You’ve Got Mail!

 僕にももう四十歳が近づいてきているから、あの頃のことは二十年前と言わなきゃならない。猫も杓子も携帯、携帯、で、今はガラパゴスなどと揶揄されている旧タイプの携帯をみんなが持っていて、連絡手段のほとんどが携帯電話になりはじめた時期。今はLINEとかSNSのDM機能とかがなりかわっているらしいけど、当時は携帯電話のメール機能が最先端だった。カメラつきとか、二つ折りとか、そんなのがトレンドとして持てはやされていたあの頃、メル友、という言葉が世に出てはぶりをきかせて、そしていつの間にか聞かなくなった。
 当時の僕も、携帯を持っていた。でも、始終携帯を触っていて、暇さえあればメールしているみたいな年頃の女の子と違って、僕の携帯は単なる連絡用で、せいぜい、友達と待ち合わせするとか、親に帰宅が遅くなることを教えるとか、そんな程度にしか使っていなかった。彼女でもいれば違ったんだろうけど。
 そう思っていたある日、僕の携帯に、知らないアドレスからメールが着ていた。
「はじめまして、佐渡くんのことを知ってる女子です。もっと仲良くなりたくてメールしてみました」
 当時の僕、いや俺は普通にムカついた。ので、そのまま返信した。今思えば、返信しなけりゃよかったんだけど、でも、ただの迷惑メールにしては、なんで俺の名前知ってんだよ、ってことだ。少なくとも、アドレスと名前とセットで知られているわけだから、誰かから聞いたとかでないと、辻褄があわない。
「お前、誰だよ」
「佐渡くんのこと知ってる女子。アドレス、知ったからもっと仲良くなりたくて。恥ずかしくて、まだ言えない」
「なんでアドレス知ってんだよ。教えろよ」
「いつも男子とばかり話してるから……。メールなら話せるかなと思って」
 当時のメル友というのは、普通にメールをやりとりする友達を指すのではなく、はじめからメール友達を探す目的で知り合ったりすることも多かったようだ。まるっきりの初対面同士で。ちょうど、こんな風にだろうか。
「別に男子とばかり話してるわけじゃない。普通に話しかけられれば返事するし」
「本当? でも、まだ勇気出ないな。メールするだけでもドキドキしちゃうのに」
 最初に返事をしてしまったのが悪かったんだろう。いつの間にか、相手のペースに飲まれていた。女子とメールしてる。年頃の男子のウブな心がざわめきだすのに、そう時間はかからなかったのだ。
「もう寝ちゃったかな?」
「まだ起きてる」
「嬉しい。お話してくれる?」
 いつの間にか、顔も知らないメールの相手と、毎日のようにやりとりしていた。
「もう寝る」
「おやすみなさい。明日またね」
 そういう自覚はなかったのだけど、今思えば浮かれていたんだと思う。妹に、
「兄ちゃん、なんか嬉しそうだよ。いいことあった?」
と聞かれた。別になんもねーよ、と答えていたけど、内心、やっぱり表に出てるんだなぁってちょっとあせったっけ。
「佐渡くん、好きな食べ物ってなぁに? 甘いもの、好き?」
 バレンタインデーが近かった。
「そんなに好き嫌いない。なんでも食べられる。今日は晩飯カレーだった。俺、カレー好きかも」
「うちもカレーだったよ。おいしいよね。辛くないほうが好きだなぁ」
 バレンタインデーにチョコをもらうって、年頃の男子にとっては、ものすごいことだ。
 皆勤賞とか、成績優秀者とかで表彰されるよりも、たぶん上。部活で全国大会優勝のトロフィーをもらうくらい、に近いだろうか。そんな風に表現されたって、渡す側の女の子はちっとも嬉しくないだろうけど、それくらい、振り回されてしまうのがお年頃の男子なのだ。くれたのが可愛い子だったら、なんて考えただけでじたばたしてしまう。単純な男子だったのだ、僕も。
「甘いものも嫌いじゃない。チョコレートとか」
「私、ポッキー好き。チョコはみんなおいしいよね」
 チョコレート、くれるのだろうか。学校で、女子に呼びとめられて、ずっとメールで話してたなんて言われたら、無条件でぐっときてしまいそうだった。
 街中を流れるラブソングを無意識に口ずさみながら、僕にも彼女ができるのかな、なんて考えて浮かれていた。
 気づくとにやにやしていたのか、妹からしょっちゅう、
「兄ちゃん、嬉しそうだよ。やっぱりなんかあったでしょ?」
と聞かれていた。
 もうメル友って言ってもいいだろう今の関係。佐渡くんともっと仲良くなりたくて、なんて動機でメールしてきたんだから、もちろんまったく脈なしなんてことはなく。
 考えれば考えるほど、浮かれてしまう。
「もうすぐバレンタインデーだね」
「そうだね。チョコ、いっぱい売ってたよ。友達と買いに行こうかな」
 この頃には、すっかり、僕のほうも親し気に話しかけるようになっていた。
 彼女はあいかわらず、いつも可愛かった。
「ねえ、名前、教えてよ」
「でも……佐渡くん、私のこと知って、引かないかな?」
 奥ゆかしい彼女は、いまだに名前を教えてくれていなかった。でも、たぶん、同じ学校か、同じクラスとか、どこかしらで顔を合わせている女子だろうと思っていた。こんなに気が合う子がすぐそばにいるのに、今まで気がつかなかったなんて、なんて鈍感だったんだろう、なんて僕は思っていたのだ。
「引かないよ」
「本当? 佐渡くん、優しいもんね」
 ほら、僕のことをよく知ってくれてる。こんなに優しくて可愛くて気がきく女の子が、僕のことを優しいと言うのだから、僕は優しいのだ。たぶん。
「いいじゃん、名前、教えてよ」
「どうしよっかな」
 恋人同士のじゃれあいのようなやりとりが続いて、当時の僕は溶けてしまいそうなくらいデレデレになっていた。甘い甘い空気が流れて、上気した僕の体はぽかぽかと、湯気が出そうなくらい熱くなって、もう僕のほうから告白してみてもいいかな、なんて思った。
「いいじゃん、名前、教えてよ」
 いく度めかの催促に、少し考えたのか、メールがちょっと返ってこなくて。
 まずったかな? と僕があせりはじめた頃、
「名前、教えるね」
 と返信があった。胸が高鳴るのをはっきり感じた。
 同じクラスで、隣のクラスで、ひそかに可愛いと思っていた女子の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。いいや、本命はこの子だけ。ルックスがちょっとイケてなくても、僕はこの子がいいんだ。明日、彼女に会ったら、僕から好きだと伝えようかと、そう覚悟した。
 しばらくの沈黙の後、携帯が、「You’ve Got Mail!」と当時流行の着信ボイスでメールの着信を伝えてきた。画面に映し出された文面を、僕は生涯忘れないだろう。
「私の名前は、佐渡えみ」
 佐渡。それは僕の家の苗字だ。えみ。それは……妹の名前。
 そこからの僕の行動は、若かったからだなぁと今なら思う。ふつふつと怒りをたぎらせた僕は、そのまま妹の部屋へ突入して、小学校以来の大喧嘩に発展した。今の僕なら、すべての感情を冷えきらせて、妹を見限っていたと思う。
 騒ぎを聞きつけてきた親は、最初のほうこそ兄貴が妹に手をあげるなんて何事かと怒っていたが、事情を理解した父親は妹にゲンコツを喰らわせて、当分の間、妹の小遣い抜きという厳しい処分を下し、おそらく軽い気持ちで最悪のイタズラをしかけてきたであろう妹からは誠心誠意の土下座をされた。
 今、人の親でもおかしくない歳の僕は、そのときの親の対応を偉大だと思う。
 その騒ぎがなければ、妹と絶縁していてもおかしくはなかったからだ。
 あれから二十年の歳月が流れて、わかりやすい田舎のヤンキーとさっさと結婚して子供を産んで、離婚したり再婚したりをしているダメな妹が帰省してくる度、僕ら家族はこころよく受けいれて、可愛い甥っ子姪っ子たちと遊んだりしているけれど、ダメな妹はダメな妹なりに思うところがあるらしく、先日帰省してきた際、「あのときはほんとにごめんね」とまた謝られた。
 もういいよ、と僕が言うと、「この歳になるとさ、ああいうトラブルで友達と絶縁した人とか、兄弟姉妹とか家族と絶縁状態になってる人も多いってわかってきてさ。ほんとごめん」と殊勝に言うので、僕もちょっとしんみりした。
 あのとき、激情にまかせて妹に怒鳴りこみにいかないで、見限って絶縁していたら、僕も可愛い甥っ子や姪っ子とは会えなかったわけだ。それはたしかに、大喧嘩で許した僕も偉かったと言えるんじゃないだろうか。まぁ、僕のほうは今も独り身なんだけど。
「たしかにいやな思いはしたけど、ああいう甘酸っぱい出来事って、他になかったんだよな。いい思い出かな、笑い話として」
 僕が、なごやかにそう言うと、妹は、ちょっと引いた顔で、ぽつりとつぶやいた。
「うん、あのときの兄ちゃん、本気で気持ち悪くて、ああいうイタズラすんのやめようってマジで思ったんだよね……。だからバツイチ子持ちになっても、キャバとか夜の仕事だけは絶対やめようって思っててさ、今も頑張ってんの」
 僕は、にこやかな笑顔を浮かべたまま、妹の後ろ頭をはり倒した。

サークル情報

サークル名:アホウドリの祭典。
執筆者名:アホウドリ ときヲ
URL(Twitter):@ahoudori_tokiwo

一言アピール
メル友、カメラつき、二つ折り、あの頃がもう二十年前になるなんて、歳をとったものですね。
時代が変わってツールが変わっても、同じようなトラブルはつきないことと思います。深刻な事態に至らなかったからこそ、笑い話にできる話です。

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