二月の便り

つら、と一枚便箋が降ってきた。

雪だとまがうほど白い便箋であったので、僕は手で差し止めることすら思いつかずそれがつるりと僕の頭をなでて路面へ落ちていくのを目で追った。
息の濁るような冬の停車場から貨物鉄道が遠ざかっていくばかり。鉄の軋みが未だ温かい線路に落ちてもそれは溶けたり消えたりせず、それで初めてあぁ赤いインクの染みがあると気が付く。半日ぶりの揺れない平面に降りたばかり立ち呆けてそれを振り返ると、便箋は冬枯れの、山端間際の駅で土にまみれてもまだ白いほど新しく。赤いインクの染みが点々と、丸々と散らばっているものの一文字も書かれてはいなかった。道中買い替えたトランクを下ろし線路に飛び降りて便箋をつまめば、便箋は千代紙のような正方形でやはり染み以外何もなく。
それでも宛先は僕だと一目でわかった。
自分の肩ほどの高さがあるホームへ上るのに三度も靴を飛ばしながらほうほうの汗まみれで戻れば、トランクが物言わずとも憮然とした様子で待ちくたびれているその上に、同じ便箋がもう一枚乗っていた。

駅に人はいない。帰るとは伝えたものの、姉の帰郷と妊娠の知らせが何カ月も早くしかも喜びをもって迎えられたために忘れられたのだろう。切符を箱に収めて駅舎をくぐり抜けると、その入り口でもう一枚、風にあおられてつるつると魚の逃げるように一片白いのが舞っていた。山から吹き下ろす風が駅の壁に吹きたまって回るものだから、手から滑り落ちるそれを捕まえるのは苦労した。それを捕まえるとモルタルを打ち放した道の上に動くのは自分の影しかなく、僕はそれを実家の方へ左に進む。そこから百と五十八歩で道路標識があって、そこにも一枚、標識にもたれるように落ちていた。
通り過ぎるブロック塀の穴々、マンホールの冷えた表面、駐輪場に並んだホイールの向こう。様々なところに便箋は落ちて、拾い上げて並べれば赤いインクの染みはひとつも重なるものがない。言葉の代わりと垂らしたように紙の表面を一本横断しているものもあれば、上からインク瓶をひっくり返さないとできないほど一面赤いものもあった。上等な和紙のようにつるりと光沢すら感じる表面とざらついた裏面の手触りがあるけれど、やはり何も書かれていない。だんまりと、口をつぐんた少女のように。
便箋に気を取られて手放しでいたら、足元のトランクがガリガリと不快な音を立てて排水溝めがけ走っていく。慌てて便箋たちを腕に抱えたまま僕は急いでその取っ手を持ち直し先を急いだ。

便箋の枚数にして十五を超えるころ、足元の道を覆うのが急勾配用の砂利混ぜコンクリートに変わる。背の高い木々が増えてくると、木の幹に隠れるようにして家の屋根や電信柱が増えてきた。まだ橋から先は自販機も設置されていないようで、土産には何よりも炭酸や甘い飲み物が喜ばれると山ほど買い込んできた手提げから、ちゃかりと正解をたたえる音が鳴った。
昔よく姉にお使いとして走らされたのも懐かしい、その時は一番村端のこの家を通り過ぎると焼き芋や煮物を持たされていたと、つい立ち止まる。ひょこ、とその表札の向こうで竹ぼうきの先端が飛び出して、次いでおさげの頭がこれまた懐かしい呼び名をかけてきた。
「よるちゃん?」
「ご無沙汰してます。」
「大きくなったねぇ、この前まで同じくらいだったのに。」
そういって自分の頭の少し上の空気をなでる。彼女の様子は見覚えがあるから、僕がうっかり迷い出てしまった頃の一三、四の年の頃のままなのだろう。ちょっとだけ鼻をすすりながら彼女はえくぼを見せて、落ち葉を再度垣根の端へかき集めにかかる。庭の内側では銀杏の葉が湿った黒土を覆っていた、彼女も良く似合うフリルの付いたエプロンと昔流行した大柄のワンピースに薄手のカーディガン。
手伝って、とでも言おうとしたのかかがんでいた頭をひょいと上げた時に、彼女は僕の腕の中の紙山に気が付いた。
「あ、お手紙?」
首だけで肯定すると、そのうちの一枚を彼女に差し出してみる。箒を抱えたまま、彼女はそれを小さな両手で大切に受け取った。
「きれいだねぇ、一枚貰っていい?」
青みが強い冬の日差しにそれをかざし、眩しそうに眺めている。梳きの薄い部分に彼女の指がかかると、冷えて赤くなった爪先が赤インクの染みによく似た色に透けた。
「……僕宛て、みたいなんです。」
「そうだねぇ、大事にしないとねぇ。」
彼女は僕の腕の中へそっとそれを乗せてくれる。少し慌てて買った厚手のコートはサイズが大きかった、襟首から吹き込む風が寒い。でもきれいなんだから、とぽそっと彼女がつぶやいた。
「きれいだねって、私からもそえちゃだめかな?」
「それはいいんじゃないですか。」
そういわれるとパッと顔を輝かし、おさげを揺らして家の奥へ走っていく。戻ってきた彼女の手には箱のよれた使いかけのクレヨンが握られていた。くくっていた布ゴムを引っ張りぬき、全体的にちびた、えんぴつも何本か混じったそれを見せる。
「何色が好きかな。」
「さぁ……、僕にはわからなくて。」
「じゃあ、よるちゃんの好きな色で。」
そういわれたので、僕は薄水色のクレヨンを指さした。彼女は便箋の中から特に白の多いものを一枚選ぶと、水色のクレヨンを手に取ってそのままその紙一枚分の表を塗りつぶす。紙の辺まできちんと丁寧に、指を薄青の脂でぺっとりとさせながら丹念に撫でのして、むらもない状態で返された。
「気に入ってくれるといいねぇ。」
クレヨンを塗りたくる彼女の顔を盗み見ると、少し低い鼻と目尻側が長い睫毛はここを離れる前に見飽きるまで見た顔の部品で、ここに来てやっと帰郷の実感とその昔彼女をちぃ婆ちゃんと呼んでいたことも思い出した。お世話になった人にちょっと自分の薄情を感じないでもないが、大体帰りにくい所にあるのが悪いのだ。
姉の子はもう産まれていること、それと今たぶんお昼寝の時間である事を教えてくれ、彼女は角を曲がるまできちんと手を振り見送ってくれた。

「あら、おかえり」
実家に帰ったというのに、僕はカバンであればいつものところに入れたはずのカギがこのトランクのどこにあるのか思い出せずにいた。昼寝の時間、と考えると玄関のチャイムを鳴らすこともはばかられる。ここで縁側に回ったのがよろしくなくて、窓を開け放し寝こけていた姉を起こすという、事態としてはあまりよろしくない事になった。
添い寝で乳でもやっていたのか胸元のはだけたままタオルケット一枚をひっかけていた姉は、まだ目やにの付いたまま肘を立てた白い腕にその小さな頭を乗せてにやにやと笑っている。姉は寝起きは腹が減ると小間使いのように僕を追いやることがあったので、条件反射のように言いつけを聞く体勢になってしまうのは情けないことではないだろう。
「生きてたのねぇ、今回はダメかと思ったけど」
「そりゃ姉さんの方でしょ」
姉の顔色は血色も良く心配することはなさそうだった、体の丈夫な人だ。とりあえず飯、などといわれそうなので手提げから一本ミルクティーのペットボトルを渡し、自分は縁側にそっと腰かけトランクの足を拭く。姉は横に転がっていた毛布の中から掘り出すように赤子を抱き上げた。
小さな、まだ人間というよりも生物に近いその子は赤い頬をたぷんとおくるみの襟に乗せて、真っ黒な濡れた目でこちらをじっと見てくる。薄い瞼と柔毛しかない皮にくるまれたその顔に、姉の利発を描いたような得意げな眉毛と小さな顎の面影が見て取れた。こんなにまだよくわからない状態の生き物が、それでいてちゃんと将来の少女の可能性をくるんでいるのが不思議で頭をなでてやろうと手を伸ばしたら、手ぇ洗って、と叩かれた。
「帰ってこれたの」
「半年くらい前にね、今は産休中。」
「とうとう行方不明になったかって、随分心配してたんだよ。一通角曲の佐伯さん。」
「お前じゃないんかい。」
ごめんねこんな甲斐性のないおじさんで、と姉が赤ん坊の頬をくすぐる。あぶぅ、と穴の開いたビニルプールのような音を立てて小さな姪がこちらに手を伸ばした。便箋の一枚を見えるように振ってやると姉も、それ、と怪訝な顔をした。
「あぁ、これ。ここに来るまでに貰ったやつで。」
「いいなぁ、あんたはいつも若い子にモテて。」
モテるもなにも、何も書かれていないこの紙片のどこに好意があるのだろうか。この朴念仁、と毒づかれこの世の理不尽を感じた。
「会いに行かないの?」
「そのつもりだけど。」
姉は便箋から先ほど塗りたくられた水色のを一枚抜き取り、器用に片手で丁寧に折り紙を始めた。
「会いに行くのに花のひとつもないような男に育てた覚えはないよ」
ぽっと姉がそうこぼした時には、その手の中には一輪の梅の花が出来上がっていた
「とっとと行っといで。」
「……はい。」
紙の花をこちらに放り投げると、姉はもう視線もよこさず大あくびを一つしてまた眠り始めた。

実家に寄ってから落ちてくる便箋は一度期に二枚、三枚と、もう雪のように降ってくる。曲がり角に差し掛かるごとに吹き下ろす山風に乗って、正面から飛び込んでくるのも雪に似ている。ただ落ちてくる便箋を逃さないようにするのが精いっぱいで、山の入り口に差し掛かる事には腕一杯に溢れるほどになった。折り目もない紙をポケットに入れるのもはばかられてでも抱えたままうす暗くなった道を上るのは厳しい。
裏の山道を少し入って日のよく当たる斜面を登る一本道になってから、やっと便箋の雪は止んだ。
これを登りきると梅畑だったと記憶にあるそのままに、訥々とどもるような階段の続く坂の最後で視界が開け、等間隔に枝の整備もきちんとされた梅が並ぶ。電車の窓から見た畑ではもう紅白両方の梅が華やいていたがこの畑はまだ春の訪いもないようで、匂いはすれども花咲いた木が見当たらなかった。ウメノキゴケを揃いの片側につけた幹は、皆揃ってすました装いの枝をまっすぐ空に向けて立っている。
それにしても花もないのに木からこんなに匂うものかよ、と不思議に見渡せばその中に一つだけ、色のついた木が目に留まった。背丈もまだ小さくこのまま盆栽にでもできそうな、この畑で一番若いまだ苔もない梅の木に今年初めての、いやもしかしたらこの木にとって初めての花が咲いていた。珍しい、白地に赤の斑のある花。
咲いているほかにも、その木は枝にたくさんの咲き終えた赤いがく片を残していて、根元にはあの白い便箋が凪始めた山風にはらはらと揺らいでいる。
「お待たせ」
紙の花を一輪その梅の一番上の枝に刺すと、つ、と思いがけず自分の真下から甘い匂いが漂った。
手に持っていた便箋はそれぞれが一つの花串に変わり、振り向けば梅畑は紅白の、はたまた八重の、ちぢれの、一重の花を万遍につけて盛りの様を見せていた。

サークル情報

サークル名:七尾ぎんなん堂
執筆者名:豆田さや豆
URL(Twitter):@gp_c_

一言アピール
だいたいこういう胡乱なものかハイテンションギャグを描いています。

かんたん感想ボタン

この作品の感想で一番多いのはしみじみです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しみじみ 
  • 胸熱! 
  • 受取完了! 
  • ゾクゾク 
  • 怖い… 
  • しんみり… 
  • ロマンチック 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • 尊い… 
  • エモい~~ 
  • かわゆい! 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 泣ける 
  • 感動! 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • 笑った 
  • ごちそうさまでした 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください