猫マンのライジング

 ここは綾月町あやづきちょう。日常と非日常が交わる境界線にある町。
 諸羽もろう博士はそう言っていた。
 ワイにはなんのことかよくわからん。ただ、この町で生まれ、この町に暮らしている。
ワイは諸羽博士に造られたHOPE。
 は、はいぶりっど・おーがにっく・ぱーそなりてぃー……え、えぎざんぽー、略してHOPE! 何度もれんしゅう帳に書かされたから、これは確かだ。
 ワイはHOPE!
 ネッコの顔面と学習能力、そして独身中年男性の肉体を併せ持つ、奇跡の生命体。それがワイだ。
 名前は猫マン。正確には猫マンおさむ。
 身長百五十センチ、体重六十キロ。もちろん壁に登ることなどできず、運動能力は小学校高学年にも劣る。
 ワイは楽天的な性格だと思っているけど、たまには夕焼け空を見あげて考える。
 諸羽博士はいったい何のためにワイを造ったのかと。
 戸籍も年金もないHOPEといえども、人生の厳しさは人間にひとしい。
 いや、ワイにとってはネッコと人間のダメなところをあわせたくらいに厳しかった。
 たとえば、いま。
 ワイは小学生たちから、袋叩きにされていた。
「ばーか、ばーか!」
「でぶ! でぶ!」
「おっさん、おっさん!」
 路上で丸まったワイに容赦なくケリが入れられ、棒きれが振りおろされる。
 図書館と公園のあいだにある細い道路で、ほとんど人が通らない。助けがあるまで、あとどれほどかかるかわからなかった。
 ワイは頭を守りながら、半泣きで訴える。
「や、やめてくれよぉ、ワイはかるかんを見つけただけじゃないかぁー! いたい、いたい!」
 慈悲はなく、頭を靴で踏みつけられる。
「かるかんがそんなところに落ちてるわけねーだろ!」
 バシバシと棒で尻を叩かれた。
「おまえ、何度同じワナにひっかかってんだよ!」
 言われてみれば、前にもこんなことがあったっけ。道路の上に落ちていたかるかんを見つけたとき、ワイの意識にはかるかんしかなかった。
 固いグーが背中を連打する。
「おまえホントバカ、おまえホントバカ!」
 三人の小学生たちは攻める手を緩めない。
 おおおおおっ! ワイの人生はかくも厳しい!
 無駄とは思いつつ許しを乞う。
「や、やめてくれよぉ、ワイ、なにも悪いことしてないじゃん……っ!」
 打撃がいっそう激しくなった。
「ネコババは悪いことなんだよ!」
「おまえ気持ち悪いし!」
「ホントバカ! ホントバカ!」
 ボコスカボコスカと、殴る蹴るの暴行が続く。
 人を含めて、生き物に手をだすなんて、ワイにはとてもできない。もとより、腕力ではかないそうにないんだけど……。
「ふぐぉおおおおっ!」
 ワイはうめきながら耐え続けた。
 そこへ!
「おまえら! また猫マンをいじめて!」
 とうとう救いの神が現れた!
 まちがいない! 翔人しょうとくんの声だ!
 アスファルトの上から見あげると、そこには確かに翔人くんが立っていた。数少ないワイの友達! 彩月小学校六年二組の快男児、大宮翔人くんが!
 翔人くんはランドセルを放りだして、仁王立ちになった。威嚇するように言う。
「すぐにやめろ! イヤならおれが相手になってやる!」
 ワイをいじめていたひとりが言い返す。
「おまえには関係ないだろ! ひっこんでろよ翔人!」
 翔人くんは怯まず言ってくれた。
「いまから関係者になってやるよ。三人がかりでもかまわないぜ?」
 ワイを囲んでいた三人は顔を見あわせると、不意にひとりが走りだした。
「おぼえとけよ!」
 あとの二人も続く。
「そんなの優しさじゃないからな!」
「ホントバカ! ホントバカ!」
 ランドセルの揺れるボコボコいう音と足音が遠ざかっていく。
 翔人くんの勝利! ワイはまたしても救われた。小学生にいじめられ、小学生に助けられる。それがネッコの顔とおっさんの身体を持つワイ、人造人間HOPEの人生だった。
「ふぐぉおおおおおっ!」
 不甲斐なさとありがたさの同居した思いで、ワイは泣き崩れる。
「だいじょうぶか、おさむ? 立てよ」
 翔人くんが助け起こしてくれた。二人きりになると、おさむと呼んでくれる。
「かるかんはもらっておけよ、迷惑料だ。公園行こうぜ、おさむ。ジュースおごってやるからさ」
「う、うん……ふぐぅっ!」
 ワイは鼻水をすすりながら立ちあがった。

 砂場で小さいこどもたちが遊ぶ児童公園。ワイと翔人くんはそこのベンチに並んで腰かけていた。かるかんはもう食べ終わっていた。
 いまは、翔人くんの買ってくれたコーラを二人で飲んでいる。
 缶から口を離して翔人くんが言った。
「おさむ、おまえもおっさんなんだからさ、もっとしっかりしろよ」
「翔人くん……、ワイは、ワイはなんでこんななんだろう……。諸羽博士はなんでワイみたいな出来損ないを造ったんだろう。ネッコでもなく人間でもなく。ワイの生きる意味がわからないよ……」
「バカ、生きてるんだから意味なんていらないんだよ。おまえは優しいし。ただ、人間としてあたりまえのことをすればいいんだ」
「翔人くんは立派ンゴねぇ……」
「誤解するなよ、おれなんて……」
 そのとき高らかな蹄の音が聞こえてきた。続いて荒々しい馬のいななき。
 遅れて人の叫び声。
「暴れ馬だぁーっ!」
 音のほうへ顔を向けると、衝撃が走った。
 信じられないことに、猛々しく荒れ狂った黒馬が公園に突っ込んでくる!
 なぜ、こんな町なかに暴れ馬がいるのか!
 その瞬間、ワイたちは日常から放り出されて、非日常のなかにいた。
 暴れ馬が凶暴な力を開放して跳ねる。あの蹄に踏まれたら、子どもなんて即死ンゴ! 馬が迫る!
「うわぁあああ!」
 翔人くんが恐怖の叫びをあげた。砂場の親子たちも悲鳴をあげる。
 ワイの脳裏に悲惨な結末が展開された。蹄に潰されるこどもたち。それに大事な恩人の翔人くんが血まみれになって倒れる図。
 そんな! そんなことは許されない!
 不思議なことに、ワイのまわりでは時間の流れがゆっくりになっていた。ワイには判断する時間がたっぷりあった。
「ふぐぉおおおおっ!」
 ワイは駆けだす。馬に向かって。
 ワイが、ワイだけがはねられれば、馬も満足するかもしれない。こどもたちも、翔人くんも、その隙に逃げられる。
 これしかない。ワイはそれだけを考えて走った。
 ゆっくり流れる時間のなかで、一歩踏みだすごとに足が伸びた。腕をひと振りするごとに、長さが増して筋肉が盛りあがっていく。ワイは一歩ごとに変わっていく。
 暴れ馬と対峙したとき、ワイは強く、たくましい姿となっていた。
 豹の敏捷性としなやかさ、冷静な判断力と知性を併せもつ生物。それがいまのワイだった。
 馬が後ろ足で立ちあがり、踏みつけようとしてくる。ワイは素早くまわりこみ、馬の首に腕をまきつけて背中へ飛び乗った。
 馬はワイを振り落とそうと激しく跳ねる。
 ワイは馬のたてがみをつかみ、首に腕をまわして、動きを制しようとした。
「どうどう! どうどう!」
 馬は次第に動きを弱め、とうとう動きを止めた。
 荒い鼻息をつきながらも、足踏みするだけだった。
 勝利の証に、馬の頭をこすってやる。
「よーしよし、いい子ンゴねぇ……」
 戦慄にとらわれていた児童公園に、安堵の空気が満ちていく。
 呆然とした顔で、翔人くんが見あげてくる。
「お、おまえ本当におさむなのか……? なんかぜんぜん違うぞ……?」
 ワイは力に満たされながら答えた。
「安心してくれ、翔人くん。ワイはおさむ。猫マンおさむ。綾月町の平和はワイが守るッ!」
 周囲から歓声が聞こえてくる。
「猫マン!」
「猫マン!」
 みなが喜んでくれている。ワイが手をあげて応えようとしたとき、身体が急激に縮んだ。しゅぽんと音を立ててもとの姿に戻ると、ワイは馬の背中からずり落ちる。身体に力が入らなくなっていた。
「ふぐぉおおおお……」
 倒れたワイの頭を、馬がガジガジと噛んでくる。意地が悪いけど、もう暴れる気はないらしい。しかたなく、かじられるままにしておく。
「だいじょうか、おさむ……」
 いつもどおり、翔人くんがみおろしてくる。
 そうだ、これがいつもの図だ。
 ワイの胸が、温かい安心感に満たされていく。
 日常が戻ってきた……。
 危険が去り、野次馬が集まってくる。そのなかに聞き慣れた含み笑いが聞こえた。
「フフフ、ここは日常と非日常が交錯する町、綾月町」
 目を向ければ、乱れた白髪に分厚いメガネ、身体がぷるぷる震えている老人が立っていた。ワイの生みの親、諸羽博士だった。
「諸羽博士!」
 ワイの声に応えて、諸羽博士が語る。
「非日常の侵入を許したとき、人はあまりに無力。運命に抗う力があるのは、ほんのわずかな者だけであろう。しかし、非日常の境界線を越えたときこそ、秘めたる力を発揮するのが、おまえたちHOPEだ。わたしはそのように造った……」
 まわりの人たちが息をのみ、なりゆきを見守っていた。
 いま言葉を発せられるのは、ワイと諸羽博士だけだろう。
 ワイは馬に頭をかじられながら聞いた。
「お、おまえたちって、ワイ以外にもHOPEがいるんですか、博士……?」
「フフッフフフ……」
 冬の始まりを感じさせる、冷たい風が吹き抜けた。


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創作サークル綾月(Twitter)直参 C-22(Webカタログ
執筆者名:進常椀富

一言アピール
はじめまして、『創作サークル綾月』です!
2015年7月に設立いたしまして、現在12名のクリエイターが所属しています。
『創作サークル綾月』では文筆に限らず、さまざまな創作行為を通して表現活動をしていきたいと思います。
モットーは「一人ではできない。皆でならできるかもしれない」
どうぞよろしくお願いします。

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