さっきの手紙のご用事なあに?

 四時十分に美咲が学校から帰ってくると、お姉ちゃんが闘牛のごとき勢いで二階から降りてきた。お姉ちゃんは靴を脱ごうとした美咲に白い封筒を押しつけた。その後、封筒を茉莉ちゃんに届けるよう命じられ、美咲はランドセルを玄関に置いて家を出る。
 茉莉ちゃんはお姉ちゃんのクラスメイトだ。中学受験をするため週に三回塾に通っている。学校のテストではいつも満点を取るため、お姉ちゃんは苦手な算数をよく教わっていた。おさげ髪が似合う女の子で、美咲が小学校に上がる前からよく遊んでくれた。
 茉莉ちゃんは美咲の家から歩いて十分のところにある、公民館の傍の大きな家に住んでいる。この前の土曜日にもお姉ちゃんと二人で遊びに行ったので家までの道はわかる。
 道は分かるが、歩いて十分である。往復すると二十分かかる。遊びに行くわけでもないのに二十分を使うのは面倒くさい。本来なら、帰ってすぐにゲームを楽しむ予定だったのだ。美咲だけの可愛いトイプードルがDSの中で待っている。餌をあげて、お手を教えて、公園に散歩に連れていかなければならない。赤毛のトイプードルは寂しがりやだった。早く帰らなければ、お腹を空かせて死んでしまうかもしれない。
 その結果、美咲は普段通らない「近道」を通ることに決めた。普段ならば、茉莉ちゃんの家までは林の縁に沿って舗装された道路を歩いていく。しかし、林の中を突っ切れば、最短距離で歩ける分時間は三分ほど短縮される。急いでいる美咲にとって、選ばない理由はなかった。
 美咲は地面に伏せ、ガードレールの隙間を通り抜ける。お姉ちゃんなら上を乗り越えられるが、背の低い美咲には難しい。ガードレールの向こう側は急斜面になっている。右手で手紙をしっかり摘み、左手でこけないように手をついて体を支える。斜面の凹凸に足をかけて一気に登った。
 林は春でも枯葉の絨毯が敷き詰められている。ところどころ土が見えている場所には背の低い草花が生えていた。藍色の小さな花はオオイヌノフグリ。お釈迦様の台座に似た葉っぱの上から、濃いピンク色の花が首を伸ばしているのはホトケノザ。葉っぱが茎を取り囲むようについていて、折り重なるように茂っている草はヤエムグラ。美咲は先生に教わった名前を思い出しながら歩く。
 夏には草刈りに来ている作業員を見かけるが、雑草の茂りが少ない春のうちは放置されている。だから、行く手に木の根っこが隠れていたのに美咲は気がつかなかった。爪先が突然引っ張られ、ふわりと身体が浮く。これはだめだ、と悟ったときには既に遅い。美咲は半円形の軌跡を描いて、枯葉に顔を突っ込んだ。
 起き上がり、葉っぱや土を顔から払いのける。とっさに手をついたために掌がじんじんと痛いが、幸運にも怪我はなかった。右手の掌に泥がべっとりついているのに気がついて、美咲は顔をしかめた。傍に生えていたシロツメクサの平たい葉で泥を拭いて立ち上がる。
 そういえば、お姉ちゃんの手紙だ。転んだときに手放したから、近くに落ちているに違いない。
 探し始めて十秒も経たないうちに、美咲は手紙を見つけた。白い封筒は泥だらけになっていた。ちょうど木が密集して影になっている地面がぬかるんでいる。雨が降ったのは昨日だったが、日が差さないせいで乾かなかったのだ。
 どうしよう。
 美咲は震えた。お姉ちゃんの大切な手紙が汚れている。すぐに届けてほしくて、でも学校では渡せなくて、中身を見てはいけない不思議な手紙。
 その後すぐに考え直す。お姉ちゃんの用事なら自分で届けたら良かったはずだ。大事な手紙を美咲に渡したから、美咲は遊べなくなった。林の中で転んで、手紙は泥だらけになった。その上、トイプードルはお腹を空かせている。
 腹が立ってきて、手紙を投げ出して帰りたい気持ちになる。しかし、何もせずに帰ればお姉ちゃんに怒られるのは確実だった。お姉ちゃんは普段優しいが、約束事を破ったときだけはママよりも恐ろしい。一度受けてしまった手前、美咲には手紙を届ける選択肢しか残っていなかった。
 だから、これは仕方ない。
 美咲は心の中で自分に言い聞かせる。手紙をちゃんと届ける約束は守る。すぐに届ける約束も守る。中身を見ない約束は守る。でも、「手紙をすり替えない」約束はしなかった。
 要するに、本物の手紙を落としたことがバレないようにすればいい。
 決意した美咲の行動は早かった。まずは便箋と封筒、筆記用具を手に入れなければならない。現在地から最も近いのは理沙ちゃんの家だ。
 理沙ちゃんは美咲のクラスメイトで、美咲のお姉ちゃんと一緒に遊んだことはない。その点でもバレる心配は少ないし、なにより可愛い文房具をたくさん持っている。遊ぶときはお気に入りのメモ用紙やシール帳を持っていき、互いに持っていないものを交換する。今すぐ交換できるものは持っていないが、後であげるといえばもらえるだろう。
 美咲は林を走り抜け、再びガードレールをくぐった。理沙ちゃんの家は、茉莉ちゃんの家から三本手前の通りを下ったところにある。コンクリートがひび割れた車道の前、赤い車が止まっている家だ。門の前には、小さな松や梅の木が植えられた鉢がずらっと並んでいる。おじいちゃんが趣味で育てているらしい。
 チャイムを押し、出てきた理沙ちゃんのお母さんに事情を話す。お母さんはすぐ家に上げて、宿題をしていた理沙ちゃんを呼んでくれた。理沙ちゃんは美咲から事情を聴いて、後で交換する便箋を持ってくるのを許してくれた。
 理沙ちゃんは赤、青、黄色の引き出しがついたレターケースをまさぐった。美咲はお姉ちゃんが使っていた封筒に近づけようと「白いやつがいい」と注文した。理沙ちゃんは「ピンクのほうが絶対可愛いよ」と強く言って、花柄のレターセットを取りだした。
 意見を聞き入れられなかった美咲は万が一バレないかと不安になった。しかし、理沙ちゃんが差し出した便箋を見て心配は吹き飛んだ。ピンクのお花畑の中で、頭の上に花輪を乗せたトイプードルの写真がプリントされている。美咲のDSで待っているトイプードルにそっくりなのも満足ポイントの一つだ。トイプードルの周囲には英語で何か書かれている。美咲は「Hello」しか意味がわからなかったが、大人っぽくてオシャレだ。これならお姉ちゃんが持っていてもおかしくなさそうだ。
 美咲は鉛筆を借りると、さっそく便箋に「まつりちゃんへ」と書いた。続きは何だろう。お姉ちゃんが茉莉ちゃんに手紙で伝えたいことの候補を考えてみる。
 「お元気ですか?」は毎日学校で会っているからアウト。「また遊ぼうね」はお姉ちゃんの口からあまり聞いたことがない。また遊ぶのは当たり前のことだ。他に思いついたのは「今度勉強を教えてほしい」「また明日」など。でも、どれも急ぎの手紙で伝えるほどじゃない。
 美咲の手が止まっているのを見かねて、理沙ちゃんが少女漫画雑誌を持ってきた。開いた特集ページにはでかでかと「好きな人におくるラブレターの書き方(せいこうまちがいなし!)」と書かれている。理沙ちゃんは雑誌に載っている手紙の書き方を参考にしてはどうかと提案した。
 美咲は深く頷く。いい案だ。お姉ちゃんはこの前、茉莉ちゃんのことを「大好きな親友」といっていた。とすればこの「大切な人におくる」ために書かれた文面を参考にすれば問題ない。美咲は雑誌を見ながら、参考文を便箋に書き写した。

 翌朝。美咲の姉――香織はドキドキしながら六年三組の教室に入った。
 封筒は無事茉莉の手元に届いただろうか。美咲が出ていってすぐ後、香織もプール教室に向かった。美咲は「ちゃんと渡した」といっていたが、香織はずっと気がかりだった。お転婆な美咲のこと、よくよくいい含めたが途中で中を見ているかもしれない。
 封筒には昨日、香織がうっかり持ち帰った茉莉のテストが入っていた。答え合わせをしようと借りたきり、返し忘れたのだ。香織は朝一で本人に確認しなければ落ち着かなかった。
 香織の後ろの席には既に茉莉が座っていて、にやにやと嫌な笑いを浮かべていた。いたずらを考えているときや、面白い話を持ってきたときの顔だ。香織はランドセルを下ろして席に座ると、茉莉に顔を近づけた。声を潜めて尋ねる。
「昨日、美咲がテストを持って行ったでしょう。大丈夫だった?」
「全然大丈夫じゃなかったよ。さすが美咲ちゃんって感じ」
 茉莉は即答した。一方で、香織は体中の力が抜けて、机に突っ伏した。
「もしかして、中身開けて見ちゃってた? ほんとごめん……」
「いやいや、『愛』が『受』になってたり、『明日』が『日月日』になってたり。一年生なのに頑張って漢字を書いてる感じが伝わってきたよ」
「待って、私が思ってたのと全然違うんだけど。国語じゃなくて算数のテストだったよね?」
 香織は上目遣いにそーっと顔を上げる。茉莉はふっと息を吐き、にやにや顔のまま囁いた。
「なにが書いてあったか知りたい?」
 一瞬呼吸が止まる。香織は考えを巡らせた。
 理由はわからないが、茉莉は嬉しそうに笑っている。茉莉の反応から推測するに、美咲は可愛い失敗をした程度だったのかもしれない。その程度なら笑い話にして終われそうだ。なにより、不安に終止符を打ちたかった。
「念のために聞いておこうかな」
 香織の決心を聞き、茉莉は語り始めた。
「『まつりちゃんへ。あなたのことが好きです。いつも私と遊んでくれてありがとう。いっしょにいるのが楽しいです』」
 香織は勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が茉莉の机に当たって倒れる。大きな音が響いた。教室中の視線を集めたことに気づいた香織は、うっかり倒した風を装って椅子を拾った。視線が他へ散ったことを確認してから、頭を抱えて座る。
「思考が追いつかない。キツネに化かされた気持ちよ」
「美咲ちゃんが中身を見てなかったのがよーくわかったでしょ」
 香織はぐったりしながら頷いた。まさかテスト用紙がラブレターに変わっているとは。想像の範疇を超えている。
 茉莉は笑って、嬉しそうに続けた。
「びっくりはしたけどさ、可愛いじゃん。あんなに熱いラブレター貰ったら、美咲ちゃんを本気で好きになっちゃうかもー」
 香織はびっくり箱顔負けの勢いで立ち上がった。金属同士がぶつかる音が響く。今度は椅子どころか、机まで倒れた。
「お姉ちゃんは認めませんよ」
 頬を膨らませて宣言する。茉莉は机を片づけながら「義姉様の壁は高いねぇ」と呟いた。

サークル情報

サークル名:sizukuoka
執筆者名:さゆと
URL(Twitter):@SayutoF

一言アピール
創作百合を作っています! 吸血鬼が異能バトルを繰り広げる小説や、三人組が《りゅう》に乗って浮遊島を冒険する漫画など。
戦う女の子・女性がテーマの激熱鈍器同人誌『バトル百合小説アンソロジー 一蓮托生』頒布中です!

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