手紙食べるマン

 先客がいた。
 男はおもむろに和田さんのポストを覗いている。白昼堂々と何をやってるんだこいつは。なので私は容赦なく背後から男の頭を鈍器のようなもので殴りつけた。ゴツン、と鈍い音がする。
「この不審者! か弱い独居老人に何をするつもりなの!」
 いてて、と頭をさすりながら男が振り返った。
「怪しい者じゃないですよ。ほんとですってば」
 いかにも怪しい奴が言いそうなセリフだ。信用ならない。とはいえ、もしも和田さんの知り合いだったら申し訳ないのでとりあえず話を聞くことにした。
「俺はお年寄りを騙す架空請求のハガキ食べるマンで」
 男が言いかけている途中でとりあえずもう一発殴った。そんなバカげたものがあってたまるか。いや、あるかもしれない。似たようなものを見たことがある気もする。まぁいいや。
「やめて! やめてくれ! 本当なんだ。信じてくれ」
 男は懇願しながら手に持ったハガキを見せた。
「ほら! 和田さんはカモだから毎日のように架空請求のハガキがくる。僕はそれが和田さんの手に渡る前に毎日ブランチにしてるんだ」
 高々と掲げた手には確かに和田さん宛の架空請求のハガキが握られていた。お年寄りにも見やすい字でデカデカと文字が書かれている。自分は正義の味方だと言わんばかりのドヤ顔だ。ただの変質的偏食家が何を自惚れているんだろう。
「あなたには30万円の未納金があります。支払いの意思を提示しない限り法的措置をとらせていただきます。連絡先はこちら。佐木法律事務所」
 いくら和田さんとはいえ、こんなものに引っかかるほどリテラシーがないのだろうか。いや、ないだろう。大慌てで電話している和田さんの姿が目に浮かぶ。良い人だもんなぁ、和田さんは。優しいもん。キムタクを騙る迷惑メールにも律儀に毎日1時間かけて一生懸命返事を書き、危うく出会い系サイトに登録させられかけていた。
 男はその胡散臭さMAXの手紙にかじりついた。もぐもぐ、とハガキが男の口の中に消えていく。満足げに喉をならしながら飲み込む。それを見て私は思わず彼の頬を平手打ちした。躊躇わなかったので、バチンと大きな音がした。手のひらがじんじんとする。
「痛っ! 何だってそんな君は暴力的なんだ! 暴力反対」
「うるさい! ぶった方の手も痛いんだからね!」
「いや、そっちが勝手にぶっただけだろ」
「和田さんの許可はとってるの?」
「は?」
「とってるのかって訊いてんの」
「とってるよ! 架空請求のハガキしか食べないって言ったら『それしか食べないなら、ちょうど良い』って喜んでくれてたよ」
 良かった。和田さんは私のことを忘れたわけではなかったらしい。和田さんが私のことをどう思っているか知らないが、私は和田さんのことが大好きだ。和田さんがいなかったら困ってしまう。世の中の老人がみんな和田さんみたいな人だったら「老害」なんて言葉は生まれなかったと思う。
「食べ終わったなら早く出て行ってください」
「いや、まだあるかもしれないし」
「じゃあ早く見て」
「何なんだよ。お前、人の食事の邪魔をするなよ」
「それはこっちのセリフよ」
 私がそう言うと彼は察した顔をして私をじろじろと見てきた。きっしょ。
「お前も手紙食べるマンなんだな。女もいたのか」
 まただ。同族ですらこれなのだから、話を聞いてくれる人間ですら珍しがってじろじろ見たり根掘り葉掘り話を聞くばかりで、滅多にまともなコミュニケーションがとれない。和田さんは違った。餌場を作るのにも苦労した。基本的に私たち手紙食べるマンはちゃんと食べて良い手紙を許可を取って食べている。大事な手紙は食べない。本当は誰かから誰かにあてた心のこもった手紙の方が美味しくて栄養価が高いし満腹感もあるのだけど、ただでさえ少なくなったそれらをくれる人はいない。悪い手紙食べるマンが窃盗をして食べることも昔はよくニュースになっていたけれど、今はそれすらない。届く手紙と言えば、どのご家庭も和田さん同じくダイレクトメールと架空請求くらいだ。ああ、オンライン社会。
「いや、手紙食べるウーマンなのか。いやいや、デビルマンレディっていうし、手紙食べるマンレディか」
「うるさいこの偏食家」
 男を押し退けてポストを漁る。私だってちゃんと大丈夫なものだけを食べている。奴は架空請求のハガキを食べて正義の味方ぶっているが、どうせただの偏食家だ。そうだ、思い出した。進研ゼミのダイレクトメールしか食べないペド野郎も過去にいた。グルメは手書きの手紙しか食べないと聞いたことがあるが、もはやそんなことを言っていたら生きていけない時代になってしまった。クレジットや携帯料金の明細は食べずに和田さんに見せてから、「もういらないからお食べなさいな」とニコニコ渡されたものをいつも食べている。私たち手紙食べるマンは優しい人の協力なしに腹をみたすことができない。
「あらまあ。喧嘩かしら」
 声がしてよたよたと和田さんが玄関から登場した。和田さんのことだからきっと、私の分け前にそれほど打撃はないと思って彼を受け入れたのだろう。
「和田さん! 先に縄張りにしてる奴がいるなら教えてくださいよ!」
「ごめんねぇ。取り合いにならないと思ったから」
 優しい和田さんに失礼な男だ。憤慨しちゃう。
「まぁまぁ。かすみちゃんの取り分も大して減らないと思うし、仲良く分け合ってくれないかしら。よしおくんもかすみちゃんに意地悪しちゃだめよ」
「分かりました」
 食い気味に返事をすると男、もといよしおくんとやらも嫌そうな顔をしつつも渋々頷いた。キレちらかしていたのは私の方だったので、当然といえば当然だろう。私は和田さんの前では行儀が良くふるまえる。良い子ちゃんだ。和田さんが優しいから。いつも私のような奴を何度も家にまであげて、お茶すら出してくれる。お菓子も出してくれたこともあったが、そのたびに丁寧に食べられないことを説明すると少し寂しそうにさげてくれる。無理にでも食べようかと思うが和田さんの目の前で吐いてしまったら元も子もない。「前も同じやりとりをしたかしら。忘れっぽくていやぁね」と和田さんは呟く。でもその一言がないこともある。忘れていることを忘れている。和田さんは独居老人だ。子供もいない。旦那は私と出会う前に死んだ。私の祖母は私が生まれる前に死んだので「おばあちゃん」がいたらこんな感じだったのかなと思う。
 いつだったか和田さんが私に言ったことがあった。
「かすみちゃんは私の孫のようなものなの。もしもの時も、かすみちゃんがお腹を空かせないように、ろくなものもないけれど、ちゃんとあなたに残せるようにお手紙を書いてるからね。もし私があっちの世界に行っちゃったら、あのお煎餅の箱の中に手紙があるからね」
 和田さんがどうにかなってしまうなんて想像するだけで怖くて嫌だったので、あまりその話はまともに聞かないようにしていた。しかし、避けられないことなのだから、もっとちゃんと聞いておけば良かったと今になって思う。和田さんも年だ。ゆっくりしか動けない。私とよしおが争っていた時も、転びそうな危なっかしさでゆっくりのそのそと走っていた。和田さんの中であれが全力疾走なのを私は知っている。和田さんは徒歩5分のコンビニに行くのも休憩が必要な老婆だ。いずれ向き合うことになるのはずっと分かりきっていたことだったのに。
「この手紙食べるマンが! 食糧を漁りにでも来たんだろ」
 先客がいた。
 例のごとく先に着いていたのはよしおだったが、それよりも早く警察だかなんだかが来ていた。奴らがよしおのことを警棒で小突いて追い払おうとしている。私たちは人間じゃないので、この扱いにも慣れているが、和田さんの家がただならぬ状況なのはすぐに理解できた。慣れていないことだった。
 和田さんは死んでしまった。呆気なく。
 わざわざ言ってくれていたのに、私が和田さんの手紙を読むことはかなわなかった。私がバカなせいで。
 直面してすぐはショックで手紙の一通も喉を通らなかった。でもそうしていられないと、数日後に思い立って和田さんの家に侵入を試みた頃には遅すぎた。和田さんの家の中はすっかりもぬけの空になっていた。ご近所さんの噂話を盗み聞きしたところ、和田さんの兄弟がすぐに始末してしまったらしい。生きているときはほったらかしていた癖に金目当てだ、と話していた。きっと何も事情を知らない人間からすれば、和田さんの私への手紙なんて無価値だろう。それどころか、金目の物を引き取る上では邪魔でしかないだろう。
 私は和田さんに返事を書いた。読んでもいない手紙の返事を書くなんて、おかしなことだけど、それくらいしか私にできることはなかった。手紙を書くなんて子供の時以来だ。何度も書き直しながら、何日もかけてようやく書き終わって封をした。これはただの自己満足だ。和田さんのところに出しても和田さんに届きはしない。住所は手紙を食べる時に何度も見たので覚えてしまった。誕生日は本人から聞いた。好きな食べ物は栗ようかんだ。子供の頃に犬に噛まれたからずっと犬が苦手なままだ。家にあるお茶はいつも熱い麦茶だ。いくら思い出に浸っても、何を知っていたところで、死んだ人にはどうやったって思いを伝えることはできない。
 何をためらっているのだろう。届くことがないのだから、食べてしまえば良い。書き始めた時から分かっていたことじゃないか。何をしても届かない意味のない手紙を食べない理由がない。現にこんなにお腹が空いている。悲しくてもお腹は減るし、食べなければ生き物は生きることができない。捨てるぐらいなら、捨てられるくらいなら、食べてしまった方が良い。
 恐る恐る一口齧る。
 それは今まで食べたことのないような美味しさがした。鼻の奥がつんとする。喉の奧が熱くなる。私は何で泣きながら手紙を食べているのだろう。
 ああ、私の胃の中に和田さんがいたら良いのに。

サークル情報

サークル名:字一色
執筆者名:曾根崎十三
URL(Twitter):@sonezaki_13

一言アピール
アンソロジーでは新聞紙を食べています。

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