喪に猫を放つ

 その日あたしは、タケシが死んだのを町内掲示板のペンキの板に貼ってあったのを見て知った。葬儀は今日だったから、とりあえず髪は昇天ペガサスMIX盛りだと派手すぎるから、タケシも死んでるし一等減じてMAX昇天盛りくらいにして出かける。美容院お任せだから正式名称は知らない。葬儀案内にドレスコードの表示はなかったし、今通りがかった掲示板でももう一度確認したけどやっぱりない。でもたぶん服の色は黒だ。そんなことぐらい、あたしも知ってる。
 葬儀屋から頼まれなくてもあたしのクローゼットの中身は黒ばっかりだからどれを着ても間違いない。葬式でなくても一等好きなブラックフォーマルのドレスに、レースの手袋に黒ストッキングに十八センチヒールのうんと足首が細く見えるやつを履いて、その上からアンクレットをあしらいに添える。真珠の黒いみたいなやつ。せっかくなので真珠の(これ白の)イヤリングとネックレスを二連、バッグにはペットボトルの水と煙水晶に紫房の数珠を突っ込んでゴーだ。ドレスは確か葬礼用の奴だったと思うんだけど塗れた毛並みのようにつやつや光った。ベルベットじゃないんだけど。黒繻子。足首丈までドレーピングたっぷりな傍らに大きくスリットを入れる。だから足はしっかり見えるし、その上を流れ落ちる水が後に水たまりを作ったみたいな計算され尽くしたシルエットが最強なのだ。見えにくい方の足首にアンクレットを結んだから反対の足も抜かりはない。ともかく、と遠くに見えてきた葬儀屋お仕着せの鯨幕に思った。黒なんだから問題はない。
 弔問受けに立っていた姑さんがあたしを見て一瞬顔色を変えたが、アイスキュロスのヒラタですうこのたびはご愁傷様でしたこの前お会いしたときにはお元気そうだったのにいと香典を押しつけ盛り髪を下げながら芳名録に名前を書く。アイスキュロスというのはお姉さんの太ももの上に顔を載せて、プラトンだのソフォクレスだのを聞ける妙ちきりんなバーで(頼めばデカルトあたりまで読んでくれる)、妙に人気だったが、お姉さんを確保する方が難しかったらしく今は不定期営業になっている。あたしはパイドンとかゴルギアスとか読めなかったから(一応日本語訳だったけど)、正確に言うとお店が忙しいときに待合いでお客さんとおしゃべりするだけのヘルプを二、三日やっただけだ。心当たりがあったらしい式場入り口のおじさんがさっと目を反らして扉を開けた。遠くからお姑さんがあたしのバッグを睨んでくる。
 何だろうと思って見たら、こないだ出かけるときに付けたでかいファーのポンポンが付けっぱなしだった。なによう、こんなのフェイクじゃない。偽物よ偽物と思ったけど、多分フェイクだろうがお構いなしにファーは駄目っていう頭になっているらしかったからボールチェーンをぶちぶち切って、というか外して目立たないように葬儀場の隅にぽいっと放った。まあ最初からそのつもりだったんだけど。毛玉は転がって耳と尻尾を出すとやがて走り出す。
「ねこー」
 きらきらした幼稚園児の歓声が響いた。良いところの子供みたいな服は制服だろう。そうだねー、猫さんだねーとばつが悪いのを誤魔化しながら空いた手で何か気を紛らわすものがないのかバッグの中を探すと、この前買ったチョコボールが出て来たから箱ごと子供にあげる。子供は喜んで走っていった。キャラメルだけど。あたしはピーナツ派だったんだけど間違って買っちゃったから一口食べたきり放り込んでいたのだ。
 難を逃れた毛の塊が式場の隅に隠れて毛を舐め始めたのを見て、あたしもこそこそと隅の方の席に座った。いまのはタケシのお孫さんなんだろうか。タケシももう六十過ぎてたからおかしくはない。感慨に浸りながら祭壇を眺める。お棺の前でてきぱきと采配をしているのは喪主の奥さんで、まだ四十そこそこのできる感じの美人。確か苦節を共にしていた一度目の奥さんはもう亡くなっていて後妻だ。まあタケシもいい男だし、ばりばりの実業家でお金もあった。ただしあまり勉強が出来た方ではないらしく、そのことを本人も気にしていて、だからあんなにいい奥さんがいるのにアイスキュロスのお姉さんの膝の上で聴く饗宴にハマる。でもそんなことはここで言うべき話ではないだろう。つまんない白と黄色の菊の祭壇の上のタケシの遺影も、菊に併せてクソつまんない顔をしていた。ピンクゴールドの菊ってないかな。
 ざわざわ鳴っていた式場が静まりかえって、扉が開くとぴかぴか禿げのお坊さんが祭壇の前の高いところに来て座った。やがて読経が始まる。木魚のばちがぽこぽこ上がるのが面白い。棒の先を白く包んだのが雪見だいふくみたいだ。そんなことを考えていると、例の扉のところのおじさんと弔問受けのお姑さんが慌てて式場の中に入ってきて、喪主の奥さんに耳打ちをした。その前では経の巻子を読み終わったのか坊主の声が長く伸びて止む。
 それではお焼香を、と言ってまた坊主は前を向き直った。
 縛を解かれた式場内がまたざわざわ鳴る。最初は喪主の筈だったが、その喪主はお姑さんと例のおじさんひそひそ話しながら見る、視線の先がこっちに向いているから、他の弔問客までこっちを見ていた。あたしっから焼香して欲しいってことなんだろうか。誰も何にも言わないから、こういう時のために放っておいた毛玉猫を探したけれど、よく見ると毛玉は例の幼稚園児にがっちりホールドされて身動きが取れないみたいだから、しょうがないと諦めて通路へ出た。黒のドレスが翻る。なによう。近づいてきたタケシの遺影を睨みながら呟いた。菊の花の中のタケシは知らん顔だ。自分だけ天国に行こうとしちゃって。ずっといっしょだって言ったじゃない。そりゃあ奥さんもお子さんもいるのは知っていたけど、でもそっちには言わないってちゃんと決めてたし、タケシも言った事はないはずだ。ずっといっしょって言ってたのに。なによう。腹立ち紛れに香炉をひっくり返すと煙が立ち上がった。火の粉の飛んだ座布団にぶすぶす穴が開いて危ないから、あたふたしているお坊さんの衣首を掴んで引きずり下ろす。そのまま経台の前に立った。やっとタケシと同じ高さだ。お棺には小さな窓が開いていて、そこからタケシの死に顔が見える。タケシは天国に行こうとしているけど、あたしは天国から遠い。全然いけない。ずるい。逃げ切れると思ってるんだろうか。さっきはあたしに扉をあけてくれたおじさんが、今度は引きずり落とそうとアンクレットを掴んだから紐がちぎれた。黒真珠っぽいビーズが飛んでおじさんの顔にまともに当たる。足首が自由になったので、ついでに持ってた数珠も投げつけて、お棺の蓋をぱかんと蹴り上げた。タケシの遺骸にせものではない。たぶん。パイドンとかゴルギアスは読めないけれど、あたしは賢い猫だったから、タケシの遺骸にせものではないことをよく確かめるとひょいと跨いだ。それから通路に降りると車の道を空けに走り出す。
 祭壇の煙は菊の花に回ってもうもうと立ちこめていた。その中で散ったビーズがむくむくと立ち上がる。猫だ。全部黒猫。さっきの幼稚園児がねこ! と座席で叫んだ隙に、それまでずっとホールドされていた毛玉猫が間をすり抜けてあたしに追いつく。本当はあたしにお焼香の順番が回ってきたときに、毛玉猫には後の方で鳴いてもらってこっそりお棺を跨ぐつもりだったんだけど今更仕方なかった。
 振り返るとスモークみたいになってる祭壇の前で、タケシがむっくり起きあがっていた。そうしてふらふら歩き出す。遅い。超遅い。しょうがないから戻って肩を貸しながら水を口元にあてがってやった。水分補給は結構大事だ。それでもやっぱりふらふら歩いているから、式場の前に来た火車(人力車っぽいやつ。車夫はいなくてめちゃめちゃ燃えてる)に猫が全部収まっていた。後はタケシだけだ。祭壇前から椅子をなぎ倒して奥さんがまさに押っ取り刀で枕刀を構えつつ、ザ・鬼って形相で追いかけて来る。なによう。あんたにはタケシが残した小判があるじゃない。それでも奥さんは追いかけてくるから、しょうがないんでちょっと重いけどタケシを横に抱えて車を呼びつけながら跳躍した。唸れ、あたしの十八センチヒール。尻尾みたいにドレスの裾がぶわっと開いて奥さんの鼻を叩く。タケシ生き返らすことも出来ない人間風情が、あたしとタケシの楽しい旅路を邪魔するなんて出来る筈がない。
 あたしはタケシが食べちゃいたいくらい好きだ。大大大大大好きだ。大好きなタケシを奥の座席に座らせて、あたしはその横に収まると車に出発を命じる。なんだか人力車を呼んだ結婚式みたいだ。周り全部喪服だったけど、考えればこのごろは男は結婚式にも黒スーツなんだから大差ないかと思ってこっちにスマホ向けてるにーちゃんに、マックスハッピーな笑顔を向けた。ゆっくり車が動き出す。
 タケシといればあたしの地獄も楽しい地獄、退屈な菊の花と蓮の台がひしめき合ってる天の国とか極楽よりも刺激に満ちたエンターテイメントが充ち満ちている。プラトンだのソフォクレスだのが地獄にいるのかは知らなかったけど、たぶん別府とかにもつながっているはずだ。そうしたら九州をぐるっと回って、ついでに四国と西国も回って帰ってくればいい。あたしとタケシを載せて冥途に向かうはずの車は音もなく宙に浮かぶと、異次元みたいに真っ黒な奈落にまっすぐつき進んでいった。


Webanthcircle
ねこまた会(Twitter)委託-02(Webカタログ
執筆者名:坂鴨 禾火

一言アピール
 委託「ねこまた3巻」は王道ファンタジー「ソード&シールド」(宮音)&死体祭りin京都の「老花月」(坂鴨)に加え、ファンタジー観をめぐる座談会を収録。盛り髪のお姉さんは必ずしも出ませんが、いろんなファンタジーが楽しめます。どうぞご覧くださいませ!

Webanthimp

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください