暴力随想・暴力小説


僕の「戦争」や「革命」など組織集団による「暴力」への強い興味・拘りは、当店の品揃えにも色濃く反映されております。思えば、僕が生きてきた26年間弱は「暴力」への強い関心を膨らませてゆく過程でもありました。そこで今回、「自分にとって暴力とは」というテーマを一冊にまとめ、自分を見つめ直してみることにしてみました。タイトルはずばり、『暴力随想・暴力小説』とする予定です。

構成は、随想と小説のゴッタ煮。随想は「年代ごとに自分がどのような暴力に興味を持ったのか」という個人史であり、そこから抽出されたモチーフをもとに小説を書いています。

<サークルのウェブサイトより転載>

 第十九回文学フリマで「右左見堂」の右左見中道氏が頒布されていた上製本。タイトルの通り、暴力を題材とした随想と小説によって構成されている

 著者の右左見氏はその筆名が示すように、また御本人が本文中で述べているように、「左右」どちらかの色に染まることを回避する、ノンポリの方。

 しかし随想の中で氏は、特定の政治思想に入れ込むことなく二十代半ばまで生きてきたものの、左右双方のイデオローグたちが展開し、そして正当化する政治的暴力について強い興味関心を寄せている旨を綴っている。そしてその根源が、子供の頃テレビなどのメディアを通じて知りえた暴力(軍事的なものであったり、はたまた架空の物語中のそれであったり…)であろうという見解を、時系列的な記述の中で示している。

そして著者は、自分自身が暴力そのものに関心がありながらも、その暴力を正当化する何らかのイデオロギーに染まらず生きてきたとした上で、時代状況が違えば、自分もまた何らかの政治的暴力に加担していたかもしれないと推測している。

 著者が意図しているか否かは不明であるが、この辺りの記述は、古今東西の政治的暴力の重要な点を突いているともいえる。極度な政治的主張にもとづく暴力は、しばしば「特定の思想への偏重があり、それが暴力の行使へと過激化する」ものと思われがちだが、実際には「暴力を正当化したいという欲望があり、そのツールとして特定の政治的イデオロギーをコンビニエントに利用している」ことが少なくない。

 ごく普通の人が、時と状況によっては過激な政治活動のイデオローグとなっていくメカニズムに目を向けさせる、面白いエッセイであるといえる。


発行:右左見堂
判型:A5 56P 
頒布価格:800円
サイト:右左見堂
レビュワー:高森純一郎

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