はなたばのてがみ

 呼び鈴が鳴った。
「ママーッ、おとなりのおにーちゃん!」
 同時に、庭から駆けてきた幼い娘のよく通る声が、静かな昼下がりに響く。わたしは洗い物の手を止めて玄関へと急いだ。
 扉を開けると、娘はわたしの服の裾にぴたりと取りついて半分隠れながら外を伺う。客人が笑いかけると、ぱっと顔を隠してしまった。四歳になって今が真っ盛りの人見知りは、どうやらわたしに似たみたい。
「こんにちは、パンジーさん、ポピーちゃん」
「いらっしゃい、トリヤ。町からは今戻ったの?」
 あばたの残る顔で気さくに笑う青年は、わたしの問いにこくりと頷く。
「うん、たった今。今日もビオラさんの手紙、預かってきたよ」
 大きな町と町を繋ぐような仕組みはともかく、片田舎の小さな村には郵便など無い。移動する人についでに託けて、一緒にちょっとしたお礼を渡すのが慣習だ。わたしは腰の物入れに入れておいたお礼の白い袋と、おまけの焼菓子を渡して、引き換えに茶色い小包を受け取った。今回は何かしら、見た目よりも重みがある。
「いつもありがとう。またお願いね」
 玄関の扉を閉めるやいなや、娘は好奇心いっぱいの顔で小包に手を伸ばした。
「ママ、ビオラちゃんから? それなに? なにがはいってるの?」
「ちょっと待ってね、ポピー。ここで開けたら危ないわ。お部屋に戻ってから開けましょうね」
 制する言葉もろくに耳に入っていないようで、娘は小包を狙ってぴょんぴょんと跳びはねる。わたしは苦笑しながら、小包を高く掲げてその手を避けた。
 ビオラはわたしの幼馴染みで、一番の親友。今は少し離れた町に住んでいるけれど、行き来も手紙のやり取りも多い。わたしに娘が生まれたときには駆け付けてくれて、自分のことのように喜んでくれた。可愛がってたくさん遊んでくれるビオラに、娘もよく懐いている。会える頻度は高くないけど、ビオラと遊んだことは毎回しっかり覚えているみたい。
「ビオラちゃんのおてがみ、ポピーもよむ!」
「はいはい」
 まとわりつく娘を躱しながらやっと居間のテーブルに小包を置き、紐を解いた。待ちきれない娘がばりばりと防水紙を剥がしていく。中から出てきたのはいつもの手紙と、平たい箱だった。特別に重いもではないようで、娘が両手で持って丁度いいくらい。箱の蓋には丁寧に「ポピーちゃんへ」とカードが貼ってある。
「ママ! これ、あけていい?」
「良いわよ。それ、ポピーのですって」
「ポピーの!?」
 喜ぶ娘を傍目に見守りつつ、わたしはビオラからの手紙を開けた。
『パンジーとポピーちゃんへ
 この前の夏至祭りは、せっかく町まで来てくれたのに会えなくてごめんなさい。せめて秋分の前にはちょっとでも遊びに行こうと思ってたけど、今年は準備が立て込んでいて行かれそうにないの。ポピーちゃんとも約束したのに遊べなくてごめんね! 私もポピーちゃんに会いたいよ! 次会えるのを楽しみに、お仕事頑張るからね!
 一緒に送った箱は、反古にした約束のせめてもの罪滅ぼしです。ポピーちゃんが喜んでくれたら嬉しいな。次の星まつりは、絶対一緒に遊ぼうね!  ビオラ』
 素直で実直で、ビオラらしい手紙。文字を追っているだけでも、あの明るい声が聞こえてきそう。わたしは思わずくすりと笑みを溢した。
「ママ! みて!」
 ほのぼのしていたら、突然腕をぐいと引っ張られた。
「みてみて! すごいの! すごい、いろがたくさん!」
 娘は興奮した様子で捲し立てながら、色とりどりの短い棒状のものを掴んでわたしの目の前に突き出した。赤、青、緑、黄色、朱色、桃色、空色、紫、黒、茶色……。先程の平たい箱の中につまっていたのだ。こんなにたくさん色があるのは初めて見たけど、似たものは町で見たことがある。
「これ、“花蝋”じゃない」
「はなろう?」
 花蝋は、蝋に顔料を混ぜて固めたものらしい。らしい、というのは、わたしも詳しくは知らないからだ。絵を描くものだというけれど、わたしはそういう楽しみもないし。手紙を書くにも服の図面を引くにも、ペンとインクでこと足りる。何より、市場で見かけた花蝋は、なかなかに高価だった。色インクの何倍だったか……。こんなたくさんの色を揃えたなら、かなりの金額だったんじゃないかしら。
 まあ、せっかく贈ってくれたビオラのお財布事情までわたしがとやかく言うことでもないか。好意は受け取らないとね。
「ほら、ポピー、見てごらん」
 わたしは花蝋をひとつ手に取り、包み紙にすっと滑らせた。軽く尖らせてある花蝋の先が少し削れ、紙に鮮やかな赤色の線が引かれる。紙に引っ掛かる手応えも小さく、インクが掠れたり垂れたりする心配もない。手もあまり汚れない。なるほど、これなら確かに小さい子供にも扱えそうだ。
「こうやって絵を描くのよ」
 わたしの手の動きを口を開けて眺めていた娘は、ぱあっと顔を輝かせた。
「ポピーもやる!」
 興奮した様子で花蝋を手に取り、紙に乗せ、ぐいっと腕を動かす。現れた青色の線に歓声を上げた。次は桃色を持って同じように。黄色も、紫も、緑も。
 何度目かに線を引いたとき、紙が引っ張られて皺が寄ったのを見て、わたしは慌てて後ろから手を添えた。
「こっちの手で紙を押さえてね。花蝋の端っこを持ったら描きにくいから、真ん中……ここをぎゅっと持って。そうそう、上手よ」
「うん!」
 娘は楽しそうに色を選んで、次々に線を描いていく。真っ直ぐな線だけでなく、ぐねぐねと曲がった線、まるやさんかくの形らしきもの、ぐちゃぐちゃと絡んだ毛糸玉のようなものも増えてきた。今日初めて手にしたもので、こんなに色々と挑戦していくなんて。よほどこの花蝋が気に入ったみたい。
 やがて、包み紙は色で埋め尽くされた。物入れに取っておいた紙の束を出して見せると、娘は歓声を上げて、ぴょんぴょんと跳ね回った。いつになくはしゃぐ娘にこちらまで頬が緩む。こんなに良い贈り物をくれたビオラには感謝しなくちゃ。
「ポピー、ビオラちゃんと遊んだの、もう結構前だけど覚えてる?」
「おぼえてるよ、ふゆのおまつり!」
「そうね、お祭りに行ったわね」
 夏至祭りではビオラが忙しくて会えなかったけれど、その前に町へ行った去年の冬至は、ビオラも運良く休みが取れて丸一日一緒に遊べたのだった。娘は大興奮のあまり翌日熱を出したから、大人は大変だったけど。
「ポピーと、ビオラちゃんと、ママと、パパといったね。あかくて、あったかくて、いっぱいきらきらだった!」
 言いながら赤い花蝋を手に取って、紙いっぱいに塗りたくった。
「ポピーもあかいふくきて、トーカもったんだよ」
「“灯花”なんて名前まで、よく覚えてるわね」
 冬至の祭りは、火の精霊の祭り。“灯花”は、その祭りの日だけの特別なともし火だ。冬至の夜にだけ、家の扉の前に専用の燭台をかけ、子供たちが小さなランプを持って町を歩くのだ。
「おぼえてるよ、ビオラちゃんがかってくれたんだもん!」
 そう言われてしまうと、親としては複雑なものもあるけれど。まあビオラだから仕方ないか。
「ビオラちゃんも、あかいふく、きてたね。ポピーとおんなじ。トーカたくさんあって、おみせもたくさんあった!」
 言いながら、赤い花蝋で大小ふたつ書いたのは人影のような形。もしかして、ビオラとポピーのつもりなのかしら? その隣には緑の人影……うん、たぶん緑色の服をよく着ているわたしだ。その隣の茶色はたぶんパパで、まわりの四角は屋台かしら。四角の中に、黄色い丸が描かれている。
「これはね、はちみつ!」
 そういえば蜂蜜飴の屋台があった。そんなに気に入ってたなら今度また買ってあげよう。
「トーカのおっきいのもあってね、あ、トーカのおみせもあったね! ひろば、きらきらしてて、いいにおいして……」
 喋りながら、思い出しながら、花蝋で次々に絵(らしきもの)を描いていく。いつの間にやら使った紙の枚数も結構なものになったし、花蝋もかなり削れて減ってきた。元来が貧乏性なわたしは、このペースで使ってたらすぐなくなってしまうのではと心配になってしまうけれど、楽しんでいるのに水を差すのもなあ……
 と、ふと思い立って、わたしは娘に声を掛けてみた。
「たくさん描いたから、ビオラにも一枚、ママのお手紙と一緒に送りましょうか」
「えっ、ビオラちゃんに?」
「送った花蝋で描いてくれたって知ったら、ビオラもきっと喜ぶわ。ポピーから、初めてのお手紙ね」
 わたしの言葉に、娘は目を輝かせて勢い良く頷いた。
「うん! ポピーの、おてがみ!」

「ビオラさん、あなた宛の手紙が来てるよ」
「ありがと、店長さん」
 それを受け取ったのは、あたしが花蝋を送ってから一月ばかり経った頃だった。
「またいつものお友達でしょう? 去年、小さい娘さん連れてきてた人」
「そう、パンジーから。あら、今回はなんだか分厚いわね」
 といっても、重たい小包というわけでもなく、包みの中身は紙だけみたい。パンジーの手紙はいつもそんなに長くないのに、珍しい。お店が暇な時間なのをいいことに、早速封を開けてみた。うん、やっぱり紙だけ、でもいやにたくさん入ってる。五、六……七枚も?
 訝しみながら手紙を開いたあたしの目に飛び込んできたのは、紙いっぱいに踊る色彩だった。
「わ……すごい!」
 思わず声に出た。まず、一面の赤色。それから緑色、茶色、黄色、青色、他にもたくさん……花蝋の全ての色を、これでもかと使って描かれた絵だった。同封されたパンジーの手紙に綴られた感謝の言葉も、もちろん嬉しい。けれど、それ以上に、言葉のない絵から伝わるものがある。
 覗き込んできた店長も目を見張る。
「これ、あの娘さんの?」
「そう! すごいわよね!」
 花束みたいな手紙を、あたしは思わずぎゅっと抱き締めていた。
 こんなに使ってくれたなら、また新しい花蝋を買ってあげなくちゃね!

サークル情報

サークル名:緞帳と缶珈琲
執筆者名:神無月愛
URL(Twitter):@m_kamnatsuki

一言アピール
ほのぼの日常系ファンタジーを書いています。守りたい、この笑顔──

かんたん感想ボタン

この作品の感想で一番多いのはかわゆい!です!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • かわゆい! 
  • 受取完了! 
  • 尊い… 
  • 胸熱! 
  • ゾクゾク 
  • 怖い… 
  • しんみり… 
  • しみじみ 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • ロマンチック 
  • ごちそうさまでした 
  • 泣ける 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • ほのぼの 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください