読めない手紙

 これは湖に死体が沈む前のはなし。

 ルカ・ストルキオ少年は父の仕事の手伝いで、森に点在するシギやライチョウの巣を探し回っていた。抱卵している鳥の数を把握するためである。同時に害獣の痕跡がないかどうかも注意深く観察する。領主が狩猟を楽しめるよう、獲物を育てるのが父の仕事であり、ルカの将来の仕事でもあった。祖父の代からゲームキーパーを任されている。ルカも当然そうなるだろうという期待は、重責よりもむしろ誇らしかった。こうして巣の見回りを任されることは嬉しく、舟の操舵を教えられることは楽しい。街の住人と協力してキツネを追い出したりウサギを捕らえたりすることも、本当は喜ばしくないことではあるが、彼にとっては楽しいイベントのようだった。犬を連れ、猟銃を携える父が一段と輝いて見えたし、貴族がやるお膳立てされたものではなく、これこそが本物の狩りだと思っていた。
 ただひとつ苦手なのが文字の読み書きだった。仕事で必要なこともあり、勉強しなければいけないのだが、森を駆けまわっているほうが好きだと逃げてばかりいる。獲物の名称や数字をなんとか覚えたくらいだ。
 それでも最近はどうしても読みたいものができてしまったので、苦手意識が消えないながらも習得を目指している。
 巣の場所を見つけるのはこんなにも簡単なのに。
 見回りがあらかた終わったところで、待っていたかのように木の影から少年が現れた。ルカよりも幼く、身なりがいい。
「ジェロニモ」
「仕事、おわった?」
「終わったよ。いつもぴったりだな」
 森の中には湖と川もある。今の領主はフィッシングをあまり好まないようで、育てた魚たちは鳥やゲームキーパーの食料となっている。それでもいつ必要とされるかわからないし、森の一部でもあるから水辺の管理だけを欠かすことはできない。
 ジェロニモはそんな湖の畔に立つ教会に住んでいた。教会といっても、その役目はすでに終えている。街中に新しく建設されたのにあわせて、聖職者も越していった。
 領主と通じていたことが明るみになり、屋敷を追い出されたメイドと彼が二人で暮らしている。
 メイドに好意をもつ彼は、彼女自身の子どもであることを知らない。領主の息子だとはわかっているらしいが、街の住民誰もが知っていることを当人だけが知らないのはなんとも滑稽だと思った。
 そんな滑稽な少年と日々、森を駆けまわっている。
「今日はなにする?」
 人々になんて噂されてるかも知らない、考えたこともない、純真な目。眩しさから視線を逸らすように「釣りにしよう」と言って湖の方へ足を向けた。
「釣り! はじめてだ!」
 あとをついてくるジェロニモが弾けたように話す。
「ルカは舟を操れるんだね。すごいや!」
「やっと父さんにひとりで乗っていい許可をもらったんだ」
 ちょっと得意げになる。
 桟橋のちょうど反対側の湖畔に出て、そこからぐるりと歩いていく。
 父親から許可がでた日、ルカは釣り道具を舟に積みこんだ。最初に乗るならジェロニモと二人がいいと思った。

 静かに佇む舟はルカが飛び移ると大きく揺れた。ジェロニモはのばされた手をつかむ。強い力で引っぱられ、なかば浮くようにして舟に乗りこんだ。
 湖の中央あたりで釣り糸をたらしたのはルカが好きな場所だからだ。釣れなくてもいい。彼はこここら水面を眺めたり、風が木を揺らすのを遠くに感じたりする時間が好きだった。でもジェロニモはまだそうはいかないらしい。最初はわくわくとした表情で糸の先を見つめていたけれど、ルカにしてみればあっというまの時間で飽きてしまったようだった。
 まだ早かったか。
 ルカ自身も楽しめるようになったのは最近のことだ。いつもは森をかけまわっているのだから、こうしてただ座っているだけが飽きてしまうのはしかたないだろう。
 だけどももう少し。隣でそわそわしているのに気づかないふりをする。
「あの、さ」
 言い出しにくそうに口を開いたジェロニモに、限界かな、と思った。
「あー、ちょっと回ってから戻るか?」
「そうじゃなくって。あの、前に渡した手紙のことなんだけど……」
 森の中で迷子になっていた彼を助けたのが、二人が知り合ったきっかけだ。その数日後、ジェロニモが言う手紙を渡されたルカは「ごめん、読めない」と言ったのだった。
「勉強はしてる! 前よりやってんだけどさ、ごめん、まだ読めなくて」
 釣り道具を片づけながら謝る。
「絶対読めるようになるから。それまで待ってて。がんばるから」
「うん。うん。ありがとう」

 舟はゆっくりと動きだす。
「水のなかを見てな。魚がいるから。ただし気分が悪くなったらすぐに顔をあげること」
「はーい!」
 光が反射する水面では、水中をうかがうのは難しい。それでも懸命に探そうとする横顔と、出番の少なかった釣り道具を見比べて苦笑する。自然のことなら俺の方が詳しいのに、と。
 ただ「友達になってほしい」と書かれただけのそれを、ルカはまだ読めずにいる。

サークル情報

サークル名:檸檬yellow
執筆者名:湖上比恋乃
URL(Twitter):@hikonorgel

一言アピール
どうにもならないことに苦しんでいる人たちを平坦に書いています。いつもジャンル迷子。
テキレボアンソロのお話は『私はあなたの愛を信じない』の番外編になります。三人いる主役のうち二人の過去でした。

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