ダンスタブル嬢への幻想書簡 -金華青楼化鳥娘-

November 24  / 1911

親愛なるアメリア・ライザ・ダンスタブル嬢

 先日は手紙をありがとう。あなたの発見は本当に意外なことでした。
 十年前におばあさまが語り聞かせてくださった物語と似た話が、まさか千夜一夜物語にも収録されているなんて。確か、茨の城で眠ったきりの姫君の話でしたね。
 東西で似通った話を語り継いでいるのにも驚きましたが……なにより、親愛なる従妹殿。あなたの探究心に拍手を送りたいです。
 以前、二十世紀のこの現代における幻想めいた物語を蒐集していると言っていましたね。返礼というわけではないのですが、上海育ちの友人が幼少の折に興味深い体験をしたそうなので、あなたにも伝えます。
 彼の言葉を借りると、かの地にしつらえられた金華青楼という――意味合いは後述しますが、うら若い女性への手紙に記すのは気が引けます。叔父さまが見逃してくださいますように――楼閣に鳥に化ける娘が棲んでいたと……そのような、まったく不可思議な話です。
 聞き語りのそのままに書付を取ったので、清書して送りますね。次の紙から四枚分は、アメリアの好きな幻想譚です。
 あなたの蒐集に加えるため題をつけるとするなら、そうですね。友人の言葉を借りるなら、「金華青楼化鳥娘」とでもまとめるべきでしょうか。

 くたびれ褪せた柱の青を背に、うねる黒髪をつややかに身へ流したまま、彼女は僕を見下ろしていた。
 その頃のことは、不思議と今でもよく憶えているよ。
 埃っぽい路地の一画に初めて青い柱をみとめたのは、上海租界へ移り住んでしばしの頃の、幼い時分のことだった。当時、僕はまだものごとの分別が正しくつかぬほどに幼く、またその分だけ好奇心をふくらませる恐れ知らずな子供だったと思う。
当然、柱を青で彩るという異国的な感覚は幼い僕の価値観とは馴染みのないものだったし、その分だけ興味を惹かれたのを、こうして本国の寄宿学校で王の学徒として学ぶ身となった今でもよくよく思い出せる。今にして思えばあれは妓楼だった。窓越しに僕を見下ろして、最初、鈴の音のように跳ねる声で東の言葉をなにごとか操り、億劫そうに微笑みかけた娘。彼女とて、うら若くとも妓女だったのだろうね。
 はるか東方にひろがる異国の文化を僕は今もよく知り抜いてはいないし、なにぶんたった一度の邂逅だった。けれど旺盛な好奇心でもって乳母の目を盗んで塀のすきまを越え抜けては走り、怖いもの知らずにも租界のさる一画に迷い込んだあの午後。僕は青い柱の楼閣の内側から、忘れがたくも曖昧な言葉を彼女に語りかけられたんだ。十にも満たぬ頃の記憶だけれど、今でも色褪せずにあざやかに思い出せる。
 上等な絹の衣を崩しがちに身にまとう娘は、僕からしてみればなんということはない、突然に話しかけてきた異国人にすぎなかった。そんな彼女へ僕が向けたのは、もちろん胡乱な警戒あふれる双眸にほかならなかったよ。けど彼女はこの瞳の持つ生来の青さに目を留めると、眉を上げ、花芽ほころぶように笑みひらかせて、僕をやわらかに見つめつつ、流暢でしなやかな我らが大英帝国の言葉を赤い蜜紅を塗ろうにもまだ生気のあわい薄い唇から滑らせた。
「懐かしいわ。水辺の青ね。旦那様と同じね。この柱みたいなまがいものの青じゃない。純粋に生まれ持ったうつくしい青ね。そんなに綺麗な青をもっているなら、こんなところにいらしちゃあ、駄目よ。このあたりの水は甘いけれど、ずいぶん、体を壊すもの。
 でも、この国にあって生粋の青なんて珍しい。あなたきっと、旦那様ともご縁のある方かしら。だって似たものは自然、引き合うものですものね。
 ……ねえ、もしもあなたのようなうつくしい青をその身にお持ちの方に会ったらね、伝えておくれでないかしら。あなたの妻は約束を守っておりますよ、きちんとお待ち申しておりますよ、と。
 きっと。きっとよ。どうかお願いね、お願いよ。私の夫はうつくしい青を身に持つ翡の鳥だもの。あなたの青と揃いの色だから、きっとこの先のご縁もあるはずだわ。
 ――やっぱり、異人さんには馴染みがないかしらねえ。でも、そう首を傾げることでもないのよ。
 私は正真、昔々から、獣のつがいでありました。私の夫はうつくしい両翼あざやかな翡翠かわせみなのです。夫の翡と妻の翠、揃いの両翼を互いに重ねて優美に空を飛んだこと、いまでもまなうらによくよく思い描けます。悲しいことに愛する夫はもう、遠い西戒の空に飛び去ってひさしいけれども。
 でもね私はひとりでも、あの方を待っていられるのよ。いつまでだって旦那様のお帰りを待っていられるの。なにせかつて、かの青にすくわれた私なのですもの。だからこその妻なの。昔々は私たちのような人と獣の夫婦は珍しくなかったけれど、今はもうめっきり減ってしまって。この租界にいるなら、あなたは西の帝国の人かしら。馴染みがなくても仕方ないわ。
 遠い山間の土地が私の生まれなの。幼い頃はお父様もお母様も、私をかわいがってくれて。いつだってとても優しかった。
 家の近くには小川が流れていたわ。橋桁でよく幼友達と遊んだっけ。上は十二から、下は三つの子まで。みんな一緒になってね。一つ年上だったかしら、隣家のにいさまはずいぶん面倒見のよい方だった。彼の青い衣の裾を、私はよくひいていたのよ。にいさま遊びましょう。にいさま大好きよ、と。
 だけれどどうにも厳しい時代で、暮らしは苦しかったのね。十三の歳に、私もこの青楼に引き取られました。もう二度と少女の素足をさらしたまま、無邪気に水辺を飛び跳ねてはゆけないと知った。
 十五の夜、なにもかもを忘れたくて泣いていた頃だったかしら。私は旦那様と華燭の典を挙げました。それからはとてもしあわせよ。だって愛しい夫君とは、夜毎に逢瀬が叶うんだもの。
 子どもの頃に語り聞かされた、人であり鳥である物語の、十四番目の声を思い出して。きちんと香をたいて、煙管を手に呪文を唱えるとね、私、鳥と化せるのよ。青い青い羽根を広げて、どこまでだって飛んでゆけるの。故郷の水辺の匂いだって、つまさきに思いだせたわ。その時隣にはちゃあんと、旦那様がいらしたわ。
 ……だけれども、いつまでもは一緒にいられなかった。青い羽ばたきのうつくしい、私の愛する旦那様は、乱世の足音が響くにつれて次第にその姿も遠のいてしまった。身を飾る青をはためかせて、夜空へ翔けていったのよ。
 でもねえ、きちんとお約束したの。きっと一年もたてば、花、金子、違ったかしら。金の、たぶん、たしか、黄金の華を……きっとそう、いっぱいに抱えて帰ってこられる。その時まで頼む、行かないでくれって。
 その声の色をね、私、この華やかな青楼で生きた今ならきちんと、わかるのよ。だから私、ちゃんと、ちゃあんと、待っているのよ。胸の内に巣食うね、青いあなたの装いをね、それじゃあ、帰ってきたら繕ってあげましょうと。翠の鳥に化してしまってさえ、今度こそは笑って頷けるように。
 ねえ、青い目の坊や。ちゃんと旦那様に伝えてちょうだい。私の愛する、うつくしく青纏う、私の夫君に、ねえ」
 青楼の娘を立ち竦み見上げる僕を家の従僕が見つけたのは、話がそのあたりまで語り続けられた頃だったかな。
 僕を見つけた従僕は、真っ青になって僕を抱き上げて、父上の屋敷へ連れ帰った。最後に振り向きざま見上げた彼女の、笑みを浮かべた口元の紅が、異様なほどにはっきりとまなうらに焼き付いた。
 父上にも母上にも叱責されるよりも嘆かれてね。乳母には泣かれた。
 それほど、僕が迷い込んだあの租界の一角はどうにも都合の悪い界隈だったらしい。あの場所で出逢った彼女と同じように。
 ……だけれども。斜陽の帝国にからもぎとった租界を離れて何年もたった今でも、僕は彼女の記憶を、忘れられない。
 青い柱を背に、つややかな黒髪を半ば背に流し、崩した絹を身に纏って窓辺に寄りかかっていた彼女は――僕との一瞬の邂逅の後、いくらかして儚くなったらしいと、父がこぼしたのは帰国してしばらくしてから。ほんとうに、つい最近のことだよ。
 子ども心に惹かれた、おとぎ話のような、けれど現実の物語の「真相」は、あまりにあっけないものだった。だけど今になってみれば、幻想でも幻覚でもどちらでもよいと、思う。
 僕は、どうしてだろうね。彼女の語った言葉のすべてが、彼女に巣食って彼女を殺した阿片に操られたものではないということだけは、今でも、疑いもせずに信じているんだ。

 ――以上が、同じ寮の友人から聞いた彼の知る現代の「幻想譚」です。
 正直、淑女に聞かせるような話ではありませんが、あなたなら彼の信じるところになにかを感じるものがあるのではないでしょうか。
 ですがこんな話を聞かせたなんて知れたら……たとえ叔父さまが容認してくださったとしても、亡きおばあさまからは厳しい言葉をいただくことになるかもしれませんね。あなたを本当に可愛がっておられたから。
 次におばあさまのお墓に参るときは、叱責を覚悟しておきます。
 さて、紙も尽きてきました。このあたりでペンを置くこととします。
 親愛なる従妹殿。この手紙と彼の物語が、あなたの興味をひくものでありますように。

あなたの従兄より 敬愛をこめて
 テレンス・エメリー・ダンスタブル

追伸
 次の休暇は、あなたにまたお会いできるように予定を空けておこうと思います。またお茶でも囲みながら、おばあさまの思い出話ができればよいのですが。

サークル情報

サークル名:からん舎
執筆者名:篠崎琴子
URL(Twitter):@lirmemo

一言アピール
架空の近現代を生きる少年少女に、ひとかけらの他愛ないファンタジーをあしらった物語をお取り扱いしております。
百年前にある従兄妹たちが交わした『幻想書簡』も、かつてロンドンから投函された手紙そのままの形で頒布いたします。紙の手触りやインクの滲みとともに物語を楽しんでみてください。

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