猫を彫る

「朕の愛猫が閉じ込められてしもうた!」
 文献には、大昔の大帝がそう叫んで岩を振り回したので、家臣たちは狂った大帝を大勢で押さえつけてやむなく切り殺した、とある。大帝の死後、国は自己崩壊を起こしてしまったのだそうだ。伝聞の伝聞の伝聞を文字を持った文明が書き記したその文献によると、岩は大帝が眠る土の上に鎮座しているとのことだ。

 ◆

 素材として持ち込まれた大理石は私がちょうど扱いやすい大きさで、やや赤みがかっていた。依頼は、これでライオンの彫刻を作ってほしいというものだ。ライオンで、という以外に指定はなく、私は久しぶりに思うままの作品が作れると喜んで依頼を引き受けた。
 工房に持ち込んで丸一日、石と二人だけで過ごす。高い位置にある小さな窓から差し込む自然光のみが光源だ。大丈夫、作業のときのためには煌々と照らす明かりが設置してある。あくまで構想を練るときだけ。石の呼吸を聞き、石の声を聞く。この石に最適な姿をイメージする。
 昼過ぎに石が届いてから、日は落ち、月明かり……といいたいところだが、今夜は曇っていて暗闇だ。見えるような見えないような、石の気配と向かい合っている。外から強い風の音が聞こえて、天気が荒れるのかもしれないと思う。思ったとたんに雨音。ときどき瞬間的に光が射す。遅れて遠くで雷鳴も聞こえる。目の前の石に気が寄り過ぎていたのだろう。外は大嵐になっていた。構わない。どうせ今夜は工房で石を見つめ続けるだけなのだから。
 雷光と雷鳴が同時に叫んだ。
 その瞬間に、私は石の中に佇む、堂々としたライオンの姿を見つけた。
 今、彫り出してあげよう。私のライオン。

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 大帝は攻め入った土地で勝利をおさめ、宴席が開かれた。肉や酒が振る舞われ、愛しいあまりにわざわざ連れてきた愛猫にもマタタビが与えられた。
 良くない心を持つ一人の家臣が、大帝の酒に、毒を、入れた。狂人となった大帝を斬り殺したのは、まさにその家臣だった。
 宴席は混乱の場となり、家臣たちは互いに剣を交し合った。血の湖。
 猫はいなくなっていた。

 ◆

 作業場の明かりを整え、まずは大雑把に余分な部分を割り落とす。設計図は無い。石を削る工程は全て私一人の手によって行われる。図面を描く時間と手間より、石に触れていたい。確固たるイメージを基にただ石に向かい合うのが私のやり方だ。他のアーティストや職人がどうやっているのかは知ったことではない。私は、私のやり方で、石を、彫る。
 私にはライオンの姿が見える。
 まだ余計な石に包まれているが、確かにここにいる。目の前にいる。石を削る。
 私にはライオンの姿が見える。
 もう何ヶ月も、食事と睡眠以外の時間はずっと作業場で過ごしている。早く彫り出してくれ、とライオンに急かされる。慌てるな、と私はライオンに声をかける。急いてお前に傷をつけたくないんだ、と。
 石は作業時間と共に変化してゆき、もうすぐ。もうすぐ、ライオンが姿を現す。

 ◆

 大帝の愛猫の行方は知れない。
 いろいろと逸話の多い猫だが、大帝の死後、文献にも登場しなくなる。

 ◆

 仕上がったライオンの彫刻を右手で撫でる。左手には缶ビール。
 もうすぐお前とはお別れだ。明日の昼には運搬業者がお前を引き取りにやってくる。
「なぁ、お前とはどこで逢ったんだったか」
 無から有を生み出すことはできない。物理的にもそうであるし、私の場合はイメージといった形のないものでもそうだ。今まで見聞きしてきた物事を、咀嚼し、記憶の壷で解体し、思考の箱で再構築する。いくつかの事象が混ざってしまうこともある。部分が欠けたものができてしまうこともある。
「なぁ、お前とはどこで逢ったんだったか」
 石のお前は応えない。
 今までライオンというものをどこで見てきただろうか。
 動物園には遠い子供の頃に行ったような気がする。絵本やイラストでデフォルメされたライオン。テレビで見かけるドキュメンタリー。知っていて当然のものとどこで出逢ったかなどと疑問も持つ者もそう多くないだろう。目にするエンブレムに図案化されたものや、誰かが作った彫刻だって、これまで多く見てきた。
「どこかでお前と、まさにお前と、逢ったことがあるような気がするんだ」
 ビールが空になった。ライオンの鼻筋を撫で、作業場を出る。消灯。今夜は月が明るい。作業場は施錠し、歩き出す。こんな夜遅くに、どこかで赤子が泣いている。


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執筆者名:氷砂糖

一言アピール
氷砂糖のひとりサークル「cage」です。普段はネットで五〇〇文字小説を書いています。テキレボ第3回には、2015年に作った個人誌『lesson』を委託します。

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