花咲く頃には

 小さなバス停の傍らに置いてある、古びたベンチに座っていた小さな影に、コウサの全身が硬直する。
 バス停の横にある、この町の人々が細々と世話をしている小さな花壇に、綺麗な秋桜が咲いている。隣の部屋に一人で暮らすコネコビトのお姉さんにそう教えられ、車への恐怖を何とかごまかしごまかし、ここまで来たのに。知らない人に対する恐怖と、バス停前の細い道を忙しなく走る車の音と風に、コウサの足はぶるぶると際限なく震えていた。
「だれにゃ?」
 そのコウサに気付いたのか、小さな影が、コウサの方を向く。その影の、黒い髪と同化した、それでも忙しなく動く、髪とは違うものに、コウサは止めていた息をゆっくりと吐いた。この人は、もしかして。もう一度、目の前の影を、コウサはしっかりと観察した。間違いない。髪の毛の間にあるのは、隣に住む白い髪のお姉さんコネコビトと同じ、子猫の耳。コウサの前にいる、人間の子供のように見えるこの影は、間違いなく『コネコビト』。ニンゲンに憧れ、ニンゲンになる為に子供の姿で人間世界に暮らす、存在。コウサ自身も、ニンゲンに憧れる『コウサギビト』。生まれは兎だが、ニンゲンになりたい気持ちは、コネコビトと同じ。自分と、同じ。この人は、怖くない。コウサはほっと息を吐いた。
「だれにゃ?」
 そこまで判断したコウサの垂れ耳に、明らかに苛立った声が入ってくる。コウサは大急ぎで、肩に掛けていたスケッチブックを開き、スケッチブックに結びつけてある鉛筆でスケッチブックの余白に小さく『コウサ』と書いて黒髪のコネコビトに見せた。唇を動かすことはできるが、声を出すことができないコウサにとって、スケッチブックは他の人――ほぼ、コウサの保護者である『おさとさん』と、白い髪のお姉さんコネコとしか話さないが――と意志疎通する為に必要なツール。
「なにしにきたのにゃ?」
 同類であることが分かったのだろう、コウサが示したスケッチブックをじっと見詰めたコネコが、幾分優しくなった声で尋ねる。
「バスにのりにきたのかにゃ?」
 コネコの問いに、コウサは首を横に振った。このバス停に来るバスは、朝と昼と夕、郊外にある大きな病院へ人を運び、ぐるりと回って戻って来る小さなバスだけ。おさとさんと一緒に震えながら乗る、図書館や駅前に行くバスは、びゅんびゅんと車が走る細い道の向かい側にあるバス停から出る。コウサがここに来た、理由は。小さなコネコが座るペンキの剥げかけたベンチの向こうで揺れる、秋桜の細い茎に、コウサはほっと息を吐いて花壇の方へと向かった。
 と。
「ここにすわるといいにゃ」
 不意に、コウサの服が後ろに引っ張られる。はっと思う間も無く、コウサの身体は、古いベンチの上に座っていた。
「え、キレイにゃ」
 戸惑うコウサが腕に持つスケッチブックを勝手にめくったコネコの、うっとりとした声に、少しだけ、微笑む。傍若無人に振る舞う車にも、おさとさんとコネコのお姉さん以外の人間にも苦手意識を持っているコウサだが、それでも、褒められると、嬉しい。まだスケッチブックを覗き込んでいるコネコにスケッチブックを手渡すと、コウサは、おさとさんが作ってくれた肩掛け鞄から、これもおさとさんがしっかりと縫ってくれた、色鉛筆を入れて丸めて持ち運ぶことができる布製の画材入れを取り出した。
「なにをかくのかにゃ?」
 コウサを見詰める、コネコの黒い瞳に半分怯えながら、それでも、コネコから取り戻したスケッチブックの新しい頁を開き、取り出した緑色の色鉛筆で秋桜の細い茎と葉を描く。おそらく近所の人が作ったのであろう細竹製の柵にもたれかかるようにして、秋桜は、コウサの色鉛筆には無い色の花を咲かせていた。
「コスモス、ゆらゆらゆれてキレイにゃ」
 それでも何とか、持っている色鉛筆で花を描こうとしたコウサの耳に、隣に座るコネコの言葉が響く。そのコネコの、幾分寂しげで、そしてどこか苛立たしげにも聞こえる声に、コウサは心の中で首を傾げた。この黒髪のコネコビトは、ここで何をしているのだろうか? 細い道を大急ぎで走り抜ける車を見ているのだろうか? それとも、……バスを、待っているのだろうか? でも、ここに来るバス、は。
「でもコネコはチューリップのほうがすきにゃ」
 だが、そこまで考えて再び首を傾げたコウサの耳に入ってきたコネコの言葉に、疑問が解ける。このコネコは、花が好きだから、ここにいる。それも、コウサと、同じ。しかし、チューリップは、春の花。今は、咲いていない。
「チューリップ、ずっとさいてるとよいのににゃ」
 ある意味我が儘なコネコの言葉に、コウサは思わず口の端を上げた。
「しかたないから、コスモスでがまんにゃ」
 そう言いながら、再び、コネコがコウサのスケッチブックを覗き込む。コウサの左腕に当たるコネコの身体は、少しだけ、温かかった。

 次の日。
 コウサは、隣に住む白い髪のお姉さんコネコと一緒に件のバス停へと向かった。
「この町に、コネコ以外にもう一人コネコがいるなんて、初めて聞くのですにゃ」
 歩道の無い通りを怖々と歩くコウサの手を引き、コウサの前を歩きながら、白い髪のコネコは長いお下げ髪を揺らす。
「仲間には、挨拶しないといけないのですにゃ」
 昨晩、黒い髪のコネコのことを話したときと同じ言葉が、コウサの耳まで聞こえてきた。
 そのコネコに手を引かれるまま、バス停へと辿り着く。おそらく朝からそこにいるのであろう、黒い髪のコネコビトがベンチに座って足を揺らしている様が、コウサの瞳にはっきりと映った。
 だが。
「どこに、いるのですかにゃ?」
 コウサの前にいる白い髪のコネコの言葉に、驚いてコネコの白い髪を見上げる。
「どこにも、いないですにゃ」
 コウサを見下ろしたコネコは、目を瞬かせてから再び、ベンチの方を見て目を瞬かせた。
 驚きのままに、ベンチの方へ走り寄る。コウサを見て、大きな目を更に大きくした黒髪のコネコの少しだけ温かい手を取ると、コウサは白い髪のコネコの方に向き直った。
「そこに、だれかいるのですかにゃ?」
 それでも、白い髪のコネコの瞳には、ベンチに座る黒髪のコネコの姿は映っていないようだ。驚きと、疑問が、コウサの心をごっちゃにした。確かにコウサは、黒い髪のコネコの温かい手を掴んでいるのに。もう一度、ベンチに座る黒髪のコネコの方を見る。次の瞬間、コウサの前からも、小さなコネコの姿は、消えていた。

「コウサ、分かったのですにゃ」
 次の日。おさとさんの部屋に閉じ籠もるコウサにもたらされたのは、悲しい話。
「コネコがこの町に来る前に、この町に小さいコネコが住んでいたのですにゃ」
 バス停の近くにある、今は更地になってしまった場所。その場所に建っていた古い邸宅には、年を取っても元気なおばあさんと、どことなく猫っぽい子供が住んでいたという。花が大好きで、四季の花を庭に欠かしたことのないおばあさんは、二日に一度、家の近くにあるあのバス停から、バスに乗って郊外の病院に行く。そのおばあさんを見送り、戻ってくるまで古びたベンチに座って待っている小さな子供の姿を、近所の人達は何回も見掛けていた。そしてある日、いつものようにバス停からバスに乗り、病院へ向かったおばあさんは、病院内で突然倒れ、そのまま息を引き取った。おばあさんが住んでいた邸宅は取り壊され、バス停でおばあさんをずっと待っていた黒い髪の子供は、いつの間にかその姿を見なくなってしまったという。コウサが出会った、あの黒髪のコネコビトは、おそらく。
 怖さは、感じなかった。ただ、悲しく思った。ただ、それだけ。
 ぽろぽろと、涙がこぼれる。その涙が涸れるまで、コウサはコネコの胸でずっと、泣いていた。

 そして、次の日曜日。
「晴れて良かったのですにゃ」
 白い髪のコネコの声に、こくんと頷く。
 コネコとコウサは、おさとさんや町の人々と一緒に、バス停側の花壇の植え換えをしていた。
 まだ咲いている秋桜を抜いてしまうのは、悲しい。それでも。枯れかけた色を見せる秋桜の茎に、コウサは小さく息を吐いた。このまま枯れて、倒れてしまったら、細い道を忙しなく走る車や、傍若無人に歩道を走る自転車に潰されてしまう。それは、ダメだ。
 と。
「コウサ」
 おさとさんの声に、一足で、花壇に小さな穴を作っていたおさとさんの横にくっつく。そのコウサの掌に、おさとさんは笑いながら、小さな塊を置いた。
「チューリップの球根」
 手の中の茶色い塊に首を傾げたコウサの耳に、おさとさんの優しい声が響く。
「これを植えると、春にチューリップが咲くの」
 これが、あの黒髪のコネコが好きだって言っていた花になるの? もう一度、手の中の塊を見詰めて首を傾げる。図鑑で見た華やかなチューリップの花と、この塊とは、全く似ても似つかない。
「植えてみて。春になったら、分かるわ」
 おさとさんに言われるがまま、コウサは手の中の球根を、おさとさんが作ったくぼみの中にそっと、置いた。
 春に、なったら。球根に土を被せながら、おさとさんの言葉を、噛み締める。春になって、このチューリップが咲いたら、きっと、あの黒い髪のコネコもまた、コウサに会いに来てくれる。そうだと、嬉しい。バス停横のベンチに座って笑う、黒髪のコネコが見えた気がして、コウサは静かに微笑んだ。


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執筆者名:風城国子智

一言アピール
 相沢ナナコ様@タヌキリス舎が制作する「コネコビト」シリーズのスピンオフ作品を書きました。
 和風異世界ファンタジー『狼牙の響』シリーズの現代編『雨降る日々に』と、少年主人公の西洋風異世界ファンタジーを二種類、合計三種を委託頒布予定です。

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