暗夜想路
泣いて叫んで憎んで、それでも貴方は帰ってこない。
「辻斬りですって。まだ若い青年が殺されたって」
「まあ怖い。おいそれと出歩くことも出来ないわ」
死ぬのは私が先だと信じて疑っていなかった。
元々身体が弱い私。愛する人の子供を産むどころか、ただ生きていく、それすら思い通りにいかない毎日で。
そんな私が、どうして貴方からの求婚を受けることが出来たというの。
『どうかお身体を大切に――』
微笑みながらそう言う彼の手の上には、求婚を断ったことで行き場を失った一本の簪。
『貴方の幸せを願っています』
それが貴方の最期の言葉。
それはこっちの台詞だと、笑って返して。本当は受け取るべきではないであろう簪も、物に罪はないから貰ってあげる、なんて傲慢な態度をとって。
心はずっと泣いていた。
貴方もそうだった?
こんな別れになるのなら、なんて後悔しても全てが遅い。
生きてさえいればまた会える。死んでしまったらどうすれば良い?
伝えることが出来なかった想いは昇華されることなく、酷い痛みと残酷な現実を伴って私を苦しめた。
簪ばかり見つめて。
会いたい。会いたい。会いたい。
執念に近いその強すぎる想いに、思い出は知らず知らず美化されて、ずるずると時だけが非情に過ぎ去り、苦しみすら甘い痛みとなっていった。
空虚な毎日。
色褪せた世界。
それでも私はまだ生きている。
――――――
「もし、そこのお方」
暗がりの中から私は一人の男に声を掛ける。突然声を掛けられた男は一瞬警戒したようだったが、
「私を買っては頂けませんか?」
その言葉を聞くと、私の頭のてっぺんから足先まで舐めるように視線を這わす。
そして、好色そうな笑みを浮かべて近付いてきた。もはや見慣れた反応だが、今夜ばかりは気にならない。
目の前にいるのは、求めて求めて求め続けて、狂おしいまでに会いたかった人なのだから。
来る日も来る日もいなくなってしまった貴方を追い求めるばかりの日々だったけれど。
やっと、やっと見つけた。
「上玉だな。あんたみたいな女がこんな夜道で客引きなんか勿体ねえ」
男が私の着物に手を掛けた。
胸が高鳴る。喜びがわき上がる。
貴方を亡くして以来、初めて。
この夜、私は心から笑った。
――――――
「吐き気がするなあ……」
辺りに充満する錆びた鉄の臭い。
真っ赤な簪。
真っ赤な着物。
真っ赤な手。
真っ赤な水溜まりに沈む、男。
この空間だけが鮮やかに私の瞳に映る。
やっと、やっと願いが叶った――
仇討ちなんて、自己満足にすぎない。貴方は決して望まなかっただろう。
しかし、そんなことはどうでも良いのだ。
貴方が望む望まないに関わらず、これだけが私の生きる意味だった。
どこで間違えたのか、何が悪かったのか。
それもまた、どうでも良いことだ。
「……会いたいなあ……」
ああ、酷く、眠い。
段々と思考能力が落ちていくのがわかる。
視界が霞む。身体に力が入らない。
私も、血の海の中にいた。
運良く相討ちにまで持ち込んだのだ。
怖くはない。死はいつも身近にあったから。
ただ、きっと私は貴方と同じ場所には逝けない。
この手も、この身体も、あまりにも汚れてしまったから。
会えないのは罰だ。
それで良い。
簪、汚してしまってごめんなさい……
私は……ずっと……貴方を……――
――少女は眠るように安らかに、それはそれは、ひどく穏やかな顔をしていた――
サークル名:浅漬け古漬けお好みで(URL)
執筆者名:ピクルス一言アピール
オリジナルのショートストーリーが中心。シリアスな話や切ない恋愛を書くことが多いです。
今回の話もその例に漏れず、好きな人と死に別れてしまった病弱な娘の心情と後悔と決意を書き記しました。