ココロ安らぐ場所

 レオール王国の最南端に程近い場所に位置する小さな村クリプターナから、国のほぼ中央部にあたる首都リンドールまで向かうには、3時間程特急に揺られなければならない。その特急列車の中で、俺と親父は何も言葉を交わすことなく揺られていた。こう言う時に何を話せば良いのか分からなかった。
 親父は海軍に勤務していて、普段は艦に乗っている事が多い。ひとたび出航すると、数週間から数ヶ月帰ってこない事なんてザラである。それでも幼い頃はたまに帰ってくるのを楽しみにしていて、親父がいない間に起った様々な事、と言っても妹のユウリとケンカしたとか、学校の給食が美味しかったとかそういう何でもない出来事なのだが、そんな話をとりとめもなく話したり、庭で捕まえた珍しい虫を見せびらかしたり等していた。それがいつの頃からか、顔を合わせても何を話せば良いのか分からなくなってしまっていた。母さんやユウリが一緒の時はまだしも、ふたりきりになるとまるで会話がない。これは、俺達の関係がが特殊なのだろうか。それとも男同士なんて、どこの家庭もそんなもんなのだろうか。去年母さんが他界してからは、ふたりきりの時の空気が一層重苦しく感じられる様になっていた。
 俺はこの秋からリンドールの警察学校へと入校する。そこで一年間訓練を受け、無事に卒業出来たら晴れて警察官になれる。つまりこの日は、俺が独り立ちをする記念すべき日だった。入学式や卒業式を始め、これまでの様々な行事にほとんど参加してこなかった親父が今回ばかりはしっかりと俺に連れ添うと言うのだからうんざりしてしまう。独り立ちなのだから、一人で行かせて欲しいものである。
 しばらくの間特急列車の車窓を駆け抜けていた、延々と続く赤土とオリーヴ畑の景色は徐々に姿を消していき、やがて雄大な渓谷へと差し掛かる。この渓谷を超えると今度は徐々に建物が増えていき、首都リンドールへと終着するのだが、俺と親父は互いに向かい合わせに座っていながら、尚押し黙っていた。二人でクリプターナを発ってから、もう二時間以上経過している。自分の事を棚に上げて、なぜに親父は一言も発しないのかともどかしくなる。別にいいと言ったのに、どうして着いてきたのかこの人は……。沈黙が息苦しくて、リンドールへ着く頃には窒息死してしまうのではないかとさえ思えた。

 結局会話のないままリンドールに着くと、親父に街を簡単に案内してもらいながら生活用品等の買い物をした。ようやく沈黙から解放されて、ほっとする。実をいうとリンドールの街は初めてではないのだが、何も知らないふりをして親父に着いて行く。安くて新鮮な食材が並ぶ市場だったり、役所や郵便局への行き方だったり、一人で立ち入るのは危険な場所だったりと、以前一人で来たときには気が付かなかった場所も多い。仕事で何度か滞在したという親父は、流石にこの町に詳しかった。そして最後に親父は、警察学校の寮の前まで俺を送り届けた。
「何か欲しいものはもう無いな?」
 と親父が俺に確認をする。何も無かった。足りない生活用品等は先ほど買い揃えて貰ったし、給料が出るまでの当面の生活費も受け取っているので、何も問題はない。けれど、俺は少し困らせてやろうと思い立ち、こんな事を言ったのだった。
「じゃあ、それが欲しい」
 と言って親父が首から下げている物を指した。
 それは、母さんの結婚指輪にチェーンを通してネックレスにしてあるものだった。母さんが他界した後、形見として肌身離さず身につけていたのを俺は知っている。大切なものなのだ。もちろん、本気で言った訳じゃない。ところが、親父は何のためらいもなくすんなりとそれを外すと、俺の首へと付け替えたのだった。
「いいよっ! いらない!」
 慌てたのは俺の方だった。
「さっき欲しいって言ったじゃないか」
「冗談に決まってるだろ! 何でそんな大切なもんを軽々しく渡すんだよ!」
 俺はイライラしながらチェーンを外そうとする。なかなか上手くいかない。その手を親父が抑えた。
「ルシカ、大切なものだから、そしてそれを欲しいと言ったのがお前だから渡したんだよ」
「は?」
 親父は少し困った顔をしていた。
「今まであまり傍にいてやれなかった私が言うのも何だけど、これからは一緒にいてあげられないから……」
「俺が欲しいものだったら何でもくれるわけ?」
「それがお守り代わりになると良いと思って。レイラが……母さんが守ってくれるかなと」
「…………」
 俺はチェーンから手を離した。胸元で母さんの指輪がキラリと輝いている。
「親父はいいのかよ」確認する様に親父の顔を覗き込む。
「私はいいんだよ。お前が持っていなさい」穏やかに笑いながら俺の頭を軽く撫でる。
「いつまでも子供扱いすんなよ!」と言ってそれを払いのけ、俺は寮の玄関へと走った。
「あばよ! 親父」
 それだけ言うと、後は振り返らなかった。

 親父と再会したのは、それから3ヶ月後の事だった。
 リンドールの町中で、懐かしい顔を見つけ、「親父!」と俺の方から話しかけ近寄った。ごく自然にこんな事をしている自分に少し戸惑ったが、親父の方も「ルシカ!」と嬉しそうに俺の名前を呼ぶ。親父は仕事でリンドールへ来ていたらしい。とは言え、人工300万を越えるこの街でばったり出くわしたのは奇跡に近いだろう。
「学校はどうだ?」
「だいぶ慣れたよ。まあ、規律とか色々キツいけど卒業までの辛抱だしな」まるで幼い頃に戻ったかのようにポンポンと言葉が出てくる。二人の間に流れていた重苦しい空気は、もはや過去のものとなっていた。
「ユウリはどうしてる?」
「元気にしてるよ。最近あまり話してないけど」
「ふうん? あまり家に帰ってないの?」
「いや、帰ってるけど、一緒にいても携帯ばっかりいじってて話をしてくれなくてな……」
「ああ、男出来たな」
「ええっ!! や……やっぱりそうなのかな」
「何動揺してんだよ。あいつもそういう年頃だし、普通だよ」
「でもちょっと依存しすぎじゃないか? この前なんて食事中も携帯いじってて……」
 俺達はそんな調子でしばらくとりとめのない会話を楽しんだ。つい数ヶ月前までは、一緒にいても何も会話が無かったと言うのに。いや、話したい事なら沢山あったと思う。あの日あの特急列車の中でも、本当は話したい事が沢山あった。けれど、何一つ言葉に出来なかった。それはきっと、親父も同じだったのではないだろうか。だから代わりにこの指輪を俺に託したのだろう。実際この数ヶ月、胸にぶら下げたこの指輪を見る度に思い出すのは母さんとの思い出と言うより、別れ際に交わした親父とのやりとりだった。
「それじゃ、頑張れよ」
「親父もな」
 と言って俺たちは再び別れた。クリスマスのネオンが輝く街を一人寮へと向かう。もう冬が間近に迫っている。けれども、胸の内は暖かかった。歩きながら俺はふと思った。当たり前だけど、やっぱりあの人は俺の親父なんだ。顔を合わせれば安心し、言葉を交わせばほっと心が和むような。そういう存在なのだ。あまり傍にいられなかったと親父は言ったが、一緒に暮らした時間は、紛れもなくかけがえのないものだった。
 今度のクリスマス休暇には久々に実家に帰ろう。親父のクリスマス休暇がどうなっているのか聞き忘れたけど、もし家族3人一緒に過ごせるのなら賑やかなひとときになるといい。そんな事を考えながら俺は寮へと帰宅した。


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サークル名:HAPPY TUNE(URL
執筆者名:天野はるか

一言アピール
神話や架空世界をモチーフにしたファンタジーを中心に創作してます。和風(?)長編ファンタジー「幻創夢伝」執筆中。今回の作品は架空ヨーロッパをモチーフにした作品「ローザン・ジャクリーヌ」から、父子の話。「和」を「和む」と解釈して制作しました。

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ココロ安らぐ場所” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    父と子の、息子と父が男同士の関係になるまでが、ほっこりしました。

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