裏技
レンから葉書が届いた。
繊細なタッチで描かれた風景画に、
「宿帳にこの宛名の住所と、タナの名前を書きます」
と短く添えてあった。
よし、裏技成功。
本名を知られることは回避できた。
住所は正しいが、宛名として書かれているのは、私の本名でもペンネームでもない。レンとの連絡用につくった新しい名前だ。私とレン以外は誰も知らない。というか、用が終わったら捨てる名前だ――たなあげ・みらい。
レンこと浅見蓮は、SNSで知り合った十七歳の少女だ。アトピー型の喘息持ちで高校を休みがち、家庭の事情もあってストレスが溜まっていたのか、なりきり男子高校生のサイトに登録していた。当然、自画像の装いは男子学生だが、色白で長い黒髪、眼鏡をかけているのは、おそらく本人を反映しているのだろう。
タナこと私は、本名島泉、ペンネームは納谷みらい。二十代の後半からライトミステリや、ほんのりエロティックな百合小悦を書いている。とはいえ、デビューから十数年たった今、原稿の依頼はほぼない。つまり開店休業状態で、自宅近くにある運輸会社で、午後から夜にかけてアルバイトをしている。実家にいるので家賃がかからないのが救いといえる。レンが参加しているSNS上では、棚上志朗の名前で男子高校生をやっている。昔書いていたミステリ、タナトスシリーズの主人公だ。日常の愚痴を発散させる場所が職場以外に欲しかったが、ペンネームでも実名でも差し障りがあるので、男子学生の姿で呟いている。
この、ぼやいてばかりのタナに、なぜかレンは興味をひかれたらしく、やりとりをしている内に、なりきりサイトからは見えない場所で、自分の事情を打ち明け始めた。若者向けの小説家などやっていると、悩み相談はよく受けるので、それとなく相づちをうっていたが、ある日レンから、「タナのことが好きなんだ、つきあって欲しい」と告白された。
一瞬、倒錯的だな、と思った。
私たちはオンライン上では二人とも男子高校生だ。そして向こうが年齢や性別を詐称していなければ、親子ほども年の違う女同士だ。
果たして、つきあっていいのだろうか?
とはいえレンは山形在住で、新幹線を使っても、我が家からは三時間以上離れているのは間違いない。病弱な少女と現実に逢う機会はないだろうと考えて、私は交際を了承した。
しかしある夜、チャット上で、レンはとんでもないことを言い出した。
「タナ、肘折温泉に興味があるって言ってたよね」
「うん、あるよ」
中井英夫の『人形たちの夜』の秋の章は、山形が舞台だ。失踪した義姉の探索を頼まれた早田裕は、兄に残された暗号のような手紙とこけしを頼りに、東北へ向かう。旅先で宮下雪夫という涼やかな大学生と知り合い、肘折に宿泊した夜、二人は肌を重ねる。だがその後、宮下も失踪、裕はついに、見たくなかった真相にたどり着く――暗号メインの幻想小説で、好きな一編だ。いつか山形に行くことがあったら、肘折のひなびた温泉に行ってみたいと考えていた。そして記念に、裕のように遠刈田こけしを買って帰る――。
「肘折はうちから近いから、家族でよく行くんだ。いつも泊まる宿もあるし、年があけて、タナのバイトが少しヒマになったら、一緒に行かない?」
「えっ」
「こっちが高校生ってこと、気にしてる? でもタナを家族に、友達だって紹介したいだけなんだ」
家族ぐるみの旅行につきあえ、ということか。
私は正直に答えた。
「うーん、ちょっと考えさせて。親の病気のこともあるし、シフトの関係もあるし」
「二月だったら少しヒマって言ってなかった? タナが買いたいなら、こけしを買うのもつきあうよ。近くに工房があるから、案内できると思う」
「そうなると、家の人間とバイト先に相談しないといけないから、具体的な話は、また来年でもいいかな」
「もちろん。こっちはいつでもいいから。忙しい時期にありがとう」
レンはチャットを落ちていった。
うん。
倒錯的だな。これは。
現実の話をすると、男親の病状は、抗がん剤がきいて安定しており、今日明日に死ぬということは、ほぼないと思われる。シフトも、物の動きが少ない二月なら、調節がつかないこともない。
単にレンは、オンライン上ではうるわしく見える男子学生に恋をしているだけだ。現実のさえないオバさんが目の前に登場すれば、すっかり幻滅することだろう。まして、自分と十代の彼女が、妖しい展開をすることはないはずだ。彼女の家族が、某宗教の信者であることはわかっている(「今日は親が《おつとめ》に行ってる」という言葉でピンときた。そして「クリスマスは祝わないんだ。初詣も行ったことない」と言われて確信に変わった)。だがまあ、信者にならないと家に帰してもらえないことは、たぶん、ないだろう。
それよりなにより、旅行には行ってみたかった。
自分の暮らしに、新しいこと、なにか気晴らしがあって、いいはずだ。
危険な香りがしたら即座に帰ればいい。
ただ、それだけのことだ。
ところで日程を定めて会社に有休を申請し、宿泊先や土産を買う場所も決まり(一泊目は温泉でおちあい、二日目はレンの家を訪ねることになった)、新幹線や帰りの予定まで整った時、レンがチャットで妙なことを言い始めた。
「タナの名前と住所を教えてもらえる?」
「何に必要なの?」
「緊急連絡先ってことで、宿帳に書かされるんだ」
「そんなの、レンのところでいいよ。僕はいいよ」
「でも、万が一、タナになんかあった時に、連絡できないからね。ご家族に病人もいるんでしょう。どうしてもダメなら、固定電話だけでも」
「あー、じゃあ、とりあえずメールでいい?」
「うん。こっちの住所と電話も教えるから。手紙も書きたいし。よろしくね」
私は考えた。
果たして、会ったこともない相手に、本名や住所や電話番号を教えて、大丈夫か?
……あまり、大丈夫では、ないな。
しかし、架空の住所を教えたりしたら、レンが確認のために手紙を送った場合、「宛所にたずねあたりません」で、レンの家に戻ってしまう。不審に思われるだろうし、旅行の話はなくなるだろう。
どうする?
よし、決めた。
名前だけ、架空のものを使おう。
ペンネームで郵便を受け取りたい場合、一番確実な宛名は、《住所+本名の名字+様方+ペンネーム》だ。基本的に「○○様方」と書いてあれば、○○さんの家に届くことになっている。つまり「島様方 棚上志朗様」で届く(自分が相手に知らせる時は、様をとって「○○方」と書くが、そのまま様をつけずに書いてくる常識がない人間がいる。しかも作家だったりして、「よく佳作入選できたねえ」とびっくりする。投稿する時に宛名の書き方ぐらい調べるだろうに。そうでなくとも、いにしえの同人作家達にとっては基本の連絡方法だったから、その頃の人間はみな知っている。ネットが普及していなかった時代、連絡方法はほとんど手紙だったのだ。同人誌の奥付に、作家本人の住所が載っていた頃の話だが)。
二番目の方法は、郵便局に届け出を出すことだ。住所とペンネームを書いて、転入届を出してしまう。この住所にはこういう人がいるんだな、ということが配達員に伝わるので、基本的に、差出人に戻されたりはしない。というか、書面で依頼しているのだから、届かなかったら文句を言える。
この方法は郵便局以外の配達業者に対して使えないのが弱点で、郵便局でもたまに「こんな人いなかったよな」と思われて、戻されてしまう可能性がなくもない。なので一番といえないのだが、相手が普通に宛名を書いてくれれば、まあ届く。
それで私は、新しい名前を考えた。
男子学生の名字+ペンネーム。納谷みらい名義では、すでに届けを出しているので(出版社からはこれで届く)、みらいさんの新しい名字として覚えてもらおう。
で、新しい届けを出した。
住所だけでも教えるのは危険ではないか、とは思う。
ただ、私の経験からすると、家に引きこもっている若者は、外で待ち合わせて会うことまでは出来ても、家まで押しかけてくる可能性はかなり低い。そこまでの社会性やパワーを持ち合わせないのだ。きっぱり拒絶されたら、諦めてしまう。
私の場合は、別の特殊条件もある。
我が家と同じ番地に一戸建てとアパートが六軒もあるので、正しい名字がわからないと、どこの家か特定が難しい。実家暮らしで家族が複数、しかも死にかけの病人とはいえ、男の家族もいる。これはなかなか襲撃しにくい。
つまり、私が女の一人暮らしだったら、相手が男だろうと女だろうと、住所は教えなかった。そういうことだ。
届いた葉書には、山形の住所と、晝間恋という名前が添えてあった。つまりレンという音は本名通りで、おそらくヒルマ・レンと読むのだろう。グーグルマップで調べると、駅からそんなに遠くない場所のようだった。地形を頭にたたき込む。あとは電車の本数をチェックしておけば、万が一拉致されても、脱出できそうだ。
夜のチャットにあがってきたレンに「葉書、届いたよ。綺麗な絵だね」と私は言った。
「よかった。ちゃんと届くか、心配だったんだ」
「葉書にレンの名前が書いてあったけど、ご家族の前ではレンのこと、なんて呼べばいいの」
「そのままレンでいいよ。タナはタナでいいの?」
「うん。もちろん。ただ、ご家族に話すときは、棚上みらいにしてね。ところで、お世話になるんだから、何か皆さんにお土産とかもっていかないとね。なにがいいんだろう」
「そんな気を遣わなくていいよ」
「そういうわけにはいかないよ、こっちは大人なんだから」
「じゃあ、うちにくる時、タナ、何かつくってよ。こないだ言ってたスコーンとか」
「そんなものでいいの? じゃあ材料と道具を持って行くよ」
「楽しみだな。じゃ、また泊まりの日が近づいたら、もう少し細かい話をするね」
「うん。またね」
そして約束の日、肘折温泉の老舗旅館で、私は色白の美少女と出会うことになるのだが、その話はまた、後日と言うことで――
サークル情報
サークル名:恋人と時限爆弾
執筆者名:鳴原あきら
URL(Twitter):@narisama_cmbot
一言アピール
BL・百合・ミステリ・戦国BASARA三吉を書いています。
今回の作品は百合作品集『ガラスの靴が欲しいわけじゃない』に収録した「かまたまうどん」登場の、棚上志朗くんこと島泉さんのお話の続きで、ある意味BL、かつ百合です。テキレボEX2新刊の料理百合本『たまに料理しようと思ったらこれだよ』に続く予定です