桜池の鈴

 明治中期、桜の蕾が少しずつ開き始めた頃のこと――
 江戸から続いた呉服屋の娘、絹江と、その母、静江、そして静江が嫁入りの際にどうしても連れて行きたいと願った猫の小町が白昼堂々と姿を消したのだった。
 老舗の呉服屋の中でもひと際人当たりのいい旦那、その旦那を支える妻の静江の姿はとても仲睦まじく、娘の絹江が生まれてからは親子三人、誰もが羨む理想の家族だった為、恨みを買うとは思えないと、彼らを知る者たちは、聞き込みに来た警察に話す。
 事件か事故か、判断ができる決定的な証言を得ることができないまま、夕暮れになり夜になると、静江が変わり果てた姿で戻って来た。
 目を奪われるような清楚な美しさは欠片もなく、全身が泥に塗れ、着物も辛うじて大事なところだけが隠せているにとどまり、本来の着物としての用途を満たしていなかった。
 ただ事ではないと誰もが思ったが、それを口にしなかったのは、まだ愛猫と愛娘が戻っておらず、それらを彼女が知っていると思ったからだったが、その思いは砕け散る。
 静江の証言が一転二転するので、確証を得るには難しいと判断、さらに静江がどんな目にあったのか、それを問うと、情緒不安定になり彼女を知る者は別人に見えてしまい、やはり深く追求することが出来なかった。
 それから七日が過ぎたある晩のこと、ふたりと一匹が忽然と姿を消してから八日目の夜、呉服屋の店先に絹江の姿が在った。

◆◇◆◇◆

 絹江が戻ってから四十九日が経過すると、絹江に更なる変化があらわれる。
 この年、絹江は八歳になっていたが、美人が故の宿命か、実際の歳よりふたつからみっつ歳上に見られてしまうが、身体つきは八歳の平均とそう大差はなかった。
 しかし、戻って来た時の絹江の姿は、十四~五歳の顔つきで、八歳にしては女の身体つきにもなっていた。
 八日でそれほど成長するだろうか……
 成長してしまうほどの経験をしたというのだろうか。
 そうだとしたら、どんなことが絹江の身に?
 父親も警察もそれらを聞くが、絹江も静江も固く口を閉ざし、消えていた間のことを話すことはなかった。
 成長した姿も見慣れてしまえば、もしかしたら知らぬ間にそうなっていたのかもしれない。
 子の成長は早いという――絹江の父は、そう思うことで、妻と娘が忽然と姿を消した謎の出来事そのものはなかったことにしよう、記憶の奥深くに閉じ込めて蓋をして、新たな記憶を上書きすることで、あれから四十幾日を暮らし、今に至る。
 やっと元の暮らしに戻れたというのに――口には出さないが、そういう目で絹江を見ていた。
「絹江、そこで何をしている?」
 夜、寝る前に店の方の確認をするのが、父の最後の仕事となっていた。
 部屋に戻ろうとした時、台所から聞こえる物音が気になり覗いてみると、そこには素肌に着物を羽織っただけの姿の絹江が、何かを夢中になって食している。
 髪は乱れ、食べる音を響かせ、その姿は飢えた獣のようにも見える。
 実の娘に声をかけるのに、かなりの時間がかかるほど、衝撃的な光景だった。
 衝撃的な光景は更に続き、振り返った娘の目が光り舌なめずりをして見せる。
 それでも出来るだけ平静を装い、声をかけ続けた。
「夕食では、味付けに要望を出したそうだね、絹江。味の好みが出るのは、大人になりつつある証拠だな。大人は、そのように夜中に漁るように物を口にしたりはしないものだよ、絹江」
 叱りつけるつもりは初めからなかった。
 このまま他愛のない話でも出来たら、何かが変わるかもしれない――そんな気持ちで声をかけた。
 だけど、絹江にはその思いが伝わらなかったようで、奪われると思ったのか、叱られると思ったのか、威嚇するような唸り声を出して父親の横を走り抜けて出て行く。
 その行動はまるで猫そのもので、気づけば、いつ付けた傷だろうか、手の甲に引っかかれたような痕からうっすらと血が滲み出ていた。

◆◇◆◇◆

 絹江、静江、小町の件から幾年月が過ぎ、明治・大正・昭和と時代も変わり今は平成、この平成と呼ばれる時代のとある年の夏の日のこと。
 その夏は雨が降らない日が続いた干ばつの年で、池などが干上がることも珍しくなかった。
 市の中心部は栄えて近代的なビルが建ち並ぶが、そこから数分車で移動をすると、昔懐かしい自然の風景がわずかに残っている。
 歴史を感じさせるしだれ桜あり、その近くには桜池と呼ばれる池がある。
 その池の水位が減り、底から子供の白骨が見つかったのだが、誰なのか、判明することが出来ないまま翌年の春を迎えると、八十半ば頃の老女がしだれ桜を眺めながら、こんな話をし始めた。
「明治の中頃、老舗の呉服屋の娘と妻、そして飼い猫が忽然と姿を消したが、その日の晩に妻が、八日後に娘が戻ってきたが、飼い猫が戻って来ることはなかった。その一件から四十九日が過ぎた頃から、娘が異常な行動をし始める。魚油を異常なほど口にしたそうな。江戸時代から続く呉服屋、明治になっても昔ながらの灯りをともしていたのだろう。行燈は高価になり、安価な魚油を使うことが多くなった頃だ。あんたらは信じるか、化け猫の存在を。行燈を好むと言われている化け猫、行燈に代わり魚油を好んでも不思議ではない。娘の名は絹江と言ってな、戻って来ない飼い猫の小町を思い、気がふれた。絹江の身体には小町が憑りついているなどと言われてな。だが、それらは全て間違いじゃったということか。ほれ、見てみい、あの辺りなのだろう? 子供の白骨があったのは。あそこに転がっている小さなものは鈴ではないかい? 猫の小町にはな、ふたつの鈴が付いていたそうだが、そのひとつを絹江が持ち帰っている」
 そこまで話を聞くと、老女が何を言おうとしているのか、だいたいの憶測はできる。
 とても考えられないことだが、ふたりと一匹の身に何かが起きて、ひとりだけ戻ることが出来なかったと考えられる、それが絹江だ。
 おそらく、起きた何かは、絹江が桜池に落ちたかなにかだろう。
 一緒にいたであろう、母の静江は必死に娘を助けようとしたはずだが、それが叶わなかった。
 その様子を、猫の小町も見ている。
 小町は静江が嫁ぐ時にも一緒にと実家から連れてきた猫で、絹江が生まれた時から小町はずっと一緒だった。
 救えなかった静江の気持ち、ひとりで残る絹江の寂しさをなんとかしたいと考えた結果、鈴のひとつを自分の代わりに残し、絹江の姿に化けて静江の元に戻った。
 四十九日は忌明けで喪に服す期間が終わることを意味する、その日を境に絹江の様子が明らかにおかしくなったのは、今までは絹江の魂も近くにあったが、その日を過ぎてから小町の猫のとしての本質が強く出たことから……とも考えられる。
 何年生きたら化け猫になるのか、その決まりはないと思うが、小町は八年以上生きていることになる、化け猫になる可能性は十分にあると言ってもいい。
「こういう話を聞いて、あんたらはどう思うかね?」
 老女がしだれ桜を見ながら訊く。
 そしてこう続けた。
「私はね、猫の深い愛情のあらわれだと思っとるよ。その確信は、あの鈴が物語っている。そう思わんかね?」
 確かに、そういう解釈もできる。
 だが、真意は当事者にしかわからない。
 それでも、猫の小町が絹江の姿を真似て静江の元へ戻った話は、美談としてこれからも話伝えられていくのだろう。

完結


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Black69cross(URL等無し)直参 C-40(Webカタログ
執筆者名:Nagisa

一言アピール
 メインは二次創作です。オリジナルの活動固定ジャンルはなくその時に書きたいジャンルを扱っておりますが、頒布物は内容に関係なく全て18禁とさせて頂いております。ご興味頂けましたら年齢確認できるものをお持ちになってお立ち寄り頂ければ幸いです。宜しく願いします。

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