赤い瞳

「いやー、儲かったなー!」
 少年が一人、上機嫌で王都の表通りを歩いている。颯爽とした軽やかな足取り。眩しい銀髪に、深い蒼色の瞳。痩せ気味だがすらりとした手足の美少年だ。
 彼の名はジャック。情報屋を営む十四歳の少年だ。普段はボロのフードを被ってスラム街に住み着いているが、今は仕事用の白いシャツを着て、ピカピカに磨いた靴を履き、黒い帽子を被っている。
 今日は報酬が高い仕事が上手くいき、懐には金貨袋がしまってある。
「リンゴ買って帰ろ♪ ……ん?」
 ジャックは果物屋に向かう途中、路地裏を覗き込んで、足を止めた。
 はじめは、ぼろ雑巾が道端に落ちているのかと思った。が、よく見ればその雑巾はわずかに動いている。近付くと、それは薄汚れた灰色の子猫だった。
「おい、どうした?」
 ジャックは子猫を抱き上げた。体中のあちこちに、怪我をしている。呼吸は浅く、目の焦点が合っていない。一刻を争う状態だ。
「しっかりしろよ……『アース・ヒール』」
 彼が呪文を唱えると、青みがかった銀色の光が地面から湧き上がり、子猫の身体を包み込んだ。銀色の光は子猫の傷を癒し、怪我はみるみるうちに消えてなくなった。一緒に、ついていた泥や汚れも落としたので、体も綺麗になった。
 怪我は治したが、子猫はぐったりしたままだ。何か、食べ物を与えなければ。
 ジャックは、懐にしまった金貨袋の存在を思った。
「……はは、運が良いな、お前。」
 ジャックは笑うと、子猫を抱いて走り出した。

「……ったく、笑うことないだろうが、あのじじい。」
 ぼやきながら、ジャックは手に入れたミルクを鍋に注いだ。
 林檎を買った果物屋の店主に、ミルクはどこで買えるのかと聞いたら、母親の乳でも恋しくなったのかとゲラゲラ笑われたのだ。
「母親が恋しいわけ、ないだろうが。」
 そう呟くジャックの瞳は、真冬の海のように冷たい。
 不意に、ミルクの匂いを嗅ぎ付けたのか、子猫がそろそろと近づいてきた。
 グレーの毛並みに、ミルク鍋をじっと見つめるつぶらな赤い瞳が愛らしい。路地裏やスラムに住む野良猫に、こんなに美しいグレーの毛並みをした猫はいない。やはり元は飼い猫か、とジャックは思った。
 捨てられたとすれば原因は赤い瞳だろう。この国では、赤い瞳は穢れの象徴と信じられ、忌み嫌われているのだ。
「ちょっと待ってろ。」
 ジャックは子猫に言うと、鍋を火から下ろして、人肌の温度になったミルクを皿に移して与えた。子猫は夢中で皿を舐め始めた。
 彼は猫から離れ、その様子をしゃがんで静かに見つめる。
 やがて、ミルクを飲み終えた子猫は、きょろきょろと周囲を見つめ、そこらを歩き始めた。すんすんと鼻を鳴らしている。知らない場所の匂いを嗅ぎまわっているようだ。
 ジャックがそれを眺めていると、急に子猫は走り出し、ジャックの足によじ登ってきた。すがるような眼で、こちらを見上げている。知らない部屋が怖くなったのだろう。
 そして自分を頼ってきたということは、子猫が自分を信用してくれたのだ、とジャックは理解した。
 正直、心を開く迄にはもっと時間がかかるだろうと思っていた……捨てられた割に、随分と懐っこいなと思ったが、捨てられた事すらわかっていないのかもしれない、と彼は思った。
「……お前は、俺だね。」
 ジャックは微笑んだ。子猫はきょとんとした表情で首をかしげる。
「大丈夫だよ、寂しくないから。一緒に暮らそう?」
 子猫の、赤い宝石のような瞳が彼を見つめてきた。
「……シンシャ。お前の名前、シンシャで良いか?」
 赤い瞳を見て思い浮かんだ鉱物の名前を口にした。
 シンシャ、という言葉に、子猫は一声、みゃあと鳴く。肯定されたようで、ジャックは嬉しくなって笑った。

「どうしたんだよ、その猫。」
 数日後、子猫のシンシャと戯れているジャックを、赤毛に琥珀色のつり目をした、強面の青年が訪ねてきた。
「やぁ、ディート。」
 強面の青年に、ジャックは笑った。今日のジャックはくすんだ色のフード付きのコートを頭から被っている。
「路地裏にいたのを拾ってさ。シンシャって名前なんだ。」
「……触っても良いか?」
 ディートは子猫を見つめてジャックに訊ねた。ぶっきらぼうな口調だが子猫を見る目は優しく、緊張していることがわかった。
「はいよ。」
 ジャックはシンシャを抱えてディートに近づけた。ディートが、ごつごつした手をシンシャに伸ばす。
 しかし、子猫は爪を立てて思いきりディートの顔をひっかいた。
「痛ってえ!?」
 悶絶するディートの姿を見て、ジャックは笑った。
「おいおい、気を付けろよ~! お前の顔は怖いんだから。」
「くそ……猫も猫なら飼い主も飼い主だ……帰る。」
「ゴメンゴメン☆ 怒るなって~ 」
「絶対ゴメンって思ってねえ!」
 文句を言うディートに対し、ジャックはヘラヘラと笑っている。そんな彼を憎たらしく思いながらも、ディートはふと真顔になって言った。
「名前まで付けるなんざ、ずいぶん世話やくじゃねえか。」
「うん。何だか俺に似てる気がして、放っておけなかったんだ。」
「……あー、そうかもな。」
 ジャックの言葉に、ディートは妙に納得した。
 手足の長いしなやかな体躯をもち、飄々とした性格のジャックは、何だか猫っぽいところがある。そして、シンシャと名付けられた子猫のグレーの毛並みは、ジャックの銀髪によく似ていた。
「別に良いンだけど、執着しすぎるなよ? 猫は気まぐれだからな。」
ディートの言葉に、ジャックは生返事をしただけだった。
 それから数週間、ジャックとシンシャの生活は続いた。シンシャは元気を付けると、昼間に出歩くようになった。が、深夜には帰ってきて、朝までジャックの枕元で眠るのが日課になっていた。
 そんな日々が続いたある日、ジャックは情報屋の仕事で、一晩を外で過ごさなければならなくなった。シンシャが心配だったが、昼から夜まで出歩いているようなので、一晩なら問題ないだろうと思い直した。
「待ってろよ、シンシャ。美味い物買ってきてやるからな。」
 ジャックは子猫の顎を撫でる。シンシャは、みゃあと鳴いてみせた。愛らしい姿にジャックの顔はほころんだ。
 変装用に、物ごいの格好をして、ジャックは家に餌を一日分残して、出掛けた。
 翌朝、そつなく仕事を終えた彼はミルクと魚を買って帰宅した。
「ただいま。」
 自然に口から滑り落ちた「ただいま」という言葉に、ジャックは自分で驚き、苦笑した。
「家族なんて要らないと思ってたのに。」
 そう独り言を言いつつ、彼は子猫が待っているであろう寝床に向かった。
「シンシャ?」
 いつもシンシャが眠っている場所は、もぬけの殻になっていた。
「……!」
 ジャックの手から、ミルク瓶と、魚を入れた袋が滑り落ちた。
 部屋中を探すがどこにもいない。ジャックは、物ごいの格好をしたまま外に飛び出した。
 路地裏もくまなく探したが、どこにもいない。
「表通りに行ったのか……?」
 まさか元の飼い主の所に戻ろうとしているのだろうか。
「嫌だ……俺を置いて行くなよ、シンシャ!」
 嫌だ、嫌だと小さく口の中で呟きながら、ジャックは必死でシンシャを探した。
 日も暮れかけた頃。ジャックは漸く、表通りの真ん中で倒れているシンシャを発見した。カラスと喧嘩でもしたのか……あるいは、穢れを忌み嫌う人間に攻撃されたのか。酷い怪我をしている。頭から血が流れていた。
「シンシャ!」
 ジャックが表通りに飛び出そうとした、その時。一人の少年が道の向こうから歩いてくるのが見えた。ジャックは思わず近くの物陰に隠れてしまう。
 現れたのは彼と同い年の少年だった。
 灰褐色の髪に、あどけないが上品な顔立ち、そして、夜空のような深い蒼色の……ジャックと同じ色の瞳を持つ、ダイアン王国第五王子、ラビセリウスだ。
「は? なんでアイツが?」
 普段は家に引きこもっている彼が珍しく外を歩いている。
 ラビセリウスは倒れた子猫を見て驚き、慌てているようだ。周りを見回していたが、誰も頼れる人がいないことを悟ると、子猫を抱き抱えた。
「あっ。」
 ジャックは手を伸ばすが、ラビセリウスは気付くことなく、シンシャを抱いて王都の中心部……恐らく自分の屋敷に向かって走っていってしまった。
 ジャックは、シンシャを連れて遠ざかるラビセリウスを追いかけることができなかった。
「……バッカだなぁ……俺は元々、一人だったじゃねぇか……。」
 だから泣くのはバカらしい。そう思っても、彼の頬を大粒の涙が伝う。ジャックは、目をこすって無理やり涙を止めた。そして、くるりと背を向け、一人でスラム街に足を向けた。
 それからシンシャがどうなったのか、ジャックはわからないまま……調べれば、彼にはすぐにわかったのかもしれないが、調べる気になれないまま、一年が過ぎた。

「これで良いのか、ラビス。」
「うん。ありがとう、ディート。」
 ジャックは物陰から、かつての友……昔、シンシャを共に囲んだディートが、ラビセリウスの隣を歩いているのを見ていた。
「昔からお前はずっとそうだったよな、ラビセリウス。」
 ラビセリウスとディートの笑顔を睨んで、ジャックは呟く。
「俺が欲しかったもの、大事にしていたもの……みんな奪っていっちまうんだ。」
 遠ざかるラビセリウスの背中を見ながら、ジャックは口元を歪めて笑った。
「今度は、そうはさせない……今のうちに笑っとけ。」
 ジャックの瞳は、深い蒼色から、血のような赤い色に変貌していた。


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執筆者名:藤ともみ

一言アピール
 TRPGのリプレイ小説(ソード・ワールド2.0)「王の選定者」の執筆を中心に活動しています。TRPGを知らない方にも楽しんで読んでもらえる小説を心がけております。今後、オリジナルファンタジーも増えていく予定!

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