【おことわり】
 今回は、二〇〇四年NHK大河ドラマ『新選組!』の二次創作『月は欠けゆく』(二〇〇五年刊行)から寄稿致します。これは、表題作と何本かの随想ずいそう、そして小説作品になり切れない「拾遺しゅうい」集から成る、伊東甲子太郎いとうかしたろう先生追悼冊子です。
 表題作「月は欠けゆく」は、第四十三回「決戦、油小路」の、オープニング前の展開後から、伊東甲子太郎がその生涯最後の朝を迎える直前までを、ドラマで描かれなかった部分に限定して書いた、わば”ドラマの隙間すきまめた”作品です。ドラマ内で描かれた場面は一切書いていないため、ドラマの翻案(二次的著作物)とは言えないものの、ドラマを御覧になっていない方には今ひとつも今ふたつも状況がつかめない作品になっているかと存じます。大変申し訳ないのですが、ドラマを御存じない方には、右、御寛恕ごかんじょいただければ幸いです。

 岩倉邸での屈辱の会合の翌日、御陵衛士ごりょうえじ頭取・伊東甲子太郎は、ともとして付いてきていた弟子・藤堂平助とうどうへいすけから、自身の考えを建白書けんぱくしょまとめ、仲介してくれそうな人間に託してはどうかとの提案を受ける。それを受けれた伊東は……

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 肌身にみる冷え込みが、甲子太郎の目を覚まさせた。
 夜が明けていた。
 いつの間に眠ってしまっていたのか、筆を置いて文机ふづくえもたれ掛かっていた。あかりは消えてしまったのか、それとも誰かが消してくれたのか……思いながら身を起こすと、肩から褞袍どてらすべり落ちた。どうやら、誰かが、彼を起こしてしまわぬように気遣いながら、火の始末などをしてくれたものらしい。
 くしゃみがひとつ、れた。少しを置いて、もうひとつ。
 いつ眠ってしまったかもよく覚えていないくらいなのに、汚してはならぬという思いだけは強かったのか、夜を徹する勢いで書き上げた建白書のつづりは、かたわらによけられていた。
 ……表紙に「大開國策だいかいこくさく」と書かれているものが一冊と、何も書かれていないものが二冊。
 題を記したものは、大久保一蔵おおくぼいちぞうもとへ持参する為にこしらえた一冊。
 何も書かれていない二冊の内の一方は、他の二冊を作る時に手許に置いた、昨日平助にも貸し与えた控え。
 そして、もう一方は……
 甲子太郎は、人前では見せなくなって久しい自然な笑みをこぼすと、立ち上がり、障子しょうじに歩み寄った。
 静かに開け放つ目の前に、枯山水かれさんすい石庭せきていまぶしく広がる。
 ふたつの築山つきやまに、故郷の筑波山つくばさんおのずと思い出された。遠くから見てもすぐさまそれとわかる、ふたつに分かれた山頂。……幼い日から仰ぎ見続けた、秀麗なる紫峰しほう。長じて常陸ひたちを離れ、江戸深川に居着いてからも、永代橋えいたいばしから望むことが出来た、関東平野の孤峰こほう
(……女体山にょたいさんの方が、わずかに高いのであったか)
 その昔に聞いた話では、高く見えた方を男体山なんたいさんとしたところが、登ってみたら女体山の方が高かった……という次第なのであったか。
(下から見上げているだけでは、わからぬことがあるものだ。山も……この国も)
 上洛じょうらく以来、甲子太郎は、自身ではそのいただきに着実に近付いていると思っていた。
 けれども今、それが何と遠くに見えることか。
 近付いていたと思っていた分、その衝撃は大きかった。
 だが、その衝撃にすくんで立ち止まってしまったら、永遠に頂に届くことはない。
(今のままでは、この国の行く末は危うい。ひとつ国の中で我こそが政治の実権を握らんといじましく争い続けることに、何の利があらんや。双方疲弊ひへいして、結局は諸外国の食い物にされるだけではないか。……もはや、国を閉ざし、異国の船を打ち払うなど、現実として不可能なこと。ならば、相手の言い分ばかり押し付けられて仕方なく国を開くのではなく、自ら進んで積極的に国を開き、対等な条約を結び、対等な交易によって国を富ませ、それによって諸外国にするほどに兵を強くせねば、この国の百年の計は成らぬ。諸外国に対して卑屈になることなく、対等の立場で物を言えるようになること、それこそが、真の攘夷じょうい。……この策がこの国の頂に届くなら、我が身など、何千回でもなげうとう。……名を捨てよ。じつを取れ。我が名が残らずとも、この策さえ残れば、そしてそれによってこの国が道をあやまつことなく進むことが出来るのならば、それで充分ではないか。この国の行く末の重さに比べれば、我が誇りなど無用のおごり、風の前の塵芥ちりあくたに過ぎぬ……)
 そこまで考えたところで、甲子太郎はつと、、、端整な唇を自嘲じちょうの笑みにゆがめた。そんな考えをいだくということ自体が、裏を返せば、如何いかに己がこの時代に名を馳せ名を残すことを望んでいたかという証左だ。
 日本の国の行く末を思うこころざし如何いかに高かろうとも、その底におのが功名心が潜んでいるのであれば、それは不純ではないか。己は、若き日に、ただこの国の為に一身を擲たんと志したはずではなかったか。一身を擲つということは、己の名望もまた捨てるということではないのか。
 しかし、そうは言っても自負心はなかなか捨てられるものではないということも、甲子太郎にはわかっていた。
 己の策をきちんと示すことさえ出来れば無下むげに退けられることはない筈だという自負心が残っていればこそ、屈辱を乗り越えて此処ここまで書き上げる気力を振り絞れたのだ。
 無用の誇りを捨てねばならぬと痛感しているのは確かでも、全ての誇りを捨ててしまうことは出来ない。心の働きは、なかなか、ひと筋縄では行かぬ。
 身仕舞みじまい朝餉あさげを済ませて文机の前に戻ったところで、平助が姿を見せた。
「薩摩藩邸へ出掛ける。供をしなさい」
「はい」
「それから、後で、こちらの写しを一部、作るように」
 言って、甲子太郎は、傍らに置いていた三冊の綴りの内、表紙に何も書かれていない綴りの一冊──昨日貸し与えた一冊とは別の一冊を、相手の前に置いた。
「……これは」
「この建白書の控えだ。……写しを作ったら、元の綴りだけを戻すように」
「はい……写しの方はどなたにお渡しすれば宜しいのでしょうか」
「君の手許に残して良い」
「えっ……!」
「たとえ単なる書写であっても、自ら手を動かして言葉を綴れば、単に耳で聞き、目で読むよりもはるかに早く、己の血肉になる。……慌てる必要はないが、私の控えもそれしかない故、余り遅くなり過ぎぬよう」
 平助は、紅潮した顔を伏せるようにして頭を下げた。
「有難うございます、戻りましたら直ちに取りかかります」
「ただ文字づらを写しても、己の身に付かぬのであれば無駄な作業。……書かれていることの意味を考えながら進めよ」
「はい、かしこまりました」
「……すぐに、出掛ける支度したくを」
 喜びと緊張の入り混じった平助の表情には敢えて目を据えることなく、甲子太郎は、そっけないほどの態度で、すい、、と立ち上がった。
 写しを作らせるという名目にきょうする為にわざわざ二冊も同じ内容の綴りを拵えたのは、有益な助言をしてくれた平助に対するそれとない謝意であった。
 だが、それ以上、目に見える形での謝意を、相手に示したくはなかった。
 優しい顔は出来る。出来るけれども、笑おうと意識した途端に、そこにどうしても偽善が混じる。相手にい顔をして相手の好意を得ようという打算が忍び込んでくる。
 それが、自分で許せなかった。
 平助に対し、かつて一度そういう打算の潜む”心遣い”を見せてしまったという事実もまた、素直に謝意を表明することを阻む原因となっているのは間違いない。
(……いつになれば私は、この男に、今少し素直な言葉をかけてやれるようになるのか)
 ふと、そんなことを思ってみる。
 甲子太郎は無論、平助が、師である自分から素直な好意を示されれば嬉しく思う性分であることぐらい、承知している。だからこそ、平助が上洛する時に、”優しい気遣い”を示してみせたのだ。
 だが……いと易く笑顔を見せることが出来たあの時とは異なり、今はどうしても、素直な感謝の言葉と笑みをかけてやることが出来ない。
 そこには、偽善が許せないだけではない、もっと複雑な思いが潜んでいた。
 優しい顔をすることが、弟子である相手の機嫌きげんを取ろうとしてびている所為しょいに思えてしまって、耐え難いのだ。
 弟子に対して媚びたくない、というのとは少し違う。平助に対して、、、、、、媚びたくないのだ。平助に”いい顔”を見せることが、平助が恐らく今でも心服しているであろう近藤勇こんどういさみと張り合う所為であるような気がしてくるのだ。
 自分より格下だと思っている筈の相手と張り合うなど、あってはならぬこと。あってはならぬことなのに、平助の後ろに勇の影を見てしまうと、張り合うような思いをいだいてしまう。
 だからつい、素直さから全力で遠ざかってしまう。
(永遠に、素直な言葉をかけてやれる時など来ないのか。……この男の後ろに、近藤の影が見えてしまう限りは)
 平助の後ろに見える近藤勇の影、それは己自身の器量に対する不信の投影に他ならぬのだと、無論、甲子太郎にはわかっている。
 一体どうすれば、平助の後ろに勇の影を見なくて済むようになるのだろう。
(……己があの男よりも如何いかなる面にいても格上であるという揺るぎない自信を持つこと……)
 だが、それがどうしても出来ないのであれば。
(あの男と私と、いずれが上であるかという決着を、ハッキリと、付けること)
 しかし、どうやってその決着を付けるというのか。
 これまでに何年間も相手を見てきて、自分の方が総体として格上であると結論付けてきた筈ではないか。
 今更、何の決着が必要だというのか。
 甲子太郎はかすかな苛立いらだちを覚えた。
 手の届く所に簡単な答がある気がしてならないのに、今の自分にはどうしても、その答が見えない。
 もどかしさが、心の片隅に、おりのように残った。

     ──『月は欠けゆく』表題作(肆)より


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サークル名:千美生の里(URL
執筆者名:野間みつね

一言アピール:架空世界物や似非歴史物が中心。大河ドラマ『新選組!』の伊東甲子太郎先生や超マイナーRPG世界を扱う等、ニッチな二次創作も。現在、架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』を主に執筆中。今回は、幕末群像劇ドラマ『新選組!』二次創作『月は欠けゆく』の表題作から、第四節の一部を「抄」として投稿。

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