長い夏の忘れもの

 その手紙は、長いこと読まれなかった。

「シークさん、恋文ですよ」
 今日の伝書鳩当番は美女―――ではない。そう見紛うばかりの美貌の持ち主、名をシャンクという。剣士としては珍しい長い髪が、真夏の陽光を浴びて繊細にきらめいている。
 訓練の休憩を取っていたシークェインは、汗をぬぐう手を止めて片眉を上げた。
「見たのか」
「いいえ」
 ごく小さく折りたたまれた紙を、シャンクは指先に挟んで差し出す。
「初めてじゃないですか? レリィさんから手紙なんて」
「ちょっと黙れおまえ」
 シークェインは紙をひったくる。無骨な指が、几帳面に折り畳まれた紙を苛立たしげに広げて行く。最後は端を引っ張るように開いた。破れなかったのは幸運だ。
「で、読めるんですか?」
 問われて、シークェインの手が止まる。たっぷり三秒を数えて、シャンクは控えめに、ラドウェア古語の羅列と向き合うシークェインの顔を覗き込む。
「読みましょうか?」
「いい」
 シークェインは手紙を乱暴にズボンのポケットに押し込む。くしゃりと音がして、それきり手紙は沈黙した。

 ラドウェアの守りの要、大城塞エアヴァシーの守備隊長シークェインと、北の山中の本城ラドウェアの巫女レリィ。二人が恋仲であることは、半ば公然の秘密だった。とはいえ、顔を合わせられるのは秋か冬、それも二ヶ月程度だ。
 季節は巡る。ラドウェア城は色とりどりの秋を楽しみ、厳しさ甚だしい冬を耐え抜き、のどやかに春を迎えていた。
 窓からの光が、柔らかなぬくもりを投げかける。ベッドに半身をもたせかけ、頭の後ろで手を組んで天井を見上げているのは、本来エアヴァシーにいるはずのシークェインだった。
「謹慎ってのは、普通こんなに長いもんか?」
 呟きにしては大きい声に、巫女レリィは長いまつげを瞬かせる。が、すぐに察して目を伏せた。
「……ごめん」
「なんでおまえが謝る」
 言ってから、そうだ、こいつはこういうやつだった、と自戒する。
 シークェインに謹慎処分が言い渡されたのは昨年秋。巫女レリィを無断で連れ出したためだ。城下を数刻、ではない。国内を数日、でもない。大陸じゅうをひと月連れ回した。理由はどうあれ、巫女を引っさらった上におのれの任務放棄である。罪科は重いはずだが謹慎で済んでいるのは、何らかの事情勘案があってのことだろう。とはいえ、その謹慎もまもなく半年の長きを迎える。
 中庭にある巫女の居室で、シークェインは主な時間を過ごしていた。座卓の上には紙とペン。彼のラドウェア古語の学習は、はかばかしくはないながらも進んでいる。
「ラドウェアは、退屈?」
 用のないはずの辞書を開きながらのレリィの問いかけは、何気ないふうを装っている。シークェインにもそれがわかるからには、不器用にも「何気ないふうを装う」ことを失敗しているわけだが。
「まあな」
 シークェインの回答にレリィは口をつぐみ、辞書から目をそらしてうつむいた。おおかた、また自分を責めているのだ。シークェインはその隣ににじり寄る。
「でもまあ、おまえとゆっくりしてられるのは悪くない」
「えっ」
 顔を跳ね上げて振り向くレリィに、シークェインはにっと歯を見せて笑う。レリィがさまよわせた目は再び辞書に着地し、ぱたんと閉じたそれをテーブルの上に置き直す。
「か、書き取り。昨日の続きから」
「レリィさん」
 よく通る声と共に、窓からシャンクが顔をのぞかせた。
「なに?」
「ディアーナさんがお呼びですよ」
「わかった、すぐ行く」
 レリィは素早く立ち上がり、スカートを整える。
「ごめん、ちょっと行ってくる。ちゃんと書き取りしててよ」
「わかってる」
 レリィが小走りで扉を開け、後ろ手に閉めるのを見届けてから、シャンクがいたずらっぽく笑う。
「邪魔しました?」
 シークェインの「さっさと行け」と追い払う仕草にもう一度笑い、シャンクは窓から姿を消した。
 一人になったシークェインは、胸ポケットから折りたたまれた手紙を取り出すと、座卓にはりついてそれを開いた。辞書を手元に寄せる。指でなぞりながら、単語ひとつひとつを見比べる。
「し……、し……親愛なる? あほう、こんなので辞書引く手間増やすな」
 時には独りごち、時には顔をしかめ、悪戦苦闘しながらも少しずつ解読していく。
『親愛なるシークェイン殿
 お元気ですか。
 ラドウェアも少しずつ夏らしくなってきました。
 エアヴァシーの夏は、長いと聞きます。
 長くて、とても長くて、』
 次の行は、シークェインの手をしばし止めさせた。
『少し、不安になります。』
 寂しげな表情で窓の外を眺めるレリィの姿が頭をよぎった。だが彼女はさらに次の行で、すぐに「何気ないふうを装って」いる。
『ではまた、冬にラドウェアで。
 お元気で。
    レリィ・ファルスフォーン』
 辞書を置き、シークェインはふっと笑った。
「何が恋文だ、シャンクのやつ」
 その手紙が読まれるまで、実に半年以上かかっていた。

 レリィが部屋に戻ると、そこはもぬけの殻だった。
「シーク?」
 あの巨体が隠れられる場所などないとわかっていながら、部屋を隅々見渡す。いない。
 机の上には紙が一枚。そっと手に取り、ベッドに腰掛ける。紙には太い線で書かれた文字がのたくっている。
『レリィ
 反事 去年の手紙』
「……なにこれ。返事?」
 早速字が間違っている。シークェインが書いたものであることは間違いない。
 高鳴る胸を押し留める。不安になるな。だが期待もするな。指がかすかに震えている。
『今読んだ
 おまえの字が好きだ
 意味わからなかたが見てる 何度も
 次エアヴァシーに連れて行く 夏
 覚悟しろ
      シーク』
 こぼれそうになる笑みをこらえるように、レリィは唇を結んだ。落ち着けとばかりに息を吸い、吐き出す。手紙を丁寧な四つ折りに畳んではみたものの、それをどうしたものかわからない。
 まぶたを閉じ、もう一度息を吐く。押さえつけていた胸に、高鳴ることを許した。口角が上がるのを抑えるのもやめた。
 仰向けにベッドに倒れ込む。折り畳んだ手紙を陽にかざす。窓の外、空を吹き渡る風は、もうじきこの地に煌々たる太陽を連れて来るだろう。
 今年の夏は、長くはない。

サークル情報

サークル名:空想工房
執筆者名:KaL(神名リュウト)
URL(Twitter):@KannaLute

一言アピール
「空想工房」は2016年秋に結成した創作サークルです。漫画・イラスト・小説など、様々なジャンルの創作者が集まっています。
シークェインとレリィ、二人の旅の様子は個人誌(小説)『ただ解り合えるから』に、またシャンクは空想工房『カケラ Vol.2』に寄せた漫画にも登場しています。

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