郵便配達員との騒がしい一日

 うとうとしていた昼下がりにドアチャイムが鳴って、ぼんやりした頭のまま何も考えずにドアを開く。
「……げ、病葉」
「げ、とはひどいですよぅ照子さん!」
 目の覚めるような真っピンクの髪と揺れる黒いお下げ髪が視界に入って反射的にドアを閉め、ようとしたけどその前にガッと足先が突っ込まれて阻まれた。くそ、素早い。
「なんだ、今日は何のトラブルだ?」
「違いますよぅ!」
 ぷんぷん、と口で言いながら勢い良く突き出されたものを思わず受け取る。
「郵便ですよぅ、照子さん」
「あ、ありがとう……」
 受け取った手紙をくるくると回転させても、極々普通の封筒だ。
「普通に手紙だ」
「病葉ちゃんのこと何だと思ってるんですかぁ?」
「トラブルを呼び込む特殊郵便配達員、かな」
「トラブル引き寄せてるのはたぶん照子さんですよぉ!」
 きゃんきゃんと姦しい病葉を見下ろすと、病葉も同じように大きな黒目をくるりと煌めかせてあたしを見上げていた。
「……何」
「病葉ちゃん、今日の配達はここで終わりなんですよねぇ」
「わざわざあたしの家を最後にしたんだろ?」
 じとーっと病葉の真っ黒な瞳を見る。向こうもあたしから目を逸らさない。そこに映るあたしの顔は、既に劣勢だった。
「………………お茶くらいは出してやろう……」
「やったぁ!」
 渋々、ドアノブから手を離すとあっという間に部屋の中へと入っていく。遠慮の欠片もないその姿に、なるべく聞こえるように大きく溜め息を吐いたけど、病葉はこちらを振り返りもしない。
 当たり前のように冷蔵庫を開け、当たり前のように二人分のコップにお茶を注いでるのはもう放っておいて、受け取った手紙の封を切る。
 中身は、先日脱走した猫の飼い主からだった。
 猫を見つけたとき軽い擦過傷があったことだけが心配だったのだけれど、手紙を読む限りすぐに治ったらしい。再び脱出を目論んでいるとしか思えないふてぶてしい顔をした猫とその飼い主が、仲良く並んでいる写真が同封されていた。
 思わず笑ってしまうと、目の前で静かにお茶を飲んでいた病葉が顔を上げる。
「読み終わりましたかぁ?」
「ん? うん」
 すると、病葉は手元のお茶を一気に飲み干して立ち上がった。
「じゃあ照子さん、行きましょぉ!」
「……どゆこと?」

「やっぱトラブルなんじゃん!?」
「ちぃがぁいぃまぁすぅぅ! これが今日の病葉ちゃんのお仕事なんですぅ!」
「配達してたって言ったじゃんか!」
「病葉ちゃんが通常地域の配達するわけないじゃないですかぁ! あれはついでのお使いですぅ!」
 あたしの文句に倍くらいの声量で言い返してくる病葉の指示に従いながらバイクを走らせる。
「だいたい、どこまで行くのよ……」
 住宅地を抜けて大通りを通り過ぎて更に町の中心部へと向かっていく。道行く人が少なくなっていくだろうとは思っていたけど、予想以上に閑散としていて、少し不安になってくる。
「もう少しですよぅ。ところで照子さんは、町の真ん中に何があるか知ってます?」
「え、そりゃあ……神さまがいる湖があるんでしょ?」
「そうですそうです……あ、そこ右に曲がった突き当たりのとこで停めてくださいねぇ」
 病葉の指示通りバイクを停め、エンジンを切る。途端に周囲がしん、と静まり返って、あたしたちだけが取り残されたような気分になる。
「到着しましたよぅ。やっぱりバイクがあると速いですねぇ。病葉ちゃんのバイクも、早く修理終わらないかなぁ……」
「あんたたちの使うバイクは特殊な部品も多いから仕方ないね。ところでさ、こんなところに用があるって、今日の病葉の仕事、何?」
 キョロキョロと周囲を見渡してみると、錆び付いた扉があることに気が付いた。あたしがその扉に気付いたことが分かったのか、病葉は真っ直ぐスタスタとそこへ近づいて行く。
「照子さんがたぶん今まで見たことないだろうし、ここを逃すときっと見ることができない仕事ですよぅ」
 病葉がカードキーをかざすと小さく電子音がして、続けて扉の鍵の開く音が妙に大きく響いた。
「……具体的には、何よ」
 あたしが食い付いたのが分かったのだろう。光を吸い込みそうなくらいに真っ黒な病葉の瞳が、緩く弧を描いた。

「『手紙のお葬式』、ですぅ」

 扉の向こう側は薄暗く、思っているよりも奥に続いているようだった。病葉から手渡されたライトを点けても、通路の先は見通せない。
「手紙の葬式って何」
「……照子さん、出した手紙が届かなかったら、どうなると思いますぅ?」
「え? そりゃまぁ……差出人に戻されるでしょ」
 あたし自身何度か経験がある。何を当たり前のことを聞くのだろうと思って病葉を見ると、病葉は真っ直ぐ前を見たまま囁くように続ける。
「普通はそうです。でも……差出人にも戻されなくて、宙に浮いてしまう手紙が時折あるんです」
「差出人にも戻されない?」
 病葉が鞄から取り出した十数通の手紙は、ひとまとめにしてきっちりと麻紐で括られていた。
「受取人も、差出人も、どっちももうこの町に存在していなくて、どこにも辿り着けない想いの塊……そういうのが、年に数通のペースで郵便局に残されてしまうんです。規定に法って決められた年数は保管しますが、それを過ぎたらある方法で廃棄します。それが、手紙のお葬式」
 するり、と手紙の束を撫でる指先が暗がりにそのまま融けて消えていきそうに見えて、数歩彼女へ近付く。
「こんな風に宙に浮いてしまう手紙って、だいたい想いが強いんですよね。そのまま残し続けてもダメ、開いて中を確認して届け先をどうにか見つけ出すなんてもっとダメ。だから我々郵便配達員は、神さまに頼ることにしたんです」
 いつの間にか立ち止まった病葉に合わせて、あたしも立ち止まる。静まり返った空間で耳を澄ませると、どこからか水音が聞こえてきた。
「水の音……水路?」
「照子さん、耳良いですねぇ。そう、ここは湖に繋がる水路ですぅ」
 あんまり前に出過ぎないでくださいねぇ、と病葉は笑いながら言いつつ、懐から出したハサミで麻紐を切った。さっき聞いた話のせいで、何だかぐるぐると重たい想いが渦巻き始めたように思えて背筋が冷たくなる。
 病葉は手紙の束から一通を手に取って、水路へ向かってふわりと投げた。投げられた手紙はひらひらと舞いながら落ちていき……青い炎が上がって、それがゆらゆらと沈んで、流れていく。
「何あれ……」
「アレこそが手紙に詰まってた『想い』ですぅ。それが湖の水に触れて、その冷たさに燃えながら神さまのところまで流れていくんですよぉ。で、神さまが想いを消化して昇華してくれるんですぅ。これで『お葬式』は完了しますぅ」
 一通一通、丁寧でゆっくりとした動作で投げ込んでいく、その度に大小様々な青い炎が上がっては緩やかに燃えながら水中へ沈み流れる。……確かに、ついて来なければ決して見ることのない景色だった。その恐ろしくも美しい景色を病葉のいるところから数歩下がって見ていると、一通の手紙が彼女の手をすり抜けてあたしの足元にひらりと落ちた。
 そっと拾い上げると、それは月に向かって手を伸ばす猫の絵が描かれた蒼い封筒で、どうしてだかその封を切らねばならない焦燥感を抱く。
 震える指先で封筒を開けようとして、「だめですよ、照子さん」するり、と封筒を引き抜かれた。
「わくらば、」
 かえして、と続けようとした唇が押さえられる。
「『手紙に込められた想いに真摯に荷物を運べ。しかし努努忘れるな、それはお前に宛てたものじゃない』」
 黒く冷えた病葉の瞳を見つめているうちに、焦りが解けて呼吸が戻ってくる。
「……郵便局員は、みぃんなこの言葉を耳にタコが出来るくらい聞かされるんですぅ。それでも、想いに当てられてダメになっちゃう人が多いんですよねぇ」
「……ごめん」
「いえいえ、病葉ちゃんが落としちゃったのが悪いんです。ごめんなさい」
 ふぅ、と息を吹きかけるようにして舞い上がった蒼い封筒は、今までで一番鮮やかな、青い青い炎を上げて沈んでいく。

『ごめんね』

 炎が沈み切る直前、どうしてだか酷く懐かしくて聞き慣れない声が聞こえた気がして、水路を見つめる。さっきの蒼い封筒にはその一言だけが書いてあったのだという、根拠のない確信だけがある。そんな一言だけで何を伝えるつもりだったのかという、強い憤りとともに。
 あたしに宛てられた手紙なんかでは、決してないのに。
「……もう葬式は全部終わった?」
「終わりましたよぉ」
「じゃあさっさと帰ろう。やっぱり何だか、強い想いとやらに当てられちゃう感じがする」
「……そうですねぇ」
 水路から出て、大きく伸びをする。
 いつの間にやら日はだいぶ傾いていて、少し肌寒いくらいだ。
「いやでも、面白かった、というか興味深い現象だった。ありがとね、病葉」
 だから別に気にすることないよ、という思いを込めて、ほんの少しだけしょげているように見える病葉の頬をつつくと、彼女はいつもと同じへらへらとした笑みを浮かべ始める。
 やはりこいつはこうでないと、調子が狂う。
「……実は今週末にも、病葉ちゃん手伝ってほしいことがあるんですよねぇ」
「嫌だ」
「町内一周ぐるぅっと配達するだけですからぁ」
「絶対嫌だからね!?」
 ……前言撤回。こいつ、もうしばらくしょげててほしい。
 きゃんきゃんと煩い病葉を後部座席を押し付けて、あたしはバイクのエンジンをかけた。

サークル情報

サークル名:空涙製作所
執筆者名:行木しずく
URL(Twitter):@gloom_tree

一言アピール
薄暗い日常系SF(すこし ふしぎ)で短い話ばっかり書いてます。
男男、女女、男女、どの組み合わせも同じ工場から出荷してるのでよろしくお願いします。

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