BestFriend
窓を開けると、風が頬を優しく撫でていく。
私は、あの人の温もりに包まれているようで、嬉しくなった。
【BestFriend】
私は、幼い頃から、どこにでもいる、平凡な子供だった。
父は、製造業に勤めるサラリーマンで、母は、伯母が経営している、小さなお惣菜のお店を手伝っている。
姉は、頭がよく、県内でも優秀な女子高へ進学し、兄も、同じく、秀才だった。
その中に、ぽつんと、出来の悪い自分が、産まれ、末娘だったせいもあり、家族は、私にたくさんの愛情を注いでくれた。
しかし、姉兄に比べると、私の学習能力は、平均だった。それを責められたことは、一度もない。自分を恥じたことも、なかったけれど、比べられることはたくさんあった。
なにかにつけて、『これだから、ダメなんだ』、『お姉ちゃんは、できたのに』、『お兄ちゃんは聞き分けのできる子だったわ』。
それが、両親の口癖だった。
無自覚ほど残酷なものはない。
あれほど比べておいて、本人たちに悪意はないのだから。
すっかり、自信を失ってしまった自分は、今でも、人の視線や評価が恐ろしい。それに、自己犠牲がつきない。それでも、良いと思っているけれど、それは、どこか悲しくて、寂しくて。
ときおり、自分は、なんてちっぽけなんだろうと、胸が苦しくなる。
その哀しみに襲われて、何度も、自分の生きる意味を見失ってしまうときがある。
枕をぬらす日々は、たえない。
* * *
私も、高校生になった。
学校でも、私は、空気のような存在で、誰からも、相手にされず、自分で動かないと、誰にも振り向いてもらえない人間だった。
教室の隅で、ひとりぼっち。勇気を出して、声をかけたこともある。だけど、成績も運動もふつう、容姿も良くもない、平凡な自分が、相手にされることはなかった。そのまま、学校でも、家庭でも、浮いような生活が続いた。
今思えば、自分は何もできないと、過剰なマイナス思考もあったと思う。
でも、私は確かに、独りだった。
『沢口さんは、大丈夫だよね』
愛想笑いだけは板についた私を、周りの人たちは、そう口にした。
心の底では、呼吸をするのさえ、苦しくて、生きているのに、死んでいるような、冷え切った毎日。誰でもいいから、側に居てほしい。毎日、願うように、学校と家を往復していた。
それから、半年後。
夏休みも終わり、季節は秋に移ろいでいく。
やることはあるのに、ダラダラと過ごしてしまったせいで、両親から叱られて、半ば強制的に、資格試験を受けにいった、帰り道。
私は、前から気になっていた子に、声をかけていた。
その子とは、物理の授業が一緒で、数回、話をしたことがある。
顔見知り、というのも、どうかと思うけど、どこか、目を惹く存在だった。
(この機会を逃したら、きっと後悔する!)
私は、決死の覚悟で、彼女に声をかける。
『櫻井さんですよね?』
黒々と大きな目が、心を覗き込むように、見詰める。
『突然、ごめんなさい!実は、ずっと、話がしたくて』
まるで、好きな人に告白するようなシチュエーションに、気恥ずかしくなる。
決して、やましい気持ちはない。ただ、話をしてみたかった。
『沢口さん…であっていますか?物理の授業で一緒の』
春の日差しのような、柔らかい櫻井さんの声。
『そうです、沢口です!あの、いつも、おみかけしていて!』
まくしたてるような一方的なやりとりでも、櫻井さんは、静かに、耳を傾けてくれる。
『私ばかり、ごめんなさい!』
急に、恥ずかしくなって、俯く私の頭を、櫻井さんは、優しく、撫でてくれた。
『そんなに心配しないで。わたしも前から、沢口さんのこと、気になっていたの』
『ホントですか?!』
顔から火が出そうなくらい、頬が熱くなる。
櫻井さんはお腹を抱えて、笑いだしてしまったけど、接してくれた人は、初めてだったから、嬉しくて、舞い上がってしまう。
『沢口さん、これもなにかの縁だし、よろしくね!』
目の前がまっくらになったと思えば、櫻井さんの腕の中だった。
そのまま、櫻井さんと日が暮れるまで、おしゃべりをした。
今日初めて話たのが嘘みたいに、私と櫻井さんの距離は近い。
襟を正さなくても、傍に居られる人だった。
櫻井さんと別れたあと、なぜか、涙を堪えるのに、必死で、どうやって家に帰ったのか、憶えていない。
* * *
翌日から、櫻井さんのクラスに入り浸るようになった。
隣のクラスなので、直ぐに、会いに行ける。
休み時間からお昼、放課後、自分のクラスで過ごす時間が減って行く。まるで、彼女を慕うストーカーのようだと、自分でも引いてしまうくらいだ。
『沢口さんて、おもしろいね』
生まれて初めて、言われた言葉。自分は根暗で、引っ込み思案で、とりえもないと思っていたから、それをどう捉えていいのか、よく分からなかった。
櫻井さんがかけてくれる言葉は、私に、生きる希望を与えてくれた。
優しくて、気配り上手で、たゆたうように、寄り添ってくれた櫻井さんは、私の命を救ってくれた恩人だと勝手に思っている。重いから、絶対に口にはできないけど、櫻井さんを通して、私の世界は光ある方へ向かっていく。
『ここにいてもいいんだよ』
そう、私を大事に想ってくれる人たちに恵まれていく。
彼女たちと、トランプをしたり、本を読んだり。楽しい時間はあっという間で。
私は、みんなのお陰でちりじりになりそうな【自分】を、救いあげていけたんだと思う。
友達とお弁当を広げて、好きな歌手の話をしたり、放課後、勉強をして、居残りをしたり。
そうやって、ある人には当たり前のことが、私の世界を照らしていく。
苦しいこともたくさんあったけど、今を生きていてよかったと思えるのは、櫻井さんと友達に成れたからだ。
彼女は今、どうしているだろう。
高校卒業後、櫻井さんとは疎遠になった。
風の便りで、結婚したことを知ったくらい。だけど、メールやラインで直ぐに連絡を取り合うことはできる。それに、近況報告をしなくても、お互いの今は、間接的に分かっていた。
だから、この気持ちを吐露するのも、重すぎるだろう。
なら、彼女に届かなくもいいのでは?自分だけが、わかっていれば、それで。
誰とでも直ぐに繋がれる時代だからこそ、少し、不便だった時代の温もりを自分の心根に、残しておきたい。
パソコンを立ち上げる。
その間に、コーヒーでも淹れてこよう。
どんな便箋にしようかな、まだ夏には遠いし。
初夏の香りがするような、緑が滲んだものがいい。
肌触りのいい和紙にしようかな、秋じゃないけど、友達が贈ってくれた練香水も、つけたいし。
宛名のない手紙を、書こう。
あの日から随分と時間が経って、距離も遠くなってしまったけど、みんなと過ごした時間は、かけがえのない宝物。
誰かに理解して欲しいわけじゃない。届いてほしいのは、ただ一人。
私が、わかっていれば、それでいい。
大切だったあの人に、感謝をこめて。
マグカップをパソコンの脇に置き、腰をかける。
机に飾ってある写真には、昔の私たちが、肩を並べて、笑っている。
終わり。
サークル情報
サークル名:and Coffee.
執筆者名:HACHI
URL:http://karaagelove.starfree.jp/
一言アピール
多様性さを大切に物語を作っています。愛の形は人それぞれ。