長靴を履いたスコの恩返し

「森山義希、恩返しに来たぞ」
 ガソリンスタンドでのバイトを終え、コンビニ弁当の入った袋をぶらぶらしながら、一人暮らしのアパートへ帰り着いた俺を出迎えたのは、膝までの背丈しか無い、一匹の猫だった。
 耳がクタンと垂れているこいつは、スコティッシュフォールドとか言ったか。
 付き合って一年になる彼女が、
『スコはほんっとうに可愛いの。でも、耳が塞がってるからこまめにお掃除してあげないと可哀想な事になっちゃうんだよ。その手間も楽しいんだけどね』
 と、自宅のスコについていつものろけているので、少々の嫉妬を覚える程に、記憶に染みついている。
 だが、こいつをただの『一匹の猫』と呼んで良いものか。立っている。革の長靴を履いた二本足で立っている。そして偉そうに腰に手を当ててふんぞり返り、喋ったのだ。
 ……うん、きっと疲れてるんだ、俺。今日も年度末の繁忙期でてんてこまいだったしな。幻覚と幻聴だ。
「おいおいこらこら無視するんじゃない」
 すいっと横をすり抜けて玄関のドアを開けようとすると、長靴を履いたスコは慌てて二本足でつとつとと俺の前に回り込んで来て、にょきっと爪を出した両腕を掲げ、威嚇のポーズを取った。
「憶えておらぬのか。我は十五年前、お主に命を救われた猫だ」
 憶えていない訳ないだろう。俺は溜息をつく。
 あれは小学四年生の冬の下校中。猛スピードの車に轢かれそうになった猫を、ほとんど条件反射で車道に飛び出し助けて代わりにはねられ、三日ほど意識不明になった事がある。忘れたくても忘れられない生命の危機だ。こいつがあの時の猫だというのか。
「猫は二十年生きると猫又になる。我は先日生誕二十周年を迎え、めでたく猫又となり、お主に恩返しをしに来る事が出来た訳だ」
 二十年生きるとかどんだけ長生きだ。スコは特別な掛け合わせだから寿命が短い、とも彼女は言ってなかったか。というか、完全に外国猫のはずのスコが猫又って何だ。日本妖怪と西洋妖怪の垣根を軽々と超えて来るな。
「はいはい、わかったわかった。で、その猫又さんが俺にどんな恩返しをしてくれるんですか」
 折角コンビニで温めてもらった麻婆弁当が、また冷えてしまうではないか。出来るだけ早くこの話を切り上げて、非現実じみた夢から覚めようとおざなりな返事をすると、猫又スコは、顎に手をやり、にやり、とやけにニヒルな笑みを浮かべてみせた。
「我はお主に人生を救われたからな。我もお主の危機を救ってやろうと思ったまでよ」
 人生って。猫なのに人生って何ですか。俺の心の突っ込みも無視して、スコは先を続ける。
「お主は今、大きな悩みを抱えているだろう。それを解決しておいた。涙ちょちょぎれて我に感謝するが良いぞ」
 恩返しの相手の意向も聞かずに事後報告ですか。ていうか恩返しに感謝するって堂々巡りになるんじゃないのか。俺のスコに対する脳内突っ込みが止まらない。
「それではな、義希。お主の人生が幸いに溢れる事を祈っておるぞ」
 言いたい事だけ言い切って、スコはかつかつと長靴音を立て、片手を振り振り、二又に割れた尻尾を振り振り、アパートの階段を降りてゆく。
 何だったんだ一体。白昼夢にしては時間が遅すぎる。幽霊に出くわしたと考える方がしっくり来る。
 猫なのに狐につままれた気分でぐったり脱力し、玄関の鍵を開けて部屋の電気を点ける。その時、上着のポケットに突っ込んでいたスマホが、軽快な着信音を奏で出した。
 発信者は『母』。無視したい気持ちを少しだけ抱きながら、仕方無く『着信』を選び、電話に出る。
『もしもし、義希?』
 電話の向こうの声は、最近聞いてばかりだったヒステリックなものではなく、落ち着いたそれ。
『今日ね、正輝が捨て猫を拾って来たの。スコティッシュフォールドっていう、珍しい猫なんだって。すっごく可愛いの』
 正輝とは五つ年下の俺の弟だ。このところ喧嘩が絶えずに、すわ離婚秒読み段階かと思われていた両親。そこへ、大学生という大事な時期に一人置いて俺だけ家を出てしまった事に、罪悪感をおぼえていなかった訳ではないが、あいつ、そんな事をしたのか。
『それでね』
 母の弾んだ声が続く。
『お父さんと三人で必死になって猫ちゃんの面倒を見ている内に、喧嘩ばかりしていたのがばかばかしくなっちゃったねって話になって。もう一度皆で頑張ろうよって仲直りしたの。義希にもずっと心配かけちゃって、本当にごめんね』
 かちり、と。
 頭の中のパズルのピースがはまった。
『お主は今、大きな悩みを抱えているだろう。それを解決しておいた』
 長靴を履いたスコの台詞が蘇る。正輝が拾って来たスコによって解決した、家庭崩壊の危機。
 あまりにも出来過ぎた感が無くもないが、自然と笑みが浮かんで、ぷっと吹き出してしまった。
『どうしたの、義希? 笑っちゃうくらい変だった?』
 電話の向こうで母が小首を傾げる気配がうかがえる。
「いや、良かったなって思っただけだよ」
 麻婆弁当は冷めてしまっただろうが、俺の胸には今、温かい灯がともっている。
「今度、お土産持って帰るよ」
 両親仲が悪くなってから実家には寄りつかずにいたが、近い内に彼女を連れて帰ろう。スコ好きの彼女だ、きっとうちのスコの事も好きになってくれるに違いない。いわんや、家族も彼女の事を。
 スコの恩返し、か。
 なんて駄洒落みたいな事を考えながら、俺はバイトが休めそうな日を探し求めてカレンダーを眺めながら、彼女から教わった猫の世話の仕方について、母と話し続けるのだった。


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執筆者名:たつみ暁

一言アピール
 普段は物騒なファンタジーを書く事が多いですが、今回のアンソロについては、「お題は『猫』、何か穏やかな話を!」と模索した結果、ほのぼのした話になったと思います。ちなみにこの話はスピンオフであり、前フリの物語が存在します。それを収めた短編集は、テキレボ3当日に残部があるといいな、というかんじです。

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