日記帳
この街で暮らして、何十年。
きみと一緒に住みたくて、ぼくはきみの猫になった。
たとえ呼ぶ名がかわっても、ぼくはかわらず幸せだった。
きみと一緒に外が見たくて、今度はきみの犬になった。
けれどもきみは、海を越え、とおくの国へ行くという。
どこでもついていけるようにと、今度は鳥になってみた。
けれども鳥では気を引けない。きみは空へとぼくをはなった。歌もうたってみたけれど、とうとうきみは、振り返らない。
楽しそうに笑うきみ。話す相手が羨ましくて、人になろうと心にきめた。
これできっと、きみといられる。嬉しくなって飛びはねて、けれどもすぐに転んでしまう。
人とはとても不便なもので、すぐには立って歩けない。言葉を話すことだって、いっぺんには覚えられないらしい。
猫だった頃を思い出し、よっつの足で歩けるように。
鳥だった頃を思い出し、ふたつの足で立てるように。
ごはんを食べて、言葉をおぼえて、ようやく歩けるようにもなった。
これできみに、会いにいける。それがとても嬉しくて。
立って、歩いて、両手をひろげ、
「だいすき」
やっと抱きしめられたんだ。
「ずっと、いっしょ」
たぶんぼくは、笑ってた。
けれどもきみは、困ったように、
「ずっと一緒は難しいなぁ」
と言うものだから。
どうして、どうしてときいたんだ。
「ずっと一緒にいられるのは、結婚した男女だけなんだよ」
男同士じゃ駄目なんだ、とやっぱり少し困ったように。
ああ、またぼくは、まちがえたんだ。
それなら今度は人間の、女の子に生まれなきゃならない。
残りのいのちは、あとふたつ。
今がひとつで、あとひとつ。
次まちがえてしまったら、きみを覚えていられない。
まわる、廻る時間のなかで、ぼくがぼくとして「在る」時間。
自分で絶ってしまったら、二度と戻れない九の輪廻。
人のいのちは長いときいた。
どうかきみのいのちより先に、ぼくのいのちが尽きますように。
さよなら今世、また来世。
次はきっと、間違えぬように。
乾いた紙の表面を、老いた男の指が触れる。
かさり、と音を立てたそれには、いくつも雫が落とされたのか、点々と染みが出来ていた。
「ああ、馬鹿だねぇ」
ぽつりと零された言葉。
その声に滲むのは、後悔か、あるいは。
「おまえと知っていたのなら、友として過ごせる日だってあっただろうに。
馬鹿だよ。おまえも、私も」
日記の持ち主が死んだ事を、男はその母親から聞いた。
これは、あなたが持っているべきだと思って。
泣きながら差し出された日記帳。母親は男にこう告げた。
あなたのせいだとは思っていません。
でも、あなたのせいだと、思わせてください。
息子の死を受け入れきれない母親に、男はただ、頷くだけだった。
誰も、悪くはなかったのだ。
ただ、運が悪かっただけで。
男は思う。数奇なものだ、と。
自分と同じ病にかかり、自分より先に死ぬなんて、と。
まるで謀ったようじゃないかと、乾いた笑みを浮かべてみせる。
「おまえはもう、次の命を始めているのかね」
白いベッドから身を起こし、遠く、抜けるような青を見遣る。
「おまえが、じいちゃんの『次』に、気付いてくれるといいんだがなぁ」
日記をなぞる。
幼く、飛び跳ねた文字の向こうに、かつての孫と、猫を見て。
じいちゃんも、気付けるように努力するよ。
小さな呟きは風にさらわれ、誰かに届いたような気がした。
サークル情報
サークル名:緋寒桜創弌社
執筆者名:笠井 玖郎
URL(Twitter):@tshi_e
一言アピール
リアル志向からSFまで、様々なジャンルを扱っています。
SF(すこしふしぎ)が好きな相方と活動中。
穏やかに重くて切ない話が好き。

