受け取ったもの
ふと視線を上げる。デスクに置いた時計が目に入った。二十三時五十七分。もうこんな時間かと、玉坂虎之丞は息を吐いた。自室も、ドアの向こうも、しんと静まり返っている。家族は既に寝ているようだった。
睨めっこしていたノートパソコンの画面から顔を上げ、虎之丞は大きく伸びをした。凝り固まった首から背中の筋肉が、ビキビキと音をたてそうな勢いで軋む。近日中に提出のレポートの進捗がはかばかしくない。今日のうちに頑張っておきたかったのだが、どうにもまだ終わりそうになかった。集中が切れてしまったので、少し休憩することにする。
針が進む。二十三時五十八分。
(……俺ももう二十かあ)
時計の文字盤を見ながらぼんやりと思う。
明日、十一月七日は虎之丞の誕生日だ。それが普段とさして変わらない日になるであろうことを、虎之丞は既に知っている。母から一言二言祝いの言葉があり、もしかしたら弟がケーキでも買ってくるかもしれない。父はいつものように何も言わないだろう。
虎之丞が両親の、特に父の期待に応えられなくなった頃から、両親との関係は希薄になった。それらに対して不満はないが、他の家はどうなんだろう、と思うことはある。いや、そう考えてしまう以上、本音では不満なんだろうか。虎之丞には分からない。
針が進む。二十三時五十九分。
(明日、どうしようかな)
椅子に背中をもたせて考える。明日はバイトがないし、大学の授業も四限までで、午後にはそれなりの時間が空いてしまっている。図書館でレポート用の調べ物をして時間を潰すにしても半端な時間であるし、そもそも誕生日に一人でレポート作成に勤しむのも虚しすぎやしないかとも思う。
かと言ってゼミ仲間や友人に「誕生日だから一緒に祝ってくれ」と素直に言えないのが虎之丞の厄介なところだった。もともと友人が多い方ではない上に、数少ない友人たちからの評価は「クソ真面目な堅物」だ。そうなるとどうにも気後れしてしまう。誘って断られるのが怖い。いつだったか「お前遊びに行く場所なんて知ってるの」と言われたのが、刺のように虎之丞の中に残って抜けないでいる。実際、大学生らしい遊び方なんてほとんど知らないのは事実なのだが、自分は何かとても大きなものを取りこぼして生きてきたのではないかと不安になる。
いっそ明日は授業が終わったらさっさと家に帰ってしまうか。そう結論づけようとしたところで針が動いた。〇時ジャスト。
一拍置いて、デスク端で充電していた虎之丞のスマートフォンが振動した。画面にはメッセージアプリの通知が浮かんでいる。誰かからメッセージが来たらしい。日付変更を見計らったようなタイミングだった。
誰だろうと画面を確認して、
「あれ、先輩?」
差出人に「にしむら・ω・」とあるのを見て、思わず虎之丞は目を丸くした。
西村一騎は虎之丞が昨年知り合った、一学年上の三年生だ。虎之丞は文系の、西村は理系の学生であり、本来学内での行動圏は重ならないのだが、二人とも文化祭実行委員会に所属していたことが顔を合わせるきっかけとなった。委員会の備品の買い出しに行ったり、作業後に二人でラーメン屋に行ったりしているうちに気が合って、文化祭が終わった後も一年近くやり取りが続いている。
真面目すぎる虎之丞に対し、西村は態度も口調も軽い男だった。それでいて頭が回り、とにかくよく喋るので、隣にいて飽きない。後輩だからといって見下したり、必要以上に世話を焼きすぎるようなこともない。良くも悪くもフラットで、虎之丞にはそれがありがたかった。友人に半ば押し付けられて入った実行委員会だったが、彼と知り合えたので結果オーライかな、と虎之丞は思っている。
(こんな時間にどうしたんだろ)
通知には小さくスタンプのみが表示されている。西村が多用している、謎の生物を象ったスタンプだ。訝しみながらアプリを開き、彼からのメッセージを確認する。
画面では謎の生物が蝋燭を立てられたケーキの周りを踊り狂っていた。おや、と思ったところで次のメッセージが来た。こちらは画像だけで、スマートフォンのカメラで撮られたとおぼしき写真が添付されていた。
写真には、色とりどりの字で「HAPPY BIRTHDAY TORA」と手書きされた白いカードが写っていた。
整った筆跡には見覚えがある。実行委員会での作業内容を手書きでまとめている西村を見て、この人意外と字が綺麗なんだな、と感じた記憶が蘇ってきた。
じわじわと、自分の喉元に込み上げてきたものが困惑と嬉しさが入り混じったものであると虎之丞が気がつくまで、少しばかり時間がかかった。日付変更とほぼ同時に、手書きのメッセージカードを写真に撮って送ってくる。おかしなことをするなあ、と思う。その一方でどうしようもなく嬉しい。
『ありがとうございます。これどうしたんですか』
すぐに返信が来る。
『てがきのぬくみだよ~』
『ありがたくうけとれ』
変換すらされていない立て続けの返信に、思わず虎之丞の頬が緩む。
『どうせなら手渡しするところまで徹底してくださいよ』
『はい』
『飲み?』
再び短い返信。そう言えば少し前、二十歳になったら合法的に飲みに行けるな、という話をしていた。
どう返そうか、と虎之丞が迷ったのは一瞬のことで。
『明日、じゃなくて今日か、放課後あいてます?』
『放課後?』
『デート付き合ってくださいよ。誕生日デート』
気がついた時にはもう、虎之丞は冗談めかしたメッセージを送信してしまっていた。
普段はこうやって誰かを誘うことなんてできないのに、何故か西村に対しては臆せず振る舞うことができた。仮に断られたとしても、この人であれば誘ったこと自体をからかうようなことはないだろうという、奇妙な確信があった。
それがある種の甘えであり、彼に対して抵抗なく甘えられてしまうということがどういうことを意味するのかを、虎之丞はまだ自覚していない。
さほど間をおかず返信が来た。
『我五限迄授業』
『了解です。俺四限までなんで待ちますよ』
『感謝』
『駅でよろ』
待ち合わせ時間を決めて、では放課後に、となったところでやりとりは途切れた。
再びスマートフォンをデスクに放って、虎之丞は椅子の背もたれに体を投げ出した。ぼうっと天井を見上げる。
手書きのカードを思い出して、少しだけ笑う。
そのあとも気分が浮ついてしまって、虎之丞はなかなかレポート作成に戻ることができなかったのだが、悪い気はしなかった。
そうして、誕生日の午後。
(……来ないな……)
駅前のロータリー片隅。ベンチに腰掛けて周囲を見回しながら、虎之丞は西村を待っていた。待ち合わせの時間を過ぎているが、彼の姿は見えない。西村の背丈は180センチを超えているし、髪を金に染めているので遠くからでもよく目立つ。近くまで来ていれば気がつくはずなのだが、どうにも見つからなかった。
(時間、間違えたかな。ドタキャンってことはないと思うんだけど……)
西村はやや時間にルーズなところこそあれ、ドタキャンに関しては(少なくとも知り合って半年の間では)虎之丞には覚えがない。理系の学部は実習が多いし、実験などは予定通りに終わらないことも多々ある。授業が長引いてしまっているのかもしれない。
とりあえず連絡を入れようと虎之丞がスマートフォンを取り出した途端、着信が来た。西村からの電話だった。慌てて応答する。
「あっ、もしもし、先輩?」
『トラ? 今どこ?』
「駅ですけど……先輩は?」
『俺ももう着いてんだけど』
「ええ?」
虎之丞は慌てて自分の周りを確認した。が、やはり見当たらない。
「位置が悪いのかな、こっちからじゃ先輩が見えないですね」
一瞬、間があった。
『えっ? トラあんた駅のどこから出た?』
「へ? 西口ですけど。ロータリーの方の……」
そう答えた途端、イヒーッヒッヒッヒ、と心底面白がっている笑い声が聞こえてきた。
『逆じゃん』
「あ」
『今ねー!! 俺東口!!』
妙なスイッチが入ってしまったのか、笑いながらハイテンションに言う西村の言葉に、ようやく虎之丞も自分たちが置かれている状況に思い至った。
二人の通う大学の最寄り駅はそこそこに大きく、駅構内を中心にいくつかの出口がある。特に西口と東口は駅のほぼ正反対の位置にあり、虎之丞が西口、西村が東口に出てしまっている、ということらしかった。
思い返してみれば、駅のどの出口で待ち合わせるのか、ということまでは確認しなかった気がする。彼からのメッセージカードに舞い上がってしまっていて、肝心なところがすっかり頭から抜け落ちていた。誘った虎之丞がちゃんと決めておくべきだったのに。
「すみません、確認したつもりになってました……そっち行きますね」
『まあ生きてりゃそんなこともある。駅戻るから改札らへんで』
「了解です」
特に気にした様子もなく、笑って済ませてくれる西村がありがたかった。
「それじゃあ、また後で」
『ん』
通話を切って、虎之丞は踵を返した。駅構内に向かうその足取りは随分と軽いものだったが、本人は全く気がついていなかった。
サークル情報
サークル名:RS-Industry
執筆者名:しのだ
URL(Twitter):@rs_industry
一言アピール
趣味でローファンタジーやBLを書いています。
テキレボEX2では下記2点を発行予定です。
秋潮ラヴァーズノット:BL小説。アンソロの約一年後の虎之丞と西村が主人公。二人が海沿いの田舎町で怪奇現象に巻き込まれる話。
マジシャンズライフ・マジシャンズワーク:ローファンタジー。現代に生きる魔法使いたちの生活を描いた短編集。