ナビカトリアの手紙はこび屋

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 ナビカトリアは海に浮かぶちっぽけな島です。
 昼間は豊かな緑におおわれたごく普通の島に見えますが、島のほとんどが夜光石という鉱石で出来ているため、夜になると島全体がぼんやりと薄紫色に光ります。
 不思議なことに、どこの地図にも海図にもナビカトリアは載っていません。
 みつけたと思ってもそこから忽然と消えてしまったり、かと思えばまったく別の場所にひょっこりとあらわれたり。
 ナビカトリアは、そんな気まぐれな島なのです。
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 三日月入り江を見下ろす丘の上、灯台のふもとにぽつんと立つ食堂『うみねこ亭』を手紙はこび屋が訪れたのは、空が夕暮れの色に染まり始めた頃でした。
 この手紙はこび屋は、おっとりした優しい顔立ちの若者で、まだはこび屋にはなりたてでした。
 もともと、彼は最初から手紙はこび屋になろうと思っていたわけではありません。
 あるよく晴れた朝のこと。あんまり気持ちのいい朝だったので、のんびり森の散歩をしていたら、木陰で休んでいた老人から声をかけられたのです。
 自分は知り合いに頼まれて、森を抜けたところにある家まで手紙を届けに行くところだったが、ここまで来たら疲れて動けなくなってしまった。代わりにちょっとそこまで届けに行ってくれないか、と。
 歩くのが好きで元気もたっぷりあった若者はこころよく引き受け、預かった手紙を頼まれた家に届けました。
 手紙を受け取ったひとはとても喜んで、そして今度は、帰るついでに自分の返事を届けてもらえないか、と言いました。
 若者がもちろんいいですよ、と引き受けると、それを知った隣の家のおかみさんから、あたしの品物の注文の手紙も市場まで届けてくれないかいと頼まれ、市場に手紙を届けると、そこのおやじから俺の手紙も隣村まで届けてくれないかと頼まれ、またその先で別の手紙を頼まれ──。
 もちろんいいですよ、喜んで、ぼくでよければ、とにこにこ引き受けているうちに、いつの間にか若者はナビカトリアでただひとりの「手紙はこび屋」になっていたのでした。
 ナビカトリアはたいていいつでもお天気がよくて、ぽかぽかといい陽気で、どこまでもどんどん歩いてゆけましたので、若者にとってもこれは楽しい役目でした。

 さて、若者は入り江から丘へ続く小道をえっちらおっちらと登り、ようやく『うみねこ亭』の前にたどり着きました。
 うみねこ亭は白い壁と青い扉の二階建ての建物で、入り口には店の看板の他に、「困ったこと解決します/偉大な発明家のなんでも解決屋」の小さな立て看板が置いてあります。
 若者はそれらを興味深く眺めてから、青い扉を押し開けました。
 若者は三日月入り江に来るのも、うみねこ亭を訪れるのも、これが初めてだったのです。
 うみねこ亭の中にはいい匂いが立ち込めていましたが、お客さんはまだ誰もいませんでした。
 奥の厨房のような場所で、踏み台に乗って大鍋をかき回していた幼い女の子が、若者に気づいてちょっと困ったように首をかしげました。
「おみせ、まだ、じゅんびちゅうです」
 女の子がたどたどしくそう言ったので、若者は慌てて首を振りました。
「ぼく、手紙を持ってきたんです。ここは『うみねこ亭』で間違いないですよね?」
 女の子はお鍋をかき回す手を止めないまま、こくんとうなずきます。
 何を煮込んでいるのでしょうか。大鍋からは湯気が立ち上り、食欲を刺激するツンとした香辛料の美味しそうな匂いがしています。
「女将さんは、いらっしゃいますか?」
 女の子はまたこくんとうなずきました。
「えぇと、どなたが?」
「わたし」
「あなたがここの女将さんなんですか?」
「はい」
 女の子は大真面目な顔でうなずきます。
 若者は女の子をまじまじとみつめました。星祭りの日に食べる特別な蒸気ぱんのようにふくふくとやわらかそうなほっぺたをした、小さな女の子です。燃えるような赤毛を三つ編みのおさげにして、木の実みたいなまんまるの目をしています。 
「それなら、この手紙はあなた宛てです。『うみねこ亭の女将さんに渡して欲しい』って頼まれた手紙なので」
 若者は斜めがけにしていたカバンから、薄い封筒を取り出して女の子に渡しました。
 女の子はとてもびっくりしたようでした。自分あての手紙を受け取るのが初めてなのかもしれません。
 手紙を受け取ったときの反応はさまざまです。大切そうに胸に抱えたり、ポケットにしまってすぐには開けようとしなかったり、封筒を大きく破って雑に中身を取り出すひともいます。
 女の子はそのどれでもなくて、受け取った手紙をじっとみつめたあと、小さな指でぴりぴりと封を切ると、ごく慎重にそっと便箋を取り出しました。
「……」
 けれど、便箋を開いた女の子は、すぐに困ったように眉を下げました。
「どうかしましたか?」
 若者が聞くと、女の子は無言で手紙を差し出してきました。
「見てもいいんですか?」
 女の子がうなずいたので、若者は便箋を受け取って開いてみました。
 もとは、とても達筆だったのだろうと思われる字でした。
 でも、これはずいぶん以前に書かれたもののようです。紙は劣化し、文字はところどころ滲んで、そして残念なことに、ほとんどが色あせてしまって読めなくなってしまっていました。
 手紙の最後に、絵が添えてありました。そこだけは色が残って、描かれたものをかろうじて見ることができました。
 横を向いた婦人の肖像でした。目の前にいる幼い女の子に、どことなく似ているような気がする横顔でした。
 若者は、この手紙を預かったときのことを思い出しました。
 ──祖父の文箱から出てきたものなんです。うみねこ亭で女将さんをされている方に宛てたものだと思います。どうか、届けてあげて下さい──。
「あなたに、おばあさまはいらっしゃいますか?」
 若者の問いかけに、女の子は首を横に振りました。
「もう、いません」
 女の子は手紙をみつめたまま、じっと考え込んでいます。やがて、女の子はしっかりと若者を見上げて、言いました。
「おへんじ、かきます」
「そうですか。それじゃあ、ぼくがそれを届けますね」
 女の子はお店が終わってから返事を書くと言ったので、若者はうみねこ亭で食事をして待つことにしました。
 ちょうどおなかも空いていましたし、さっきからいい匂いをさせている大鍋の中のスープが気になって仕方がなかったからです。

 ところで、うみねこ亭をひとりで切り盛りしているこの小さな女の子の名前はエリィといいました。
 エリィは6歳になったばっかりですが、人に年齢を聞かれると少しだけお姉さんぶって7つだと答えます。
 今夜のうみねこ亭はいつになくお客さんが多くて、エリィは大忙しでした。
 二階に住む自称・天才発明家の下宿人トーヤは、こういうときなんの役にも立ちません。
 なんならいちばん混んでいていちばん忙しくてヤナの手も借りたいときに寝癖だらけの頭であくびしながらおりてきて、「腹が減った」(これは「何か食べさせろ」と同じ意味です)などと言い出す始末です。
 エリィはひとりでせっせと料理を作っては運んで、看板料理のぶつ切り魚のスープが大鍋からすっかり無くなると、ようやくお店仕舞いをしました。
 それからエリィは、手紙の返事を書くことしました。
 食堂の椅子をよいしょ、と引っ張ってきて腰をおろすと、大きな卓の上に便箋を広げ、エリィは考え込みました。
 なんてお返事を書いたら、ちゃんと手紙を受け取ったことと、手紙を送ってくれたことへのお礼の気持ちが伝わるでしょう。
 小さな頭をひねって考えて考えて考えて、エリィはひらめきました。
 便箋に文字を書く代わりに、エリィは封筒に月光草の花びらと、ウミナキドリの羽根と、それからぶつ切り魚のスープに使うサカナの青と黄色に光るウロコを一枚、入れました。
 月光草はおばあさんの好きだった花、ウミナキドリは三日月入り江の上を飛ぶ鳥、ぶつ切り魚のスープはおばあさんの得意だった料理でした。

「おねがいします」
「はい、確かにお預かりします」
 女の子が差し出してきた封筒を、若者は丁寧に受け取りました。
 これからまた若者は夜道を歩いて、石畳の町まで手紙を届けに行くのです。
「それじゃあ、スープごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
 女の子にお礼を言って、若者はうみねこ亭をあとにしました。
 夜道とはいっても、空には大きな月が煌々と輝いていますし、目指す先にはともしび山の紫の光が浮かび上がっていますがら、少しも暗くはありません。
 そういえば、これから届けに行く手紙はどこ宛てだったっけ、と若者はふと斜めがけにしているカバンをのぞきこみました。
 すると、預かった覚えのない手紙が一通、いつの間にかカバンに入っていることに気がつきました。
 不思議に思って取り出してみると、封筒の表書きには幼い文字で「てがみやさんへ」と書いてあります。
 鼻に近づけてみると、封筒からはふわりと特徴のある香辛料の香りがしました。
 若者は、食事をしている間にうみねこ亭のあの小さな女将さんとこんな話をしたことを思い出しました。
『ぼくは人に届けるばっかりで、自分が手紙をもらったことってないんです。誰かから手紙をもらうって、どんな気分なんだろうなぁ』
 若者はどきどきしながら封筒を開け、便箋を広げてみました。
 月明かりに目をこらしながら手紙を読んでいくうちに、若者の口元がみるみるほころんでいきました。
 若者は大切に便箋を折りたたみ、丁寧に封筒にしまうと、鼻歌を口ずさみながらご機嫌に夜道を戻っていったのでした。
 ところで、この若者の名前はカフといい、彼には彼の物語があります。ですが、そのお話はいずれまた、別の機会にすることにしましょう。

 (終わり)

サークル情報

サークル名:そうぞうぶんこ
執筆者名:ちしまももこ
URL(Twitter):@sakura_luke

一言アピール
不思議な島ナビカトリアのお話を短編連作形式で書いています。
しっかり者の幼いエリィと気難し屋の少年トーヤのお話です。
絵本のような可愛い本も作っています。

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