春臨しゅんりん

 重い鈍色にびいろの空から、冷たい花片がふわふわと舞い降りてくる。
 徐々に冷え込みが増す中、黒髪の長身の青年、ウィラード・ヴォーリュックは、根雪に重なった新雪の上を注意深く歩き、『重石おもし通り』と呼ばれる商店街にやってきていた。
 人影まばらな通りを奥へ進むと、やがて『霊薬エリクサ承ります』と看板の下がった店が見えてくる。羽織ったマントについた雪の華を払いつつ近づき、一瞬の躊躇の後で意を決すると扉を押し開けた。
 くくりつけられていた鈴がころんころんと可愛らしい音をたてる。店内は存外に温まっていたが、客はおろか店主の姿すら見えない。棚に並ぶ薬の箱や様々な色の液体が入った瓶を見回してひととき時間を潰した後、頬を掻いてゆっくり踵を返そうとしたその時だった。
「いらっしゃいませ。すみません、片付けをしていたもので」
 店の奥へと続く廊下から一人の青年が姿を現す。茶色の髪に瞳、そして草色の長衣ローブを身に付けた彼。この店の主である魔術師のナタリフは、こちらを見るなり驚いた顔を見せた。
「珍しいねこんな時間に」
 午後のお茶まであと半刻あまり。ウィラードが所属するリシリタ王国騎士団は勤務時間中のはずだ。しかし言ってしまってからそのいでたちがいつもと違うことに気づく。所属を示す濡れ羽色の外套は身に着けておらず剣も帯びていない。どうやら今日は非番らしかった。
「何か入用なのかい?」
 別にと視線を外す彼に、にこりと笑いかけて促す。
「今お茶を淹れるから、そこに座って……」
「兄ちゃんお願い助けてよ!」
 しかし後の言葉を遮って入口の扉が勢いよく開けられ、一人の少年が転がり込んできた。と同時にナタリフは心得たように店の一角を指差す。合図を確認した少年は一目散に駆け、狭い納戸に身を押し込め息をひそめた。
「ユーノス! 大人しく出てらっしゃい!」
 続けざま扉が破れんばかりに開かれ、鬼のような形相で金髪の乙女が入って来る。騒がしいなぁとさも迷惑だといった店主のそれに、彼女――キリム・カストゥールは不機嫌そうにふんと鼻を鳴らした。
「今ここにあの子が来たでしょ」
「いいや」
「とぼけても無駄よ。こっちに来たのはわかってるんだから……あら、珍しいお客さんじゃない。あんたもサボり?」
 知り合いとはいえ遠慮のないそれに片眉を上げたウィラードを捨て置いて、彼女はすぐさま店の捜索を始める。しかし件の納戸に手をかける直前に切り上げると、何やらニヤリと笑いかけてきた。
「仕方ないわね。もしもあの子が来たなら伝えてちょうだい。今日のお祈りの後のおやつは、甘いあまぁい蜜漬け芋だってね」
 わざとらしく大きな声で宣告し、彼女は腕を組んでしばし待つ。すると、がたがたと激しい物音とともに少年が飛び出してきた。
「姉ちゃん、おいらここにいるよ!」
 ばつが悪そうに額に手を当てたナタリフに、まるきり勝ち誇った笑みを向ける。
「ほぉら、やっぱりかくまってたんじゃないの」
「僕はお客様にご希望の場所を提供しただけだよ」
 半眼で睨みつけた後、キリムは少年に歩み寄ってその手首をがっちりと掴んだ。
「まったくあんたって子は! 院長先生を困らせちゃダメでしょ!」
「だってぇ」
「だってじゃない! ほら帰るわよ!」
 少年を半ば引きずるようにして出て行く背を二人で呆然と見送る。鈴の音が再び響き、ひとときの嵐は遠くへ去っていった。
「やれやれ」
 仕方ないなといわんばかりのため息。それは吹き込んだ冬の冷気と共に部屋のぬくもりを揺らした。

 *

 それから一刻ほどが過ぎ日が落ちた夕刻、ウィラードは店の窓際に置かれた長椅子に腰を下ろしていた。目の前には陶器製の大きな器――『火鉢』というらしい――がある。白く細かい灰の中央に置かれた真っ黒な炭、その表面をゆっくりと紅い炎がなぜっていく様子を見ながら、やっと人心地着いた気になり緊張がほぐれた。
 キリムと少年が出て行った後、店はにわかに忙しくなった。隣の雑貨屋のおばさんが来たかと思えば、教習所帰りの子供達、強面の職人、赤ん坊を連れた婦人、シリュエスタ神殿附属病院の薬剤師などなど。入れ替わり立ち替わりやってくる人々を前に、たまたま居合わせたウィラードは臨時の店員として駆り出される羽目になった。
 そんな彼らも既に家路につき、今店の中はがらんとしている。ゆったりと温もる空気の中ふと気配に気づいて顔をあげると、ナタリフが奥から盆を手にしてやってきた。そこには茶器一式と共に、丸い胴に細い弦と注ぎ口がついた鋳物が載せてある。
「これはね『鉄瓶』というんだ。東の大陸ルナシアで湯を沸かすのに使われているんだそうだよ。最近、趣味で向こうの道具を集めていてね」
 疑問を察して解説しつつ、火鉢の炭の上に三本爪の台を置いてそれをかけ、自分も腰を下ろす。
「突然手伝わせてすまなかったね。疲れたろう?」
 薬の梱包や商品の受け渡しの他、火に当たる人々の話相手など、普段の仕事とは異なった性質のそれら。ウィラードは「まあな」と曖昧に返しつつ、意外に凝った肩をごりごりと回した。
「けれど、店にやってくる人数は売り上げに比例しないんだ。極めて残念なことにね」
「だったら皆何しにここへ来てるんだ?」
 怪訝な表情に、ナタリフはほんのりと笑みを返す。
他所よそはどうだか知らないけど、うちは薬を売るだけの店じゃないつもりだよ」
 どこか誇らしげな顔を見せてから窓の外に目をやる。空に重く垂れ込めた雲からは雪が絶え間なく舞い降り、気温は更に下がっているようだ。何気なくその視線を追ってから、ふと思い出して聞いた。
「そういや、さっき姐御あねごが連れ帰ったガキ、ありゃなんだ?」
「ああユーノスのことかい? 彼はこの近くの孤児院に住んでいるんだけど、退屈だからって午後のお祈りの時間にいつも逃げ出すんだよ」
「へぇ」
「キリムも以前そこに居たからね、今でも一番の世話焼き係なんだ。あの時間になると、毎日飽きずに追いかけっこを繰り返してる」
「なるほど」
「でもね、絶対に捜しに来るのがわかっているから、いつも同じ所に逃げ込むのさ。たとえ何度捕まろうともね」
 その言葉にさもありなんと相槌を打ってウィラードは火種に目を向けた。じりじりと這う紅い炎をじっと追う。そのまなざしにどこか寄る辺ないものを察して、ナタリフは静かに口を開いた。
「さっき薬を売るだけの店じゃないと言ったろう?」
「え、ああ」
「そうは言っても、始めはみんなただの『お客様』なんだよ。目当ての物を手に入れればあとは帰るだけ。でもそれだけじゃ勿体ないと思ったんだ」
 一旦話を切り、鉄瓶を手に取ると湯を茶器に注ぐ。
「ここに来れば誰かが居る。誰かと共に過ごすことで、自分がより際立つ。そこから何かを得るかもしれないし何かが始まるかもしれない。ここがそういう場所になればいいなと思っているんだよ」
 少しの間を置いて、持ち手のない筒型の器に薄黄緑色の液体を注ぎ差し出してくる。陶器らしいそれを受け取り、てのひらにじわりとした熱を感じつつ、ウィラードはその中身をじっと見つめた。
 確かに、店にやってきた者たちは皆互いに挨拶を交わし、声をかけ、暖を共にし、椅子に腰を下ろして表情を緩ませていた。寛ぎの共有と言うべきか、だからこそ心の壁が取り払われて、自然に協和できるのかもしれない。
「十分、その域に達してると思うぜ」
 正直な感想を伝えて一口飲み下す。ナタリフはありがとうと言って微笑み、自分も注いだそれを含んだ。
 ふと言葉が途切れ沈黙が訪れる。しかしそれは、しんしんと降り続く雪の静けさの中、優しく身体を包み込む毛布のように心地好かった。
「君も、何かを共にしたくて来たんじゃないのかい?」
 呟かれた言葉に、ウィラードはぎくりとした。果たしてそうなのだろうかと自問する。
「昨日アーツが来てね、最近君が沈んでいるようだと心配していたよ」
 その言葉にはっとする。心の機微に敏感な親友は、自分の様子に気づいていたのだ。しかし何も話さぬことを責めたり強要したりはしない。いつも自ら決心するのを待ってくれている。そんな優しさに甘え、申し訳なく思いつつ今日に至ってしまった。
「色々、あってな」
 するりとほどけ出たそれに自身が一番驚く。刹那、胸に淀む思いを語ってもいいのではないかという気持ちになりかけたのだ。ある人との再会と別れ、それに追従する想いのすべてを。けれども今までの後ろめたさが先立ち、ぎりぎりで踏み止まる。
 懺悔と欲求が複雑に絡み合った一瞬の表情。滅多に現れない彼の心の内。しかしなお壁は堅固だったようだ。ナタリフは密かに嘆息し、今日のところは諦めるほかあるまいなと器の中身をもう一口含んだ。
 それを見やって、少々強張った面持ちのままウィラードもまたそれを口にする。冬にはない爽やかな緑の香りが、鼻を心地よく抜けていった。
「それはルナシアより更に東の海に浮かぶ島国で飲まれているお茶だよ。『玉露』というんだ」
 転換がてら、絶妙に差し込まれる解説。飲み下すと、ほ、と小さな息が洩れ、身体全体がゆるりと弛緩した。
「美味いな」
 いつになく素直なその反応に、満足げな笑みを返す。
「いつでも飲みに来るといいよ」
 その顔に年長者の含蓄を見たような気がして、ウィラードは思わず居住まいを正した。
 そして冬の凍える寒さの中、ひととき身体を温めてくれたそれにそっと感謝を捧げる。
 いいや、体だけではなく、じんわりと心を温めてくれたものたちに向かって。

 凍てついた根雪の如きそれが、春水しゅんすいに変わるときを望みつつ。


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サークル名:倉廩文庫(URL
執筆者名:水成豊

一言アピール
剣と魔法の王道FT、甘めの現代恋愛、SF(すこしふしぎ)な作品を長短交えて取り扱っています。本作品は長編FT「TOAERTH SAGA」(トゥアース・サーガ)で主人公を支えている仲間達による番外編となりますので、ぜひ本編(文庫版・web版あり)でも彼らの活躍をご覧ください!

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春臨しゅんりん” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    大変ほっこりしました。優しいお店ですね。

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