昨日の猫は、トリの友

 見られている。そう感じて窓の外に視線を向けると、キラリと光る双眸がジッとこちらを窺っていた。
 薄い茶色ともベージュとも思えるふさふさとした体毛。ピンと立った両耳と顔と両手足が黒い双眸の主は記憶が正しければ多分――シャム猫。
 身の危険を感じてザワザワと羽が逆立つ。と、その瞬間、そいつはペロリと口元を舐めた。
「ヒッ」
 食われる。精一杯身を縮めると、丸い瞳を三角にした双眸の主は、ツンとおすまし顔で口を開いた。
「失礼なトリね。おあいにくさま、貴方を食べなきゃいけないほど、飢えてないわよ」
ブロック塀の上から見下ろすシャム猫は、とても高飛車だった。
「ア、アッチ、イケ!」
 ブルブル震えながらも抗議する。声が高いから、迫力はない。でも、シャム猫はムーッとした表情をして、
「なによぅ。本当、失礼しちゃう!」と文句を言って、スクッと立ち上がった。そして、尻尾をピンと立てると、尊大な態度で塀の上を歩いていった。尻尾も黒かった。
 翌日、猫はまたブロック塀伝いにやってきて、目の前で丸くなった。日向ぼっこのつもりなのか眠たそうな瞳で、くわぁと大きなあくびをしている。開けた口の大きさに絶望。食われたら間違いなく、一飲みされるサイズだった。
「ネ、ネコ!」
 けん制するように一鳴きするが、相変わらず迫力のない甲高い声で泣きたくなった。しかし、猫は首をもたげてチラリと視線を投げた。
「なによぅ」
 昨日と同じ、まったりとした口調。全く興味のなさそうな瞳。その顔には、昼寝するんだから邪魔しないでよ、と書かれている。
 こちらは部屋の中、向こうは外。すみかは細い鉄作で覆われている。だが、網戸はあるとはいえ、窓は全開。向こうに本気を出されたら、あまりにも心許ないバリケードだ。こっちこそ、平穏な日々を邪魔するな、と言いたい。
「ナンデ、クル!」
「昨日から思ったんだけど、貴方、お喋りが下手ね。インコでしょ?」
 無視された!自分の質問、無視された!
「もっとこう……ペラペラ喋る印象があったんだけど違ったのかな」
 逆に聞きたい。なんで、お前はそんなに喋るんだ。記憶が正しければ、猫、という生物は人の言葉で話ができないはず。にゃあ、とか、フーッ、とか、せいぜいその類で、自分達のように人語が使える猫なんて、生まれてこの方一度も聞いたことはない。そんな思いを知ってか知らでか、猫はキランと目を輝かせ得意げに尋ねてきた。
「それとも貴方は規格外?」
 瞬時に顔が赤くなった。もともと頬は赤いけど。
 歌うのは得意だけれど、確かに話すのは苦手で上手くない。滑舌もよくない。それは、ご主人である謙一にもよく言われる。
「おかちゃんは、あまりお喋りしないよね。よく歌いはするけど」と、とても残念そうに。
 謙一に出会う前に住んでいた所では、立て板に水を流すように喋る仲間はいた。そうは言っても、上手く話せないものは話せない。多分、練習すればどうにかなる、とか、気合があればどうにかなる、とかそういう問題じゃない気がする。しかし、あまりにも謙一が言うので、自分はトリじゃないのかも、と不安も覚えた。
 そんなある日、「兄さん」と呼ばれる男の人が言った。
「おかちゃんは、オカメインコだからね。セキセイインコと違って、お喋りより歌う方が得意なんだよ」
 兄さんがいうには、インコ、と呼ばれるトリにはオカメとつくものと、セキセイとつくものがいて、自分はそのオカメで、お喋りが下手なのはもって生まれた性質だと言う。なんだ、自分はちゃんとトリだった。当時、そう安心したことがある。
 でも、古傷をえぐるような「規格外」発言は、グサリとくる。何も言えず黙っていると、猫が首を傾げた。自分が一番可愛らしく見える、首の傾げ方。
「あれ?よく見ると貴方、髪の毛がツンと立ってるのね。その髪型、インコの間で流行ってるの?それともやっぱりインコじゃないのかしら?」
「インコ!」
 目一杯の自己主張。オカメ、とつくけど、インコはインコ、そう言えないのがもどかしい。ジレンマに陥っていると、猫は一つ伸びをして、さっさと歩いてどこかへ行ってしまった。
 気まぐれにもほどがある!
 ゆらゆら優雅に揺れる尻尾を睨んだ。つぶらな瞳なので、迫力はない。
 翌日。猫はまたやってきた。今日は何を言われるのだろうと肩を竦めると、ブロック塀の上から話しかけてきた。
「イズミに聞いたら、貴方はインコじゃないって!」
 興奮しているところ悪いんだけど、イズミ、って何?人?猫?
と、いうか、
「インコ!」
「オカメインコ、でしょ」
 猫は、ふんっ、と鼻を鳴らした。偉そうに。
「インコと付くけど、貴方はインコじゃなくてオウムの仲間。オウム目オウム科なの。ツンと逆立った髪があるでしょ?それがオウムの証」
 驚いた。自分はインコでなくオウムだった。と、いう事実ではなく、この話の流れでいけば、猫が聞いただろうイズミというのは、おそらく、人間――。
 自分が謙一に向かって片言日本語で話しかけても、褒められはしても驚きはしない。だって、インコもオウムも「お喋りをする」トリだから。でも、猫は違うような気がする。
 イズミ、という人は、この猫に話しかけられても、疑問に思わないのだろうか。それとも、猫の中にも猫目オウム科とか、あるのだろうか。目とか科とか、よく分からないけれど。じゃなきゃ、猫に話しかけられて平常でいられないと思う。少なくとも謙一は……うん、驚いて叫ぶ。
 そんなことを考えていたら、猫が徐に質問してきた。
「貴方、名前は?」
 唐突すぎるだろう!本当に自由だな!と、思ったけれど、猫が目をランランと輝かせているので、答えることにした。
「……おかちゃん」
「おかちゃん?」
 猫はまた可愛らしく見える角度に首を傾げた。でも、「ああ」と呟いた。
「オカメインコだから、オカちゃんか!君のご主人は、安直ねー」
 余計なお世話だ。謙一が一生懸命……か、どうかは分からないけれど付けてくれたんだ。それなりに気に入ってはいる。見知らぬ猫に文句をつけられる筋合いはない。
「オマエ、ハ?」
「貴女、でしょ!」
 怒った。気分屋だな、おい。
「私は、ゴージャス。宜しくね、おかちゃん」
 何が宜しくなのかさっぱりわからないけれど、ゴージャス、という名は猫のイメージにぴったりだと思った。もっとも、言っちゃ悪いが、「ゴージャス」と名付ける君のご主人も相当だ、とも思ったが。
 ブロック塀は見回り対象になったようだ。ゴージャスはまたやってきた。次の日も、その次の日も、ふらりと現れては、適当に話したいことだけ話して、ふらりと帰っていく。基本、自由奔放。でも、話をしているゴージャスはとても楽しそうで、いつしかゴージャスの話を聞くのが楽しみになっている自分がいた。  
 自分は、外の世界で飛べない。謙一も兄さんも遊んでくれるから寂しくはないけれど、やっぱりちょっとは憧れる。とはいえ、出て行ったら最後、ゴージャス以外の猫にペロリと丸呑みされそうだから、出ていく気はない。
 ゴージャスは、よく自分の話をする。その話の中で、彼女の本当のご主人はキリシマと言う人だといった。だったら、前回聞いたイズミは何なんだ。そう思って聞いてみると、
「キリシマはご主人、イズミは手下」としゃあしゃあと答えた。酷い言い草だと思ったが、どうやら本気で手下と言っている訳ではないらしい。イズミは、現在キリシマに頼まれて世話をしてくれている人のようで、彼女はそれが屈辱であり、恥ずかしくも思っている。要するに照れからくる悪態。ゴージャスはツンデレちゃん、かも知れない。
「だって、イズミはただの居候だもん!イズミの面倒を見ているのがキリシマで、イズミは新参者だから手下で良いの!」
 指摘したら、食ってかかられた。やばい、本当に食われたらシャレにならない。身を縮めて謝ると、ゴージャスは小さくため息をついた。
「イズミは就職難民で、キリシマが拾ってきたの。だから兄妹じゃないんだけど、イズミはキリシマを慕っていて、キリシマはイズミを可愛がっている。仲良しすぎて、ちょっと気持ち悪い。男同士なのに」
どういうことなのだろうと、「コイビト?」と聞いたら、「やだっ、キリシマはゲイじゃないわよっ!」と尻尾を太くした。冗談じゃない、ということらしい。
「カゾク?」
「うーん……友達、なのかなぁ。保護者って感じもあるんだけど」
 友達。自分とゴージャスも、そんな関係になれたらいいな、と思う。そしたらきっと、食べられる可能性は0になる。
 いくつかの夜を数えて、いつものようにまったりと話をしていたある日。遠くから「ゴージャス、どこ行ったー!」と男の人の声が聞こえた。
「マズイ、見つかったら医者に連れていかれる!」
 どうやら、イズミという人の声らしい。ゴージャスは、その場で立ち上がると、
「さらば、友よ。また明日!」と言い残して、ヒラリと塀から飛び降りた。逃亡者のようにすたこらさっさと駆けていくゴージャスに向かって「こらぁ、逃げるなー!」とまた声が聞こえた。
「おかちゃん?」
 ふいに後ろから声を掛けられた。振り返ると、制服姿の謙一が立っていた。学校、というものが終わって家に帰ってきたらしい。ゴージャスの言葉で頭がいっぱいになっていて、気が付かなかった。
「誰かいたの?」
 ゴージャスが駆けていく方向を見つめていたからだろう。謙一も、もう影も形もないブロック塀を見つめている。そんなご主人に、胸をそらして誇らしげに鳴いた。
「トモダチ」
「はい?」
 謙一は首を傾げて、もう一度ブロック塀に視線を投げた。もちろん、誰もいない。
「トモダチ」
 兄妹じゃないけれど。
 多分、目とか科とかも違うけど。
 僕とゴージャスは、友達、だ。


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執筆者名:ヒビキケイ

一言アピール
 今までオンラインで恋愛やファンタジーものを書いていました。今回、初の同人誌を出します。ふらりと気軽にお立ち寄りください。

掲載作品は発行する同人誌のサイドストーリーです。(※猫はオンライン上の方におりますが、本には出てきません)

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