ラブレター

「はじめまして。私は、あなた方に我々の文明を伝えるために、[地球]と呼ばれる遙か遠い惑星からやってきた者です」
 研究者たちに[手紙]と名付けられたその少年は語る。[手紙]は辺りの反応を伺うように、しばしの間沈黙した。答えはなかった。周囲は、ただ、闇であり、人間の視覚で捉えられるような光はどこにもなかった。しかし、[手紙]は言葉にならない[思考の波動]が空間に充ちているのを確かに感じた。なので[手紙]は、己の使命であるメッセージの伝達及び説明を続行することにした。
「残念ながら、このメッセージをあなた方に伝えようとしている我々の文明は既に滅びました。なので、もしあなた方が我々との間に文化的な交流を求めていらっしゃるならば、それは叶わぬ夢です。しかし、残された文明を伝えることはできます。我々……人間と呼ばれる知的生命体が気の遠くなるような長い時間をかけて培った文明、私たちがこの広大な宇宙の中に確かに存在した証を、誰かに、どこかに伝えたい……それが僅かに生き残った人間達の共通する最期の願いでした。だから、その願いを叶えるため、人間は自らの滅亡の直前、最後の受精卵細胞に[手紙]と名付け、小型宇宙船に乗せて宇宙に送り出したのです。[手紙]とは、かつて人間が[文字]という記号を連ねて意思の伝達を行うために用いた道具です。私は[手紙]として[他の星の知的生命体に地球の文明を伝えること]を目的に、宇宙船の培養ボックスの中で誕生し、成長し、人工知能による教育を受けました。その結果、人間が遺した文明の全てを、私は記憶しました。そして、今、私はあなた方と対峙しています。成長過程で私の体内に埋め込まれた思考波動検出センサーが、複雑で高度な思考に特有の波動をこの星から検出したため、先ほど、宇宙船をこの星に着陸させたのです。私はあなた方に地球上にかつて存在した様々な文明を伝えることができます。それを利用するもしないもあなた方の自由です。あなた方もきっと独自の方法で独自の文明を築いていらっしゃることでしょう。我々の文明の遺産があなた方の文明の発展に少しでも寄与することになれば嬉しく思います」
[手紙]はそこまで言うと、言葉を切った。実は[手紙]の発した言語は、地球上に存在した如何なる言語でもなかった。この星の環境を分析して、もしこのような環境で知的生命体が言語を創出したのなら……という仮定のもと、地球のあらゆる文化における言語パターンを組み合わせ、もっともこの星の住人に伝わる可能性の高い[新しい言語]を構築して使用したのだ。
 しかし、返事はなかった。
[手紙]は、言語の組み合わせパターンを更新し、また別の新しい言語を構築して、再び同じ内容のメッセージを語った。それを何回か繰り返した。
 しかし、それでも返事はなかった。
 実は、この星でひっそりと暮らす知的生命体は、コミュニケーションに言語を使わなかったのだ。そもそも彼らは、言語を発するための口に当たる器官を持っていなかった。彼らの体の99%以上はプルプルとした弾力を持つゼリー状の不定形物質で構成されていた。シロナガスクジラ程の大きさの個体も、アルマジロ程の大きさの個体もいた。彼らに共通していたのは、体の中心部におよそ直径1cmの球形の核を持っていることだった。この核こそが、彼らの「脳」なのであった。
 彼らは言語だけでなく、文明も持っていない。他者とのコミュニケーションよりも、孤独の中の深い思索を大切にしているからだ。しかし、だからといって他者との交流が全く無いというわけでもなかった。何らかのトラブルによって彼らの種の存続が危険にさらされるようなことがあれば、すぐさま寄り集まり、意見を交換しあい、積極的な解決を試みることもできた。
 彼らのコミュニケーションとは、互いにゼリー状の体を接触させ、小刻みに振動し、捻れあいながら融合することだった。幾つもの個体が集まり一つの塊になることで互いの知識と考えを共有させるのだ。どろどろと融けあった体の中を循環する化学物質こそが、彼らの言葉であり、文字でもあった。
 だから、彼らは自分たちの前に突然現れた未知の生命体[手紙]に対しても、まずは同じようなコミュニケーションを試みた。彼らの中で最も年長の個体が、自分の体の一部を薄い膜のように変化させ[手紙]の体を包み込んだ。年長者に倣い、[手紙]を取り囲んだ他の449体の個体も同様の行動を行った。そのため[手紙]は450枚のねっとりとした膜で全身を覆われることとなった。
[手紙]は「襲われた」と思った。敵意を持った生命体から攻撃を受けた場合の対処法も、事前に人工知能から教えられていた。それは「抗わない」ということだった。
[手紙]は、あくまで他の生命体への友好的なメッセージの伝達を使命として創られた存在なので、友好的でない生命体と出会ってしまった場合は、残念ながらその存在価値を失い、大人しく絶命する運命を受け入れる他はないのだ。
 しかし、[手紙]は攻撃を受けたわけではなかった。この星の住民達は[手紙]の体をくまなく調べるうちに[手紙]の核となる部分が、体の上部に突き出した凸凹のある球状の殻の中に収納されていることに気がついた。彼らは、体の一部を細い糸のように変化させ、慎重に[手紙]の鼻の穴に差し入れた。彼らの創り出した糸状感覚体は、蠕動しながら[手紙]の頭蓋骨内側の最奥部に進み、やがて脳に到達した。
 その瞬間、大いなる波動が、互いに重なりあってどろどろに融けあった450個体の柔らかい肉体を激しく揺さぶった。彼らは、地球上で勃興し、進展し、滅亡した[文明]というものを瞬時に理解した。
 それは彼らにとって想像を遙かに超えた新しい知識であった。
 彼らは議論を開始した。[手紙]が持ち込んだ[文明]を受け入れるのか、否か。
 議論は、その場にいた450体以外の個体にも広がった。数百体、数千体が融けあったひとつの巨体の中を情報伝達物質が光に近い速さで駆け巡る。彼らは、各々の哲学と理論に基づいて持論を展開させた。
 彼らには寿命は無い。しかし「死」はあった。彼らは、他者と交わした議論で負けた場合、死ななくてはならなかった。正確にいうと、相手の意見を論破できるだけのロジックを構築できなかった場合、彼らの核はストレスによって粉々に砕け散り、体ごと相手に取り込まれてしまうのだった。
[手紙]がもたらした[文明]という知識を巡って展開された大規模な議論の末、この星の彼らの個体数は瞬く間に半分以下になった。生き残ったのは、文明受け入れ派だった。
 彼らは好奇心が旺盛な個体の集団であったため、早速、地球の文明を模して[街]を造ることにした。しかし、この星には資材がない。
 そこで彼らは、彼ら自身の体をちぎり取って固め、いろいろな建造物を拵えることにした。摩天楼を造り、ピラミッドを造り、高床式倉庫を造り、吊り橋を造った。ギリシア風の神殿を造ると、その中に[手紙]を住まわせ、[手紙]が生きるのに必要な空気と栄養素を与えながら、祈りを捧げて信仰した。
 建造物の工法や[手紙]の信仰の仕方等を巡って、彼らはやはり幾度と無く議論を行った。その度に彼らの個体数は減っていった。
 神殿の中の[手紙]は彼らの様子を黙って観察していた。[手紙]の脳には、自分が乗ってきた宇宙船を遠隔操作できる機能が備わっていた。彼は、街の上空に宇宙船を飛行させた。そして、宇宙船から送られてくる、赤外線でセンシングされた街の映像を眺め続けた。
 そうするうちに8000年の月日が流れた。[手紙]は街の発展がこの2、300年の間でじわりじわりと停滞し、ついに停止したことを確認した。
 そこで[手紙]は、この星に到着した時以来、初めて神殿の外に出た。この星の住民達が遺した建造物の連なりが、遙か遠くの恒星の光を反射させて[手紙]の肉眼でも分かる程度に淡く輝いていた。
[手紙]は港に向かった。港には、海を臨んでそびえ立つ灯台や巨大な客船が置かれている。海は不思議な程明るく、きらきらとした虹色の光を放ちながらうねっていた。この海は水ではなく、議論に負けた者達の死骸を寄せ集めてつくられていたのだった。
[手紙]は遠隔操作で宇宙船を港に呼び寄せ、目の前の海にとぷんと浮かべた。彼は、とろとろと流動する海の上を覚束ない足取りで渡り、宇宙船のデッキに苦労して辿り着いた。
[手紙]はもう年老いていた。
[手紙]の肉体は、100年に1歳分の歳を取るように設計されていた。つまり[手紙]はこの星に到着してから80歳分、歳を取ったのだった。これからこの宇宙船に乗って宇宙を漂流したとしても、再び知的生命体と遭遇できる可能性は限りなく0に近い。
[手紙]は、ふと、自分がこれからどうすればよいのか分からなくなり、途方に暮れて立ちすくんだ。
 その時[手紙]の足に触れたものがあった。ネバネバとしたアメーバ状のものが踝に絡みついている。それは、この星の最期の知的生命体であった。
[手紙]は、その生き残りの柔らかい体を慎重な手つきで持ち上げ、胸に抱いた。すると、どろっとした膜が[手紙]の胸の上で薄く広がり始め、まるで最初の邂逅の時のように[手紙]の体を包みこんだ。それは抱擁だった。[手紙]は鼓動が高まるのを感じながら、宇宙船のオペレータルームに入った。
[手紙]の皮膚が、肉が、内臓が、とろりとした膜に包まれて融けていく。[手紙]は深い安らぎを感じ、これがおそらく「愛」という概念なのだと悟った。
[手紙]は宇宙船を天に向かって発射させた。
 もはやどこにも行く当てのない旅であった。[手紙]は、今、完全に手紙としての役割を終えた。
 宇宙船は、愛し合う2つの生命体を乗せたまま、無限の闇の向こうへとゆっくりゆっくりと漂い流れていった。

サークル情報

サークル名:UROKO
執筆者名:三谷銀屋
URL(Twitter):@miyaginn_books

一言アピール
怪奇幻想小説を中心に執筆しています。10月31日に公開された「落とし文」に続いて2作目の投稿です。せっかくの2作目なので、普段はあまり書かないSF風の小説に挑戦してみました。SFっぽいお話は短編小説集「YURAGI」にも掲載していますので、こちらも良ければよろしくお願いします。

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