結婚写真
――ガシャン!
いきなり大きな音が鳴り、振り返る。
「うわっ、最悪……」
そこには、落ちた写真立てが無残にも割れていた。
「怒られる、怒られる、……よね?」
ステンドグラス製のその写真立ては新婚旅行先で、ふたりで気に入って買ったものだ。それを割ったとなると……考えるだけでも、怖い。うちの旦那様は無口な上に妙に迫力があって、「あ?」とか濁点付きで一言だけ言って見下ろされるだけで、めちゃくちゃ怖い。
「とりあえず片付けよう……」
なんで、今日。きっと、前を通り過ぎたときにバッグかなんかが当たって落ちたんだろうけど。ほんっっっっと、なんで、今日、割れる? 別に昨日でも、明日でもいいだろうに。
重いため息をつきつつ、ガラス片を集めていく。そんなに細かく割れているわけじゃないし、くっつかないかな……? なんて間抜けにも考えてみたけれど、元に戻るわけでもない。
「写真は無事、か……」
これは不幸中の幸い、……と言えるのか? とりあえず、これはどこかに避けておこうと、何気なくその、結婚写真の裏を見た。
「……なんでこんなとこに隠してるんだろ」
ヤバい、ニヤニヤが止まらない。絶対帰ってきたら、怒られるのに。
旦那様と結婚したのは三年前。当時、彼と私は上司と部下の関係だった。
「課長、どうぞ」
「……はぁーっ」
バレンタイン、書類と一緒にチョコを差し出したら、盛大なため息の音が聞こえてきた。
「結構」
書類だけ受け取り、チョコはさりげなく押し戻される。
「ええーっ、ただのチョコなんだからもらってくれても」
「……いい加減、無駄なんだからやめてくれ」
課長のアタックを続けてすでに三ヶ月がたっていた。けれどいくら押したところで突っぱねられてしまう。
「……ケチ」
「……ケチってなんだ、ケチって」
「ひぃっ」
その、ブローチックな銀縁ハーフリムの奥からじろりと睨まれ、思わず悲鳴が漏れる。
「なんでもないです、なんでも」
そろりそろりと後退し、ある程度距離ができたところでダッシュして――逃げた。
「課長、無駄に迫力あるんだからさー」
ブツブツ言いながら、次の手段を考えた。すんなり受け取ってもらえるなんて最初から考えていない。
「課長、どうぞ」
「……」
私が置いたカップに一瞬、目を留め、彼が顔を上げる。
「……はぁーっ」
またため息をつき、わざとらしく彼はこきこきと肩を動かした。
「……疲れていたんだ、もらう」
よしっ、とか心の中でガッツポーズしたのはおくびに出さない。ちなみに中身は、カフェモカだ。ギリ、チョコの分類でいいと思う。
カップを掴み、課長が口を付ける。書類を掴んだ左手薬指には指環が光っていた。――課長が私を遠ざける理由。十五も年が離れているのもあるが、まだ五年前に亡くなった奥様を忘れられないから。でも課長、無駄なんです。いまだに奥様を想い続けている貴方が好きだし、そうやって優しいところを見せられたら。
入社して配属すぐ、なんか怖そうな人でヤだな、って思った。でも、いまでも奥様のことを嬉しそうに話す課長に、キュンキュンした。そして最後、少し淋しそうな顔をするのにもいつも胸が痛む。無口だから怖そうに見えるだけで、本当は優しい人なのも知った。課長が好き。気づいたのは三ヶ月前。それから頑張って押しているけれど、毎回、かわされる。――でも、その日。
「……もう、いい」
その日は課長とふたりでの出張で、テンションの上がった私はいかに自分が課長を好きなのか車の中でプレゼンしていた。
「……すみません」
怒らせた。私がしつこいから。今度こそ、完全に拒否されるかもしれない。
「お前は俺が付き合うまで、諦める気はないのだろう? わかった、付き合ってやる。どうせすぐに、思ったのと違うとがっかりして今度こそ諦めるだろう」
くっ、とその大きな手で、落ちてもいない眼鏡を彼が上げる。
「絶対、がっかりしたりしませんから!」
現にその後、がっかりするどころかますます課長を好きになったし、さらに押して結婚にまでこぎ着けた。でも、三年たったいまでも不安になる。課長は私に押されるのがめんどくさくなって、結婚したんじゃないか、って。本当はちっとも、私のことなんて好きじゃないんじゃないか、って。だって彼は一度だって、私に好きだとは言ってくれないから。――けれど、今日。
「……ただいま」
そうこうしているうちに旦那様が帰ってきた。
「……三年目の結婚記念日」
眼鏡をあげながら、意外にも薔薇の花束なんて渡してくれた。
「ありがとう。……あの、ね?」
「なに?」
ネクタイを緩めながら言い淀む私へ、怪訝そうに訊いてくる。
「あー……。写真立て、割った。新婚旅行で買った奴。ごめんね?」
「……あ?」
予想どおり、めっちゃ見下ろされた。背後にゴゴゴなんて効果音を背負って。
「……ごめんなさい」
「割ったものは仕方ない」
はぁーっとため息をついた彼だけど、なにかに気づいたのかみるみる青くなっていく。
「……見たのか、あれ」
「……見た」
ズレてもいない眼鏡を、彼がくいっとあげる。
「忘れろ」
「いやいや、無理だって」
だってそこには、私宛のラブレターが書かれいたから。……嫌な思いもたくさんさせるだろうが、絶対に幸せにする。これからは私を愛していく、なんて無口な彼にしては熱く書かれていたら、忘れる方が無理だ。
「最初から見せてくれたらよかったのに、あれ」
「……無理だ」
また、眼鏡をあげて照れる彼は、凄く可愛い。三年も、悶々と彼に無理をさせたのでは、なんて悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。
「……新しい写真立て、買いに行くか」
「そうだね」
またふたりで、お気に入りの写真立てを買いに行こう。今度、そこに入れる写真の裏にはふたりで、未来の私たちへ手紙を書こう。
【終】
サークル情報
サークル名:めがね文庫
執筆者名:霧内杳
URL(Twitter):@kiriutiharuka03
一言アピール
眼鏡男子ヒーロー恋愛小説サークル。眼鏡リーマンは心の栄養です。オフィスラブTL系(R15含む)、恋愛文芸、BLと恋愛なら幅広く取り扱っております。眼鏡リーマン率が高い傾向にあります。眼鏡男子好きさんもそうでない方も、大歓迎!!