変人伯爵のこぼれ話

 隆盛極めし市街から離れる事、数十㎞。
 見渡す限り一軒の人家も無い、郊外と呼ぶにも辺鄙に過ぎる場所に、邸宅がございます。
 いえ、初見の方は、ここを個人の邸宅とは思われない事でしょう。
 低劣に模したりとは言え、中世の城を思わせる外見は、そのような感想を抱かせるに十分であると思われます。
 この奇異なる建物を居所としているのが、私の主、人呼んで「伯爵」と称される方です。
 旦那様について、詳細を申し上げるのは使用人の領分を弁えぬ行為でありますし、また話の本筋ではございません。
 ですが、才能と人格は中々にして釣り合わぬものである、とだけは述べさせていただきたく思います。
 申し遅れました。私は、この「伯爵」と称する人物に使える、メイドでございます。
 さて今回皆様にお伝え致しますのは、この邸宅にて起りました、ささやかなエピソードでございます。

 その日、玄関先の掃除をしていた私の耳に、小さな音が入りました。
 私がその音、いえ正確には「声」を聞くのは、初めてではございません。
 「にぃ」とでも表現すればよろしいのでしょうか。まだ上手く声を発する事の叶わぬものが発する、声と呼ぶのも憚れるような、小さな声。
 それが私の耳朶に届いた時、僅かに眉が寄ってしまいます。
 また、ですか。
 微かながら、怒りと表現されるべき感情を抱きながら、私は声のした方へと向かいます。
 想定通りと申しますか。玄関から少し進んだ所に、小ぶりな箱が一つ置かれています。
 中には、申し訳程度にタオルが敷かれ、声の主が座っていました。
 産まれて間も無い、三匹の子猫が。
 先程も申し上げましたが、こう言った事は初めてではございません。
 裕福に思われるのか、当家には時折このように捨て猫がされていくのです。
(―――本当に)
 私は、先程抱いた感情――捨て主に対する怒り――を強め、箱を見下ろします。
 つぶらな目を僅かに広げた子猫の様子に、自らの感情を反省します。
 いけませんね。あなたが悪いわけではないのですから。
 幸い、当家の財力であれば、猫の一匹や二匹、養う事は問題ではありません。
 むしろ、問題は旦那様です。
 旦那様の名誉の為に断って置きますが、我が主は、いたいけな猫を解剖するような真似をする人間ではありません。
 恐らくは、このように申されるに違いありません。
「ゲノムまで解析されている生物の、何を解剖しようと言うのだ? 全く理解に苦しむな。しかしながら、その行動様式には興味を惹かれるものだな」
 ………………。
 ………………。
 逃げましょう。
 あなたはここにいては、死ぬよりも辛い目に遭ってしまいます。
「にぃ?」
 今は解らずとも良いのです。兎も角、ここを一刻も早く離れねばなりません。
 私は箱を手に、決意も新たに立ち上がりました。

 邸宅内の奥まった一角に、扉の脇に小さなランプを付けた一室があります。
 旦那様の書斎であり、在室の証しにランプが灯っています。
 ゆっくりとしたリズムでノック。焦って勘付かれてはいけません。
 中からの返答を待って、私は扉をくぐりました。
 机に向かい、得体の知れぬ書き物をされている旦那様に、申し上げます。
「旦那様。消耗品に、心許なくなっているものがございます。買い物に出る許可をいただきたいのですが」
 ペンを握る旦那様の手が、ぴたりと止まります。
「買い物…? 私の記憶では、確か三日前に行った筈ではなかったか?」
「はい。見積もりに誤りがありました」
「そうか。…ふむ、そうか」
 くくっと、笑うように肩を震わせてから、旦那様は許可していただけました。
「メードよ」
 退室しようとする私を、旦那様が呼び止めます。
「間違いの無いよう、確実にな」
「はい。かしこまりました」

 逸るように車で市街までやって来た私ですが、恥ずかしながら、さほど伝手があるわけではございません。
 そこで、旦那様行き付けのレストランへと向かう事に致しました。
 以前、こちらの女主人が、非常に交友関係の広い方だと伺った事があります。
 業腹ではありますが、彼女を頼る事に致しましょう。
「いらっしゃいませ。――あら、伯爵さんはご一緒ではありませんの?」
 いつも通りの柔らかな笑顔で出迎える彼女に、私は事の次第を手短に説明します。
「なるほど。それはお困りですね。――ちょっとその子を見せていただけますか?」
 私はキャリーケースの蓋を開け、子猫を女主人に披露します。
「まあ、ずいぶんと可愛らしいこと。では、少し待っていてくださいね。伝手を当たってみますから」
 女主人がそう言ってから、二時間ほど、ポットを一つ空に出来る時間が経った頃、来客の姿がありました。
 時刻は、この店の営業時間外。女主人が言うところの、伝手に相違ありません。
 それを裏付けるかのように、陽気な声が店内に響きます。
「いよお、可愛い子達がいると聞いてきましたよ!」
 年の頃は六〇代後半と言った辺りでしょうか。血色と恰幅の良い容貌の男性です。
 男性は女主人の案内に従い、私の元までやって来ます。
 促されるまま、ケースを開けて子猫を披露すると、男性は満面に喜色を湛えました。
「いやあ、これは可愛らしい。本当に、僕が頂戴しても良いのかな?」
「はい。お世話をしていただけるのであれば」
「それは心配要らない。僕は、猫に囲まれる事が、何より好きなんだ。友達もいっぱいいる。決して、辛い思いはさせないから、安心してもらいたい」
 少し視線を外して女主人を見ると、彼女は安心するようにと言った様子で、小さく、しかし、しっかりと頷きました。
 どうやら、信頼出来るようです。
「では、この子達をお願い致します」
「確かに」
 頷く男性に、私は適切と考える金額の入った封筒を差し出します。
「さして御礼も出来ませんが、こちらを」
「この子達の食事代としてならば、有り難く頂戴しよう」
 快活に答えつつ、男性は封筒を受け取ります。確かに、信頼出来る人物です。
 最後に、私は一匹ずつ、指先で軽く頭を撫でて、お別れを致しました。
 きっと、幸せになると確信して。

 帰宅した私は、旦那様にその旨を報告致します。
 旦那様はペンを止め、振り向かぬまま訊ねます。
「メードよ。全て、解決したのだな?」
「はい」
「よろしい。次からは、このような事が無いようにな」
「はい。申し訳ありませんでした」
 旦那様の書斎を辞しつつ、私はか弱き生き物の幸せを守れた事に、安堵感を覚えておりました。

 メードが退室してから、私は息をついた。
 まったく、あのメードにも困ったものだ。
 この家に、捨て猫がされる度に、何処かへと連れて行ってしまう。
 私は部屋の一隅に重ねられた、猫用の遊具の数々を見ながら思う。
 一体、いつになったら、私は猫を飼う事が出来るのだろうか。
 私は、猫が大好きだと言うのに。

(終)


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執筆者名:青銭兵六

一言アピール
ハードボイルド調探偵モノ小説を中心に活動しております。今回は、拙作「変人伯爵の暇つぶし」の番外編を書いてみました。どうぞよろしくお願い致します。

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