Kato plenigita

 ここは、この街の中でも貴族等の富裕層が集まる一角。
住んでいるのが貴族ばかりというわけでは無いけれども、庶民の中でも富める者が多い地域だ。
 私は、そんな人々が集う教会に所属する、修道院で暮らしている。
修道院で私が主に担っている仕事は、香草や薬草を栽培している畑の管理だ。
香草は儀式の時にそのまま使う事もあるし、蒸留して香油を作る事もある。
薬草は勿論、誰かが病に倒れた時や怪我を負ってしまった時に使う。
農村に広がるという畑程は広くないのだろうけれども、それでも手入れは労力の掛かる物だ。
 今日も、私は如雨露を抱えて水を差し、痛んだ苗の葉を摘みながら、畑の手入れをしていた。
そこに聞こえてきた、耳の奥を嘗めるような小さな声。何かと思った私が振り返ると、畑の脇に立っている植木の根元に、金色の瞳の黒猫が座って居た。
黒猫は私の視線が不快なのか、髭をひくひくと揺らし、その場から走り去って行った。
 何処かへと行ってしまった猫を気にしていても仕方が無い。黒猫が居た木の根元から視線を外そうとした。
ふと、気がついた。木の根元に、何かが落ちている。
先程までは何も無かった筈なので、きっとあの黒猫が咥えてきたのだろう。
 もし、あの黒猫が何処かの誰かの物を持って来たというのなら、持ち主の元へと返さないといけない。
そう思い、一旦如雨露を地面に置いて木の根本にあった物を拾い上げると、それは随分とくたびれて、薄汚れて、所々が擦り切れている、灰色の猫のぬいぐるみだった。
 お世辞にも作りが良いとは言えないそのぬいぐるみは、私が良く教会で顔を合わせるような方々の持ち物とは思えなかった。
 畑の手入れが終わったら、一旦自室にこのぬいぐるみを置いてから、いつもお世話になっている神父様に相談しよう。そう思い、腰のベルトに付けている小物入れにぬいぐるみを押し込む。
大きいぬいぐるみというわけでは無いのだけれども、私が腰に付けている小物入れはそれ以上に小さいので、ぬいぐるみの頭はまるまる、小物入れからはみ出してしまっている。
畑の手入れをしている間に落としてしまわないか心配だったけれども、手入れを放り出すわけにもいかない。私はまた如雨露を持って苗に水を差し、痛んだ葉を摘み始めた。

 畑の手入れが終わり、如雨露を道具置き場に置いた後、神父様がいらっしゃるであろう教会へと向かった。
途中、教会へと続く道の先、敷地を区切る塀に開けられた門の側で、一人の子供が泣いているのを見付けた。
まだ背が低く、小さな手で目を擦りながら、喉が嗄れるほど大きな声で泣く子供。その子供は、きちんと手入れをされてはいるけれども上等とは言えない服装で、周囲から浮いてしまっている。
 おそらく、隣の区画から迷い込んできた子供だろう。きっと迷子になって心細いに違いない。そう思った私は、泣いている子供に駆け寄り、優しく声を掛ける。
「どうしました?
迷子になってしまったのですか?」
 するとその子は、しゃくり上げながらこう答えた。
「にーちゃんがつくってくれたねこさん、さがしてるの」
「猫さん、ですか?」
 作ってくれた。と言う事はぬいぐるみか何かなのだろう。
もしかしたら先程拾ったぬいぐるみだろうかと思ったが、違うという事もあり得るので、見せる前に猫の特徴を子供に訊ねる。
すると、両手を胸の前で広げながらこう答えた。
「はいいろでね、これくらいでね、しっぽとおみみがついてるの」
 涙で顔をくしゃくしゃにして、鼻を啜りながら一生懸命に説明するその子に、私は腰に付けた小物入れから、先程のぬいぐるみを取り出してまた訊ねる。
「もしかして、この猫さんですか?」
 ぬいぐるみを見た子供は、目を見開いて、声を詰まらせながら手を伸ばしてきた。
「それ、にーちゃんのねこさん!」
 涙で濡れた手にぬいぐるみを渡すと、子供はしっかりと猫を抱きしめて、笑顔になる。
大事そうに、大事そうに猫のぬいぐるみを抱きしめてお礼を言う子供を見て、私は疑問に思った事が有る。
「そのぬいぐるみを、どうして無くしてしまったのですか?
もしかして猫に持って行かれたとか」
 訊ねてばかりで申し訳ないとは思ったけれど、子供は素直に私の疑問に答えてくれる。
「いじわるなひとに、とおくにぽいってされたの。
それで、ぽいってされたほうにきたら、くろいねこさんがいて、にゃーっていうからついてきたら、ここにきたの」
 この子が言っている黒い猫というのは、私が先程畑で見掛けた猫だろうか。
もしそうだとしたら不思議な話だし、別の猫だったとしても不思議な偶然だ。
 暫く子供はぬいぐるみを抱いて安心した顔をしていたけれども、ふと私を見上げて不安そうにする。
ああ、黒猫に付いてきたと言っていたから、帰り道がわからないのだろう。
「おうち……」
 また泣きそうな顔をしている子供の頭を撫で、この街のどんな所に住んでいるかを訊ねる。
どんな所。と言われてもこの子にはよくわからなかった様で、口を尖らせている。
この場合、どう訊ねたらいいのだろうか。
私も頭を悩ませて、暫く子供の頭を撫でて、それからこう訊ねる。
「君のお父さんは、どんなお仕事をしていますか?」
 この街は同じ職業の者がある程度固まって住んでいる。なので、この子の親の仕事がわかれば、大体の住んでいる場所、若しくは、通っている教会がわかると思ったのだ。
 私の問いに子供は、嬉しそうに父親の仕事について話し始める。
服の仕立てをしていて、偶に布の店や糸の店へ連れて行ってくれると、一生懸命に言う。
 仕立て屋に布屋に糸屋。その類いの店が集まっている区画の教会に、私は心当たりが有った。
「なるほど、わかりました。
君が通っている教会までは案内出来ると思うのですが、いつも通っている教会からは一人で家に帰れますか?」
 すると子供はこう答える。
「きょうかいからは、ちゃんとおうちにかえれる!」
「ふふっ、そうですか。頼もしいですね」
 得意げな顔をするその子供が愛らしく、思わず笑みがこぼれる。
 それから、修道院の敷地から外に出る為には許可が必要なので、子供に少しだけ門の側で待っていて貰い、外出許可を取りに行った。

 子供が通っている教会へと向かう道すがら、この子はしっかりと猫のぬいぐるみを握りしめ、両親の話をする……かと思いきや、ぬいぐるみを作ってくれたというお兄さんの話をずっとして居た。
「にーちゃんね、ぼくとにーちゃんにいっぱいふくつくってくれるの。
それでね、ぼくがにーちゃんのふくきるとね、いいこだねってだっこしてくれるの」
 優しいお兄さんの事を余程話したいらしく、私が相づちを打つと、子供はにこにこと口を開く。
 そうしている間にも目的の教会に辿り着き、子供は手を振りながら、路地の中へと入っていった。

 修道院へと帰る道すがら、背後に視線を感じた。
何かと思い立ち止まって振り返ると、そこには金色の瞳の黒猫が居た。
黒猫は目をすっと細めて鼻を嘗めた後、ふいっと顔を背けて何処かへと姿を消した。


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インドの仕立て屋さん(URL)直参 C-33(Webカタログ
執筆者名:藤和

一言アピール
 現代物から時代物まで、ほんのりファンタジーを扱っているサークルです。
 今回のアンソロジーは、中世西洋風のお話で参加させて戴きました。
 こんな感じの少し堅めの物からゆるっとした物まで色々有ります。

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