とある酒場の一夜

 深い森のなかにそびえ立つ、堅牢な城壁。さまざまなものから住まう者たちを守っている城壁と中の都市は、城塞都市とも呼ばれている。
 城塞都市の中心部にはひときわ目立つ城があり、たいていは都市の主である領主がそこで日々を過ごしている。大都市になれば国々の王が住まう場合もあるのだ。
 どの領主も日々を優雅にかつ忙しく過ごしているが、たったひとつ、彼らには誰にも明かすことのできない、しょうもなさすぎる秘密があった――。
 なお、うっかり知ってしまった人々は、厳重に守られた秘密のくせ、あまりのしょうもなさに風邪を引きかけるという。

 * * *

 誰かの弾けるような笑い声が聞こえる。次いで、はやしたてるような声。声の主は酒場が薄暗く、卓上に置かれたランプだけでは知ることができない。
 どちらかといえば喧しいとも言える酒場の一角で、二人の若い男が互いの肩を小突きあっていた。
「前から思ってたけど……シルヴィオはこれっぽっちも! 文才がないですね!」
「うるさい! 領主の弱点を言いふらすんじゃねぇ」
「言いふらすもなにも……互いの外交でばれっばれじゃないか……ぶふっ」
 シルヴィオの前でけらけらと軽やかな笑い声を立てているのは、シルヴィオが治める領地からほど近い街を治めるジーノである。うつくしい金髪に碧眼をもった、まさしく貴族と言わんばかりの男であるが、この薄暗さで気がつく者はいなかった。
 ふたりは互いにそれぞれの領地の主をつとめている、れっきとした領主だ。だがここはごくごくありふれた領民がおとずれる酒場である。間違っても領主が訪れていいような場所ではない。本当ならば。そう、本当ならば。
 だが、ここは特別な酒場なのである。もちろん特別な理由は、この酒場にいるほぼ全ての者が知らずにいる。知っているのはこのテーブルについている者だけだ。
「はぁ……駄目なのはわかってるんだよ。だからこうして! 恥を忍んでだな、頼んでるんじゃないか」
「まあ、こんな場所で大事な手紙を書くこと自体、間違ってますけどね」
「わかってんよ……」
 からかうジーノが悔しくて、ふたたび肩を小突いてやった。だいたいジーノだって、少し前まではさんざんこの場で醜態をさらしていたのだ。おまけに最終的にとても面白い余興を見せてくれた。
 あの愉快なひとときをジーノを「ツィオーラ大聖堂の麗しき主」とあがめ奉る領民たちに見せてやりたい。見せてやればあとで盛大なしっぺ返しを喰らうだろうが。あと手紙が完成しないのは困る。
 まあ、人をさんざん小馬鹿にしておいても、ジーノはシルヴィオを慮ってくれていた。
 いつもだったらテーブルの上は酒が数滴ぐらいこぼれ、皿が散乱しているのだが、今日はほとんどテーブルの上は綺麗なものである。まあそもそもこんな場所でこんなことの指南を受けるなという話であるのだが。
 シルヴィオが指南を受けているのは、とある手紙の書き方であった。もちろん非公式な、私的な手紙である。いくらこの酒盛りを知るのが領主だけと言えど、さすがに公式な手紙の指南を受ける訳にはいかない。公式な手紙の指南であれば、領内で意見を仰げばいいのだ。
 今日それをしていない理由はふたつ。ひとつは恥ずかしすぎるから。もしこの手紙の中身を側近に見られでもしたら、しばらくの間は笑われっぱなしだろう。残念ながらシルヴィオは、自身に文才がないことをよく理解しているのだ。
 そしてもうひとつ。それはこの手紙をジーノに託したいからである。シルヴィオには手紙を届けるための特別な力がないのだ。
「ほら、また字が曲がってる!」
「ぬぅぅ」
「なんで書く内容をあらかじめ決めないんです! それだから内容だけでなく文字も脱線するんですよ!」
「ぬぅぅぅ」
 正論だ。正論すぎて反論をなにひとつできない。
 ジーノはあきれているのか、ため息をひとつついていた。くそう。こんな爽やかな顔をしておいて実際のところは小悪魔ときた。せっかくこの男の爽やかさを学びたかったのに、残念でならない。いや、それなら小悪魔なところも……。
「こら! 余計なこと考えない!」
「へぇぇい」
 ジーノはシルヴィオの思考が脱線したことにしっかり気がついたらしい。小悪魔じゃない、悪魔だ。

 * * *

 正直なところ、引き受けなければよかったと百回ほど思ったが、後悔してももう遅い。
 本当にこの領主たちの秘密の酒盛り――と言っても今日、この場にいるのはジーノとシルヴィオだけだが――の間に書き終わるのかとジーノは気が気でなかったが、なんとか無事に手紙は完成した。
 賑やかであった酒場も、ずいぶんと時が経ったようで、今は落ち着いた時が流れていた。しかし疲れた。こんなに疲れる酒盛りがあっただろうか。まあ、酒などほとんど飲んでいないのだが。
「はぁぁぁ……おわったぁぁぁ」
「それ、こっちの台詞なんだけど」
「なになに、固いこと言うなよぉぉ」
 シルヴィオはすっかりお役目を終えたとばかりに、酒をがぶがぶと飲んでいる。勢いあまって酒が跳ねかけたのをジーノはひょいと避けていた。
「しかし、公的な手紙はともかく、非公式な手紙を今までどうされたのか気になるところですね」
「ん? 代筆してもらってた」
「へぇー……なるほど」
「いい奴でな。俺の意向を全部汲んで良い感じのやつを書いてくれてたんだ」
 シルヴィオは呑気な様子だ。領主がそれでいいのか。そんな甘やかされるから彼女が亡き今、困っているのではないだろうか。ついじっとり見つめてしまうが、気にした様子はなさそうだ。
「……そんなんだから愛想を尽かされるんですよ」
「ウッ」
 良い具合に酔っているシルヴィオは、かなりのダメージを食ったようだ。テーブルに突っ伏したまま、しばらく動かない。少しは言い過ぎたかもしれないと、ほんの少しだけ反省する。
「そうなんだ……俺は駄目な奴なんだ……未だに会いにもいけねぇしなあああ」
 あ、面倒くさくなってきた。ジーノの目の前でテーブルに突っ伏したままのシルヴィオが、おいおいと泣き始めたのだ。ジーノが原因とはいえ、酔っ払いが暴れることほど面倒なことはない。
「大丈夫ですよ。きちんと届けますから。だから泣かないでください」
「元はと言えばお前が泣かせたんだろぉぉぉぉ」
「まあ、そうなんだけど……」
 鼻水をすするシルヴィオの背を撫でてやる。武人というだけあってがっちり鍛えられていて、撫でてもまったく楽しくない。おまけに酔っ払いは簡単には泣き止まない。もう本当に面倒くさい。
 置いていってしまおうと思ったすんでのところで、シルヴィオは泣き止んでいた。ゆっくりと起き上がり、そっとジーノの肩に手を置いてみせる。
「ああ。俺はまだ会いにいけねぇ……まだ戦いは続いているからな。だから、頼んだぞ」
 ジーノの領地でも燻るものはあるが、シルヴィオの領地はさらに火種が燻っている。迂闊な動きができないほどに。
「……はい」
 シルヴィオの瞳は覚悟に満ちている。ジーノはその想いをしっかりと受け止めて頷いていた。

 三日月が輝く夜であった。
 月の光が差し込む丘の上。丘の上には十字架が置かれ、月の光を浴びてほの白く輝いている。丘のまわりは森となっていて、ジーノ以外の姿はなかった。こんなところに来ることができるのは、ごく一部の者だけだろうから、しんと静まりかえっていても当然だ。
 ジーノはそっと十字架の前に、持ってきた白百合の花束を添える。そして、シルヴィオが必死に書いた手紙も。
「……届けましたよ、あなたの奥方に」
 静けさのなかに、ぽつりとジーノの呟きがこぼれて、消えていった。

           (了)

サークル情報

サークル名:秋水
執筆者名:志水了
URL(Twitter):@rssyubinbou

一言アピール
テーマは重め、語りはライトなお話を書きます。現代・異世界ファンタジー中心。今回のお話は既刊の異世界ファンタジー「休日は秘密の宴でわらいましょう」に出てくるふたりの、とある酒場の一夜の話です。語り口軽めのコミカルなお話となっております。

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