美味食と宇宙人
【返信】第※※※※※号より第※※※※※※号へ
親愛なる我が弟にして後輩へ
元気にしているだろうか。
わたしは変わらず◇◇◇◇星の周回軌道で研究対象たちを見下ろしている。
さまざまな種類の動物達の活動する姿を見ては、今日も大きな事件はないと安心している。
さて、君の通信とレポートを読んだ。
君が傲慢にも現地語で地球などと名乗る辺境の中の辺境星へ行くと言い出した時には、変わり者の頭のタガがとうとう外れたかと思った。しかし、確かに誰も知らない星での第一人者になるという発想は鋭い。君のレポートからは、綿密で細やかな現地生物への視線を感じることができる。
だが、レポートの中には懸念すべき事項もある。
我々は母から分泌される蜜以外の食物を消化できない。
しかし君は現地の生物たちを加工した食物を美味そうに摂取している。
その辺境星の生物が我々の心身にどう影響を及ぼすか、誰も突き止めてはいない。
君以外にその星に興味を持つ者がいないから、当たり前ではあるが。
そして君は、ホモ・サピエンス・サピエンスという生物種に擬態して、現地の生物と交流を持っているという。
観測する行為自体がその事物に影響を与える、ということを知らない君ではないだろう。
交流は危険だ。今すぐにでも衛星軌道上に戻り、ただの傍観者として現地生物との交流を断つように。
特に、『コーナ』という識別名のついている生物への強い思い入れが見られる。
レポートを読む限り、多少の意志の表現ができるようだが、彼らは宇宙の神秘と真理を理解できない生物だと思しい。でなければ、有機物を摂取するなどという共食い行為に走る理由はない。
そんな生物と意志の疎通が図れるというのは、思い入れゆえの幻想だ。
サンプルと友好を結ぶなど、我々の理解の外にある。
もう一度言う、今すぐ現地生物との交流を絶つように。
それを除けば、母たちにも評価されうる素晴らしいレポートである。
わたしが推薦状を書くから、君は今言った点を修正して再度送って欲しい。
君の夢のため、わたしも応援することはやぶさかでない。
超時空通信でいつでも君の話を聞けるから、迷い悩んだ時はいつでも連絡して欲しい。
君の健康と安寧を願っている。
君の兄にして先輩より
* * * *
「兄から手紙が来たのですよ」
冬馬海松さんは前置きなく言った。膝丈スカートのスーツが、今日も様になっている。ハーフアップにされた髪には光沢がある。
宇宙人にも兄弟という概念があるらしい。
「お兄さん、なんて?」
「現地生物との接触はするな、と」
なるほど。地球人も、最近は外来種の持ち込みによる生態系の崩壊を奨励していない。昔は養殖したフナやメダカをよその河川に放流していたが、今ではそのような行為は禁止されている。
「でも言うこと聞く気ないでしょ」
「なぜわかるのですか」
「海松さんとのつき合いは長いんです、それくらい予想できますよ」
俺が言っても、海松さんは表情を変えない。別に機嫌を損ねているわけではない。この人にはおよそ感情というものがないのだ。
地球で労働して、場の空気を読む能力を手に入れた海松さんは、愛想笑いくらいはできる。
しかし俺と二人で喋る時には、宇宙人らしさを隠さない。「その方が楽なんです」とのことだ。
もっとも、今では――
「光成さんの書いている児童書も添付しましたよ」
さすがに、地球外生物が読むことまでは想定していない。
「どうでしたか、何か感想とかありましたか?」
「特に何も。つたないながらわたしが翻訳しましたが、現地生物の鳴き声としか認識されていない可能性もあります」
それはひどい。もっとも、海松さんの母星は、『辺境のさらに辺境』の地球まで人や物資を輸送するほどに文明レベルが高い。いまだ火星にもたどり着けない地球人を見下すのも当然と言えよう。
それでも、己の作品では宇宙人にトラウマを植えつけられない、という事実には地味に落ち込む。
俺の落胆に気づいたのか、海松さんはとりなすように言う。
「光成さんの小説は展開が丁寧でわかりやすいですよ、もっと自信を持ってください」
「どうも褒められてる気がしない……」
ちょうどそこで、紅さんがコーヒーポッドを持って俺たちの席に来た。俺たちは『今日のおすすめ』を頼んでいる。
「おかわり、どうです?」
「いただきます。海松さんも飲みますか?」
「じゃぁ、わたしも」
紅さんは海松さんと俺のカップにコーヒーを注いだ。ひと口すすった海松さんは、紅さんを見上げた。
「どこの豆ですか」
「スマトラです」
「一杯目から、独特な風味が気になっていたんです。これがスマトラなのですね、覚えておきます」
海松さんが笑顔を向けると、紅さんもまんざらではなさそうな顔をする。
俺のコワークスペースも兼ねているこのカフェ『ファクト・エレクトロ』は、マスター兼オーナーの紅さんが経営している。ディナーの前に閉まるが、昼はしっかり客入りがあるので、いきなり潰れるようなことはないだろう。
アメリカ人とのハーフだという(俺より歳上なことを感じさせないほど肌の張りがあり、顔がいい)紅さんは、目の前にいるのが地球生物を観測しに来た宇宙人であることなど想像もしていないだろう。
もっとも、もしそれを伝えても、「小説の方向性に悩むあまり、とうとう妄想を受信し始めた」と心配されるのが関の山だ。
カフェに来づらくなるのは避けたい。海松さんは特にそのことを口止めしていないが、話したら俺の正気が疑われるということを理解しているのだろう。
カウンターへ戻る紅さんの背中を目で追い、俺は改めて海松さんへ向き直る。海松さんは、灰色のような緑のような青のような、名状しがたい色の目で俺を見た。
「現地生物と接触するなということは、このスマトラのコーヒーも飲めなくなります。それは嫌ですね」
「コーヒーのために、お兄さんの言う『危険』を冒すんですね」
「地球食物の味覚を知ってしまいましたので」
海松さんはうっすらと笑う。紅さんや他の人間に向ける愛想笑いとは違う、ぎこちなくも素直な笑みは、長年の地球暮らしで獲得したものだ。他の地球人――いや母星人も見たことがない。そのことがなぜか妙に誇らしい。地球の食物は、感情を持たなかったはずの母星人をも変えることができる。
この現象をNASAにでも教えれば、宇宙科学の進歩に繋がるのではないか――などとも思うが、俺は海松さんを売り飛ばしたくはない。海松さんがぶしつけな検査や心理テストなどを受け、下手をしたら解剖などもされてしまうなどと、想像するだけで気が滅入る。
もっとも海松さんは、何人もの地球人に同様のことをしてきたのだが、顔も知らないどこぞの地球人と、今目の前にいる海松さんとでは、俺に感じられる命の重みが違う。生命は平等である、なんてのは嘘っぱちだ。
海松さんはわずかな笑みを浮かべてコーヒーカップを傾ける。この人は確かに宇宙人で、今の肉体はモーフィングで得たかりそめの殻のようなものだが、この顔には少なからず愛着がある。
俺もならってコーヒーを飲む。この酸味も海松さんを地球に留めているものだと思えば、いつもの何倍も美味に感じられる。
サークル情報
サークル名:Svalbard Island
執筆者名:北川素晴
URL(Twitter):@suba_rubaru
一言アピール
はじめまして。いつもは伝奇BLや日常3Lを書いています。今回は日常部門から、『すこしふしぎ』話要員に出張してもらいました。もし本編にご興味がおありなら、note(ツイプロフから飛べます)に掲載されている小説もお読みいただけたら幸いです(R-18BLあり注意)