く嫌っている私と、自分の知らぬ所で遇って言葉を交わしていた――などと聞けば、頗る気分を害し、掴み掛からんばかりの態度で私に詰め寄ってくるに違いない。
誰が好き好んで、そんな羽目に陥りたいと思うものか?
私の方は別にノーマン近衛副長を嫌っているわけではないし、寧ろ、陰日向のない、根が善良で真っ直ぐなその性格には密かに好感さえ持っているが、反りが合わないのは確かだし、突っ掛かられる全てを受け流せるわけでもない。こちらから計算して“突っ掛からせる”分には巧くあしらえても、そうでなければ対処し切れないこともある。余計な火種は放り込まないに限るのだ。
「しかし、将軍府の高官の中で御辺だけを招かぬとは、彼の方が御辺よりも六つも年上だろうに流石に大人げないものだな。まあ、彼の御辺に対する大人げない態度は、今に始まった話ではないが……」
「敵を陥れることを宗とする私のような謀将が、彼のような真っ当な武人から嫌われるのは或る意味では自然なことですよ、ロブスト将軍。もう慣れていますので御案じなく」
ところが、年長の友と連れ立って将官執務室を出ようとしたところで、前室に詰めていた下級武官が姿を見せ、「近衛府から、近衛副長の使いと申す近衛見習が参っておりますが、如何致しましょうか」と伺いを立ててきた。私は小首をかしげたが、断わりたいほど帰邸を急いでいるわけでもない。通して構わない旨を返すと、程なく、灰色の制服を纏った近衛見習の少年が、緊張の面持ちで入室してきた。
「失礼致します、ケーデル・フェグラム四等将官。近衛見習、サーデン・オイル・シラスと申します。我が近衛府の副長ノーマン・ノーラより、ケーデル四等将官宛に、明日の結婚披露宴への招待状を託かってまいりました」
私は、思わず目をしばたいてしまった。
「……明日の?」
「はい、急で恐縮だが、とのことでございました」
「……ひとまず、頂戴します。確かに受け取ったとお伝え願いたい」
差し出された封書を受け取り、包み紙の表に私の名が記されていることを確認して、裏面を改める。……署名などは見当たらない。封緘の紐は、粗雑でこそないが、披露宴の招待状にありがちな金銀の装飾はなく、素っ気ないと言ってもいい代物だ。
私の階級が階級だけに、出さないわけにも行かないではないかと周囲に説得され、しぶしぶ、お座成りな招待状を拵えてよこした……という辺りだろうか。……に、しては遅過ぎる気がしないでもないが、まあ、本音を酌んで欠席の返書を認めれば良いことだ。
そう思いながら、受け取った招待状を懐に帰邸した私は、自室に落ち着いてから封を開き、包み紙の中に畳まれていた紙を広げた。外包みとは異なり、柔らかで上質な紙。一瞥、意外に流麗な筆跡だな、と感じながら、目を落とす。
極悪非道な陰険策士(ノーマンがこう申しましたの。御免なさいね)様へ
冒頭の宛先を見た瞬間、不覚にも手が震えた。
これは……
ノーマン副長からの招待状、ではない……。
どうしても閣下の所へ招待状なんか書きたくないと申して筆を執ろうとしないわからず屋の代わりに、明日の私どもの結婚披露宴への御招待状を、私マリ・ジェラルカ・マーラルより差し上げます。まさかそんな大人げない真似はしていないだろうと思っておりましたら、閣下には何もお知らせしていないと言うではありませんか。まったく、困った子供ですわね。どうぞ、先日の愉しかったひと時に免じて、今日の明日と急で申し訳ないとは存じますけれど、是非とも、お越しいただけないでしょうか?
後ろで私の文面を覗いていたノーマンが、その「先日の愉しかったひと時」ってのは何なんだ、と喚きました。人の手紙を覗き込むなんて、失礼な人ですわね。そんな人には教えてさしあげません、と申したら、あら、むくれてしまいましたわ。まあ、これで、この人も、是が非でも閣下の御来駕を請いたい気分になってくれたことと存じます。……その理由は勿論、聡明な閣下にはおわかりですよね?
……目眩を覚えた。
謀将である私が言うのも何だが、何という策士か。
確かに、ノーマン副長は今、「是が非でも」私の「来駕を請いたい気分」になっているに違いない。「先日の愉しかったひと時」とは一体どういうことかと、すぐにでも私の胸倉引っ掴んで問い詰めたい思いの余りに。
そういう次第ですので、閣下に於かれましては、どうか快く御出席くださいますよう、私どもふたり、心からお待ち申し上げております。
(……「私どもふたり、心からお待ち申し上げております」か……)
何ゆえ「心から」待っているか、その理由はまるで異なれど、言葉自体には微塵も誤りがない。見事な言葉選びである。クデファ平原で出会った、機知の色を湛えた円らな淡褐色の瞳が、自ずと思い出された。
場所は、ノーラ家本家(中庭になるか屋敷内になるかは天候次第)、時刻は、十五の刻です。
それでは、御機嫌よう。
マーナ暦デリーラ八年第三月の十四の日
“絶世の醜女”ことマリ・ジェラルカ・マーラル拝
……明日は万難を排して参上せねばならなくなったことを、私は、悟らざるを得なかった。
こんな恐ろしい招待状を無視して欠席などすれば、後日、ノーマン近衛副長から何と言って締め上げられてしまうか、知れたものではない……。
招待状を元通りに畳みながら、抑え切れぬ笑いが口許に浮かぶ。
或る意味では“嵌められた”というのに、奇妙に快かった。
謀将たる身で他人に陥れられるなど洒落にもならぬが、誰かの思惑に嵌められてしまうのも、時には――そして相手によっては――良いものなのかもしれない。
サークル情報
サークル名:千美生の里
執筆者名:野間みつね
URL(Twitter):@Mitsune_Noma
一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。本作は、その外伝集『その佳き日まで』の表題作に登場する或る「恐ろしい招待状」を題材にした書き下ろし。余談だが、この作品の語り手は、アンソロ「海」に寄稿した「樹海で一番怖いのは」に登場した“マーナの知将”さんである。