Only a white cat knows

 チリン。聞き慣れた音がした。
 泉は相棒の会話を遮って、窓を少しだけ開けてやる。
 残暑の空気と共に滑り込んできた白猫は泉の腕を伝って肩に登り、跳躍して尋人ひろとの腹に着地した。
 植込みの中でも抜けてきたのだろう、朝露で毛が湿っている。
「うげ、またかよ。こいついっつも俺の腹踏みに来るよな……」
「元気な証拠じゃん。ほら拭いてあげるからこっちおいで」
 猫はまた跳び、泉の持つタオルに背を擦りつけて幸せそうな顔をする。
「そいつ、俺には全然懐かないよな。お前にばっかり愛想振りまいてさ」
「可愛がらないからだろ。名前もろくに呼んであげないし。ね、白雪姫ちゃん」
 真っ白な毛並みに林檎形の赤い鈴が映える。その身体を丁寧に拭いてやって、怪我などしていないか確かめて。
「なあ泉、俺のことも構ってくれない? いつになったらメンテ終わんの?」
「ああ、ごめん。忘れてた」
 処置台から零れた不満に猫をおろせば、続き間のラボへと消えていった。
「忘れんなよ、専属エンジニアさん」
「兼、主治医」
「エセ医者のくせに。ブラックジャックでも目指してんのか?」
「うるさい、ちゃんと免許あるって。あ、今日も外出禁止な」
 検査数値に渋い顔をする泉。すかさず抗議。
「なんでだよ、もう二週間だぞ! 仕事にならん!」
「今日も霊力低すぎ。しんどいだろ?」
「……」
 反論しないのは図星だから。そんな反応をせずとも、朝起きてきた姿だけで体調くらい大体分かる。医療センスではなく付き合いの長さに裏付けられて。
 椎葉尋人の身体六割弱は、霊力で稼働する人工物である。四肢、右の眼球、循環系および呼吸器系、消化器官のほぼ全て、その他色々。それでも常人と大差ない生活を送っている奇跡は、ひとえに彼の血と才能の賜物だ。
 椎葉は浅葱谷の霊脈を守護する家系だが、その術者のほとんどを十九年前の霊脈暴走で亡失。当時五歳だった尋人だけは専属医の家系がもてる技術を全て注ぎ込んで蘇生させた。この血統が絶えれば、世界の均衡が崩れてしまうから。
 余談ながらその医者の家系というのが否島――奈島泉の実家である。
「はい終わり。霊力は生命維持より少し多いくらいの出力に調整したから」
 言いながら尋人を抱え上げ、別棟にある彼の自室へ向かう。
「もういいって、降ろせよ!」
「はいはい、大人しくしましょうねー」
 抵抗しようにもすぐに息が上がる。
 されるがままにベッドに収納され、電気まで消されて。
「おやすみ、ヒロ」

 ラボに戻ると、泉のデスクチェアは少女に使われていた。
 彼女の足は薄く周囲に溶け込み、本来は実体のない存在であることを示す。
「お待たせ、雪」
「お疲れ様。ふふ、今日も尋人くんは気づかなかったね」
「ヒントもあるのにな」
 雪の右の耳朶に光る赤林檎のピアスを指しながら笑う。
 白雪姫こと姫野雪は端的に言えば死者の魂だ。五年前、とある事件に巻き込まれたところを尋人に救われた。普段は少女の姿で事務員を務め、時々猫の姿であちこち潜りこんで泉に情報を提供している。
「で、どうだった?」
「ばっちり」
 暴走した霊脈は修復時に手を入れ、安全に機能するよう制限されたのだが、慢性的な術者不足の隙をついて力を盗む者がいた。
 気づいたきっかけは、尋人の術式精度が落ちたこと。
 あれは直系で現当主な上に半分あの世の存在。その気になれば神にも匹敵する力を使えるのだが、霊力の供給量が低くてはどうにもならない。
 尋人が知ればどうせ突撃するに決まっているので、うまく言いくるめて秘密裏に調べること二週間。
「それで、どうするの?」
「とりあえず侵入箇所を教えてもらっていいかな」
「はいはーい」
 屋敷の裏手、崖になっている部分を見上げて回れば、雪がある一点を指差す。
「ほらあそこ、木に何か刻んである」
 敷地の北東部、ラボや生活区域とは正反対のエリア。見たところ使われているのは汎用五紋と呼ばれる類の初級術式で、使い手のレベルも知れている。
「あー。あのぐらいなら解除できるかな」
 泉は椎葉家で過ごした期間が長いため簡単なものなら術も扱えるが、いつもなら自分から術を行使しようとなどしない。それは尋人の領域だと認識しているから。
 しかしその尋人が十分に力を出せない以上、できる範囲のことはやろうと考えた。
 それがまずかった。
「よっと……」
 崖に手をかけて登り、問題の木の根を踏んだ瞬間。
 それは作動し、それらは来襲した。
 白衣に防御術式を縫い込んでいなければ、左肩を失くしていた。
 尋人に感謝しながら振り向き、それらと対峙する。
 それら、は鳥だった。もちろん普通の鳥ではなく鳥型の式神だ。鴉のようなそれが百は。
 今度は正面から。どちらへ避けても挟撃。白衣の内ポケットにあった呪符に力を吹き込む。
「椎の凍てし刃よ、天秤守りの使命を果たせ」
 急所を氷柱で貫くがきりがない。
 ホームだからと何の武器も仕込まなかった自分が憎い。そして実に絶望的なことに、鴉の向こうに別の気配。それは、術者本体の侵入を意味していた。
 木に刻まれた術式は、椎葉の好敵手、千夜鐘ちよかねの代名詞である鴉の紋に変化していた。
「……雪、撤退だ」
「分かってる!」
 下級霊の雪だが今は椎葉に根付いた魂。敷地内なら多少の無理はきく。
 伸ばされた手を掴み、地面を蹴って屋根へ。ここなら建物の結界が盾になる。
 渡り廊下から建物内へ。必死で逃げ込んだラボの空気が荒れているのが分かった。
 敷地や建物を包む結界が崩れかけている。動力源を霊脈に頼っているため確かに最近は不安定気味だったが、それでも崩れるほどではなかった。
 圧に負けて軋み始めたキャビネットをこじ開け、霊力密度計を読む。マイナスの危険値。侵入を許したことで更に力が食われているのだ。こちらが正規のルートで吸い上げるよりも早く、乱暴に奪われている。
「くそ……」
 罠だったのだ。敷地内部に張った結界は、通り抜ける時に僅かに揺らぐ。そこを一気に攻められれば、こちらの防御は障子に等しい。
 侵入には時間がかかるが、綻べば一瞬。悔しさと情けなさを壁にぶつけた。
「大丈夫だよ、尋人くんがいるもん」
「でももうあいつがまともに動けるだけの霊力も……」
 本当はまだ可能性がある。だがあれは切り札であり諸刃の剣。あれはだめだ。
 密度計自体が圧で歪む。この軋みはイコールで敗北へのカウントだ。雪は人型を維持しきれず猫となり、生身の泉も肺が苦しい。酸素を求め、無駄と知りながら窓を開ければ、人間大のものがちょうど飛び込んできた。
 泉ごと転がって壁に激突したそれは。
「ヒロ……?」
 なんでここに。
「あー、だりぃ……。泉、悪いんだけど、出力制限外してくれ。もー、死にそ」
 専用端末を操作し、尋人に肩を貸す。左腕に若干の破損が見られた。
 戦闘用義肢に換装する余裕があるかどうか。なかったところで、ただでさえ不足が大きいのだ、せめて。
 けれど、尋人が泉の腰を捕まえて離さない。
「サンキュ。あとな、」深呼吸をして、氷の盾を編みながら。「直結回路の鍵、よこせ」
 息を飲む。
 それは諸刃の剣。かつて彼の父が飲まれた力の誘惑。上質で無尽蔵な霊力を源より奥、核から直接食らう、素質の試される賭け。霊脈に嫌われれば、また浅葱谷を厚い氷が覆うだろう。
 その脆さを突かれて無闇に貪らぬよう、否島の術で鍵をかけたのだ。
「んな顔すんなよ。心配しなくても俺は愛されてる」
 不安を見透かした言葉を受けて、泉は腹をくくった。
 手首を齧り、滴る血液で否島の基本式を描き、鍵となる口上を滔々と紡ぐ。
「可を否として、否を可とする――」
 迷っている時間はない。相棒を信頼する。
 描画と詠唱を早巻きで繰る間にも目の端に鴉が入り込むが、どれもすぐに凍てる。
 全ての鎖を解き、選ばれし者に力が還された瞬間、急激に気温が下がった。
 吐息が音を立てて凍りつくのと同時、優しく触れた指先が傷を綴じていく。
「じゃあちょっと暴れてくるから、ここで待ってろ」
 たん、と踏み切って軽やかに外へ。
 待ってろも何も貧血と低体温で動けねえよ。その言葉が凍る前に、泉は意識を手放した。

 目を覚ますと、ベッドサイドに冷めたおにぎりが置かれていた。枕元には眠り込んだ白猫。
 タオルケットをのけても寒くはないが、既に日は落ちているらしい。
 ごそごそと身体を起こし、四肢末端の細胞が生きていることと手首の癒合がほぼ完了していることを確認していると、尋人が入ってきて電気を点けた。
 人の寝室に勝手に入るなという文句は、運んでもらっておいて言えるわけもない。
「ん、起きたか泉。ったく、医者が倒れたら誰が治療すんだよ」
にやにや顔を無視して冷静に質問する。
「……状況は?」
「オールオッケー。そうだ、今度お礼参りしないとな!」
「やめてくれよ……。で、どうして助けに来れたんだ?」
「あー、心拍と呼吸止めて、消化も休んで右目も閉じた。そうすりゃ走るくらいはできる」
「お前……そんな無茶して」
「無茶はどっちだ、バカ泉。死んだらどうする気だよ。お前の命はお前だけのもんじゃないんだぞ。そもそも、こんな面倒事になってるならさっさと言え!」
「……ごめん」
 それについては反省しかない。いくら専属エンジニア兼主治医としての判断とはいえ、当主抜きで動く問題ではなかった。
 素直にそう言えればいいのだが、言葉が出ずに俯いてしまう。
「あー……腹減ったろ? あったかいもん作ってやるから」
 自分が怒鳴ったせいで落ち込ませたと勘違いした尋人はキッチンへ逃げようとする。その服の裾を泉が掴んだ。
「……いい。ここにいろ」
「なんで」
「なんでもだ、医者の言うことは聞け」
 意味分かんねえよと言いながらもベッドに腰掛けてくる尋人に、泉は少しだけ笑う。
 こっそり目を開けて空気を読んだ白猫が、するりと部屋から抜けていった。


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春夏冬(URL)直参 C-42(Webカタログ
執筆者名:姫神 雛稀

一言アピール
関西系よろず創作サークル春夏冬(あきなし)です。現在のメンバーは9名、テキレボ参加は3回目の皆勤賞。
頒布物は純文、ラノベ、BLにグッズ、アクセサリーと節操のないサークル。色んな意味で勢い任せ。
今回のアンソロ参加作は異能バトル系ファンタジー。本編「Before the word freezes」は2016年1月よりWEBで始動予定。

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