われはいもおもふ

「留守を頼みます」
「お任せください、どうかよい夢を」
 男爵は女王の額にそっと、しかし名残惜しさを感じさせる程には長く口づけをした。
 精進潔斎を済ませた女王は毅然とした表情でひとり橋を渡り、冷たい穴蔵の奥へと消えていった。
 雪室籠もりは王国の加護を強めるための神事であった。
 ゆっくりとでん粉が糖化され、薩摩芋にも玉蜀黍にも例えられる甘みがいっそう深くなってゆく。保たれた温度と湿度によって、しっとりとした食感は増すばかり。
 再び王国の明るい光と見える頃には、熟成メークインの力は絶大なものとなっているだろう。

 扉が閉ざされて五百日。
 女王不在の間にも王国は動き続けている。貯蔵庫のコンテナを想起させるほど書類が積まれた執務室の机に戻ると、男爵は一番上の鍵付き引き出しを開けた。
 丁寧に扱っているつもりでも、もう何度も読み返した数枚の白い便せんはよれて、折り目でないところにも細かいしわが走っていた。母の子守歌のように、わずかに酒を入れた温い乳のように、心の儀式として、男爵は今日も愛しい人からの手紙を開く。

『……一国の女王たるわたくしがこのように私的な感情を紙に残すのは、はしたないことかもしれない。ですが、「叶うことならご一緒したい。会えぬ間、引き止めなかった後悔に焦がされ、たまらず雪室を暴きたくなるやもしれません。そのくらい恋しいのです」役務を忘れ吐露してくれたあなたの気持ちに、少しでも答えたいと、わたくしは思ったのです。橋がわたくしたちを隔てても、また会えるのだと強く信じられるように。生真面目な男爵、万が一神事が失敗しても、この手紙を女王最後の文書として国民に公開なんてしないでくださいね。そういうものはちゃんと別に用意しておきましたから。頬を染めるような恋文は、想いびとただひとりに届けてこそです。
 こうしてペンを動かしていると、思い出すのはあなたから聞いた川田男爵とジニーの物語のこと。幾度も話してもらいましたけど、一番覚えているのはシャドークイーンに襲撃された時ね。ふたりきりで手を取り合って、駆け落ちみたいでしたわ』

「アレは確かにわたくしだった、わたくしの暗いひずみが溢れ出てしまったもの」
 泥の跳ねたドレスを握りしめるメークインの手が震えている。
「女王が悪いのではありません」
 隣に座した男爵は労わるように指を重ねた。稲妻のごときシャドークイーンの襲来、敵味方の兵が入り乱れる中、伯爵の采配で、二人は王室の隠し扉から城の外に逃れた。幾重にも分岐する地下通路を奥へ遠くへ、時折窪みに身を預け、上がった息を整えた。
 シャドークイーンは場に存在するだけで紫煙を漂わせ、触れたもの全てに蠱惑の色を移した。付き従うのは地面から掘り起こされたとは思えぬ白肌白毛、男爵と生き写しのホワイトバロン。シャドークイーンが生み出したホムンクルスであるそれは、なんびとも闇女王の邪魔はさせぬと冷徹に剣を振った。
「欲望は汚いもの、清く正しく凛とあれと教わってきたけれど……悪とは美しいのね」
 思い出す女王の下唇からため息が漏れる。
「ぞっとするほど綺麗に見えた」
「我が女王」
「でもね」
 女王は立ち上がり、進むべき方向を見据える。
「王国の民を守るためならば、わたくしは戦いましょう」
 揺らがないのだ、五月の女王はたとえ煮え湯の中でも崩れることがない。同じ年に優良品種に選ばれ一世紀近くを連れ添った男爵にはその強さが眩しい。
「お供します」
「自分で自分を斬りつけるような思いをするかもしれない」
 眉をしかめる女王に笑いかける。
「承知の上。私はあなたの男爵ですから」
 夜は灯りを落とし、一つの麻布に包まった。
「ね、男爵。龍吉の話を聞かせて」
 丸みを帯びた男爵よりも幾分大柄な女王は、その肩を抱き寄せると少女のように甘くせがんだ。
「何度目でしょうか」
「好きなんだもの」
 私がこの国に来たのは川田龍吉様のおかげです。
 龍吉様の父である小一郎様は土佐の村の生まれでしたが、明治政府に功績を認められて、日銀総裁まで上り詰め男爵の爵位を得ました。岩崎弥太郎とともに三菱の創設に尽力した小一郎様は、龍吉様に英語を学ばせた後、スコットランドへの留学を命じました。
 六年間、造船や蒸気機関の設計を懸命に学んだ龍吉様でしたが、雲に覆われた陰鬱な冬、人間関係に悩む孤独な生活にはかなり参っていたようです。
 そんな折、龍吉様は書店でクリスチャンの女性ジニーと出会い、頻繁に手紙を交わすようになります。重ねた逢瀬の中では、街角で買った焼きじゃがいもを分け合って冷えた体を温めたとか。
 手紙に沢山の×××(キス)マークが付くようになったのは、風に揺れるじゃがいもの花を二人で見た夏の日からと言うのが微笑ましいですね。文通は一年半ほど続き、ジニーから送られた手紙は百通近くにのぼりました。龍吉様はすべて大切に保管されていましたから、いまでも諳んじることができます。
 結婚を固く誓って帰国した龍吉様でしたが、小一郎様は異国の花嫁を断固としてお許しになりませんでした。下級武士から身を起こした川田家には由緒正しい家柄が必要だったのです。
 悲しい運命を忘れるかのごとく仕事に没頭した龍吉様は、横浜に立派な船渠を作り、函館の会社を再建させました。
 小一郎様の死後に男爵の位を継がれ、農地を手に入れてからは土いじりに精を出すようになります。ジニーと過ごした農村の風景がよみがえったことでしょう。
 外つ国から取り寄せた種芋の中によく育つものがあり、のちに「アイルランドの靴直し」と呼ばれる種だとわかるのですが、その時は不明だったため龍吉様の爵位にちなんで「男爵いも」と名付けられました。
 それが私であり、あとは女王も知っての通りです。龍吉様は九十二歳のとき丘の上の修道院で洗礼受け、亡くなられるまで先駆的な農業に情熱を傾けられました。
「馬鈴薯の花咲く頃となりにけり君もこの花好きたまふらむ」
 女王は男爵の胸に顔を埋めて囁く。
「石川啄木ですね。さあ明日も早い、やすみましょう」
 身を寄せるぬくもりが闇を優しいものにした。

『わたくし、あなたとの子が欲しかった。でもそれは叶わなくて、かわりにずいぶん酷いことをしたわね』
「強き者を生み出す器となることは名誉なことです」
 男爵は便せんに向かって小さく首を振る。
『異国の血だけでなく、自らの子とも交われと命じた』
「貴女を喜ばせることが嬉しかったのです」
『チトセ、農林一号、オオジロ、北海白、北海五十号、キタアカリ。皆よく育ったわ……わたくしたちは歴史のうねりの中で飢饉、革命、隆盛、戦争、様々なドラマを見つめた。わたくしたちは主食、主菜、副菜、汁物、嗜好品と姿を変え世界中の人のおなかを満たすことが出来る。だから――』
 最後の紙にハートをかたどるように書かれた十六の×、そこに唇を寄せた後、男爵は宰相の顔に戻った。橋の此岸で女王を抱きとめる日まで、北の王国を守るのは自分だ。

サークル情報

サークル名:三日月パンと星降るふくろう
執筆者名:雲形ひじき
URL(Twitter):@kmkymr

一言アピール
じゃがいもが好きで擬人化小説を書いたり、街中の芋料理を食べ歩いたりしています。男爵とメークインは百合カップルだと思うのですが、解釈は自由です。食べ歩きレビュー本「おいもをおいもとめてVol.1」とグッズ「芋研ゼミバッチ」を頒布予定。食いしん坊なので日本酒、担々麺、フィナンシェの本もあります。

かんたん感想ボタン

この作品の感想で一番多いのはごちそうさまでしたです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • ごちそうさまでした 
  • 胸熱! 
  • ロマンチック 
  • 受取完了! 
  • エモい~~ 
  • 尊い… 
  • 怖い… 
  • ゾクゾク 
  • しみじみ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • しんみり… 
  • かわゆい! 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 泣ける 
  • 感動! 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

次の記事